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「好色一代女」を12000文字で読む【現代語訳附?】

 みんな〜!!好色一代女って知ってる〜?!?!私は歌しか存じ上げなかった。「あたし夫がいます」っていい歌詞だよね。
 ゆえ、これの原典、たどりたいとは思っていました。しかしながら、井原西鶴の浮世草子(1686年)とあってなかなかハードルが高かった…!やっと読んだ〜😅
 わかりやすさ重視で(意訳気味に)現代語訳を残します✍️!

 44円の古本を買ったんですが…現代語訳附…って…全然古語だった…むず……己の不勉強を呪ったよね……しかし、楽しかった……。

【6巻24章】


 好色一代女は6巻24章から成る小説です。様々な職業と色道を経た女の自伝的な内容!視点は「妾(わたし)」の一人称です。(以下では私、と書きます!現代語の中にあると浮くので!)物語は最後に人生振り返っている女が喋り始めるところから始まります。転々としていく様子が短編で語られます。
 とりあえず、章題の意味や一代女の職業を見てみましょう🖐️以下で詳しい内容を書くので気になったところにだけでも飛んでみて〜〜!
(挿絵はここ!絵で気になる話を見つけてもいいかもしれない。)

一巻
老女の隠家(ろうにょのかくれが):老女の住む好色庵/尼
舞曲の遊興(ぶきょくのゆうきょう)/芸妓
国主の艶妾(こくしゅのえんしょう)/妾
淫婦の美形(いんぷのびけい)/遊女(突き出し)

二巻
淫婦の中位(いんぷのちゅうい):中位=遊女の3階級(太夫、天神、鹿恋)のうち、天神のこと/太夫→天神
分里の数女(ぶんりのすじょ):遊里(遊郭を集めた町)の下級の遊女/鹿恋(かこい)→端女郎
世間寺大黒(せけんでらだいこく):戒律のない寺の僧侶の妾/大黒(僧侶の妻、また僧侶の妾や寺院の飯炊き女のこと)
諸礼女祐筆(しょれいおんなゆうひつ):お礼の手紙を指導する女(祐筆は「冨貴の家で書記や秘書をした女」が使われがちな意味ですが、ここでは転じて前記の意味)/祐筆

三巻
町人腰元(ちょうにんこしもと)/呉服屋「大文字屋」で腰元奉公
妖孽の寛𤄃女(わざわいのかんかつおんな):災いをもたらす伊達女/表使い(外交役)
調謔の哥船(ちょうぎゃくのうたふね):嘲笑われた船の上/歌比丘尼
金紙の匕元結(きんがみのはねもとゆい):金紙・銀紙などでつくり、中に針金を入れて結びの端がはね返るようにした元結(女の髪飾りに用いる)/御髪上げ

四巻
身替の長枕(みがわりのながまくら)/娘たちの介添
墨絵の浮気袖(すみえのうわきそで):ここで言う絵は男女の秘戯の絵/御物師(針仕事)
屋敷琢の渋皮(やしきみがきのしぶりがわ):屋敷で育った人間の肌/茶の間女(女中)
栄耀の願男(えいうのねがいおとこ):金持ち御隠居の願い/仲居

五巻
石垣の戀崩(いしかけのこいくずれ):石垣(=遊山茶屋の多い地域)で身を持ち崩した女/茶屋者(色茶屋に奉公し酒色や遊興の相手をする女)
小哥の伝受女(こうたのでんじゅおんな)/湯女(ゆな。風呂屋者ともいう。風呂場で世話する人、中宿で仕事することもある)
美扇の戀風(びせんのれんふう):扇屋での恋/扇屋の女房
濡の問屋硯(ぬれのといやすずり):問屋の硯はいつも濡れている=客と接待女の色恋/蓮葉女(飯炊女の少し体裁のいいもの)

六巻
暗女の昼は化物(あんじょはひるのばけもの):昼間に暗者女(くらものおんな、私娼)を見たところから始まる話/分(わけ。売春の代金を宿と分ける。)
旅泊の人許(りょはくのひとたらし):伊勢参りの御一行を言葉巧みに転がし商売する女/人待女(参詣講の客を引いて売春する)
夜発の附声(やはつのつけごえ):夜に呼びかける声/遣手→夜鷹
皆思謂の五百羅漢(みなおもわくのごひゃくらかん):五百羅漢(一切の煩悩を払って修行の最高位に達した仏弟子の像)を見る/無職→尼

【内容】

 こちらでは、詳しい内容を現代語訳で残します。このnoteだけを読んで分かるようにするつもりで、ごくごくわかりやすく書いていきますので…易しすぎてもゆるしてほしい。みんなで知ろうぜ、好色一代女ッ!(有識者の方、素人の現代語訳に過不足があればご指摘くださいネ)
 「🌾💬」以下は私の気持ちとかメモとですので読み飛ばしてもらっても🙆‍♀️です。……米ントと呼んでいます(?)
 さて、ひとしきりの保険をかけたところで参りましょう!よろしくお願いします!

一巻

①老女の隠家

 書き出し「美女は命を斷つ斧と古人もいへり。」老女は好色庵という山奥の小屋に1人で住んでいます。2人の若い男が連日やってきたので、老女が「世間が嫌になってここで暮らし始めて7年になる、こんな老婆になんの用事がある」と聞くと男たちは「色道のことがよく分からないので知人に名前を聞いて会いにきた。身の上話をしてもらえないか。」と酒を注ぎました。老女は一代の恋の数々と様々に変わった身の上話を夢のように語り始めます。
 もともと殿中に仕える家系に生まれた私。自分の家が傾き、しばらくは官女として働くことができたが、それができずに11歳の夏に辞めてしまう。このころから色恋に興味があった。13歳、青侍を好きになり逢瀬を重ねるが、露見し罰を受け男は命を落とす。
 「初恋から色々とやり尽くした末に今の姿になってしまった」と老女は自身を顧みるように長いため息をついていたが、やがてまた話し始めます。

②舞曲の遊興

 座頭が稽古した芸妓になりました。母の目があり、他の芸妓のように座敷の延長で色を売ることはできませんでした。しかし、ある女に見そめられ、夫婦で可愛がられ、ついには息子に嫁がせたいと夫婦の家で世話になることに。夫婦と3人で寝る日が続いたある日、夫と私はできてしまいました。妻はかわいくないのに、夫が美男だったのです。
 「都は油断ならない、田舎ならまだ竹馬に乗って遊んでいる年頃。」と笑われ暇を出されます。

🌾💬田舎でも二人といない不器量の女と、御所内でも見ることのできない美男、という言いよう。ほんまおもろい。自分はどうなんやって、自信ありすぎ。

③国主の艶妾

 江戸で大名の奥方が亡くなって、妾を探し始めました。江戸で綺麗な女を集めてみますが、気にいる女がなく、老人(70過ぎの爺なら綺麗な女のお供をさせても安心だろうと言う意図)を京に向かわせます。大名は好みの女を絵で例えました。170人余りの女を見たけど、その絵のような女はいませんでした。ふと私の噂を聞いた人が爺と京で引き会わせると、私が絵より優れていたので連れ帰られました。
 殿との暮らしは豪華で、今でも忘れられないほどです。武家の掟が厳しいながらも殿と仲良く、よろしくやっていましたが殿の体調が悪くなってきてしまいます。それを「都の女の色が深いため」と言いがかりをつけられ、急に暇を出されました。

🌾💬40人ほど集められた江戸の女たちを「皆初桜の花のまへかた一雨のぬれにひらきて盛を見する面影」つまり、濡れたらすぐに花開きそうな蕾のような美しさと例え、170人ほどみた京の女たちのお目見えの支度にはとにかく金がかかると細かく説明し、そんなことより何も着飾らない私が絵よりも優れててすぐに話がまとまったって言ってた。一代女に関する描写だけ極めて文字数が少ない…デウスエクスマキナ…?私は最強…?

④淫婦の美形

 知人の借金のせいで身を売ることになった私は16歳で「上林」という廓に行きました。禿のころから仕込まれたわけでない私は「突き出し」という立場です。はじめの頃は、様々に巧みな言葉をかけ接客していましたが、次第にわがままに勤めているうちに客に見放されてしまいました。暇になってしまうと、客がついていたときが思われ、どんな客でもあれば嬉しかったと思い、悲しみました。

🌾💬廓遊びの派手な具体例が挙げてあったんですけど、1番すごかったやつ言うね。女が茶屋で萩が咲いているのを見て、妻恋う鹿の生きた姿がみたいと言うと男は裏座敷を取り壊して一面萩を植えて鹿を連れてきた。翌日女に見せて、元通りの座敷に戻した。女は規格外のわがまま言うし、男の金使いが荒すぎない🫧??ファンタジアっ🪄

二巻

⑤淫婦の中位

 私は器量が良からと、ろくな接客もせずお高く止まっていたせいで、太夫から天神へ位を下げられてしまいました。翌日から待遇が大きく変わり…布団、呼び方、連れて回る人数…そして何より、仕事が減りました。私に一目惚れして訪れた客が「太夫でなければ意味がない」と座敷がなくなります。
 座敷からすぐに床に行くようになり、1度目の客を丁寧に見送り、自分から手紙を書くようになりました。
 天神時代の3人の客がそれぞれ身を持ち崩し、それと同時に私も病気になり髪も薄くなってしまったので鏡も見なくなりました。

🌾💬一代女、太夫時代は6-7回あった客でも遣手がご機嫌を伺って「手紙をひとつ」と言われてやっと手紙を書いた。ご機嫌のいい時に筆と硯を置かれると、まあそこそこの文章を書いて、それを人に畳ませて結ばせた。
 めっちゃくちゃ傲慢…☺️仕事に対する態度が悪すぎる、よね。この後も何回か繰り返しますよ。繰り返しちゃうのが、一代女らしさよね。

⑥分里の数女

 私は天神から鹿恋(かこい)になりました。鹿恋は「こんなことして馴染みの女郎になんて言うのですか?知りませんよ」と、相手をそそのかすような立場。太夫、天神をしている時はそれほど仕事を嫌と思わなかったが、今は昔からの変化に悲しくなるばかりで仕事に気が乗りません。
 さらに位は端女郎に下がっていきます。三匁取り、禿が付いて、手代や中小姓が客。二匁取り、枕に敷き紙をしてすぐに口説く。一匁取り、小唄を歌いながら自分で帯を解く。五分取り、自分で戸を閉め片手で布団を敷き足で煙草盆をなおす。
 そうこうして、十三歳からの年季が明けますが頼る人もなく、親元に帰るのでした。

🌾💬鹿恋に着く客は色気なく忙しなく床に入るや否や「帯を解いたらどうじゃ」と言ってくるので私は「それでよくも十月十日腹の中にいられたもの」と笑った。
 …どこにいてもプライド高くて威勢がいいっすね。元気そうで何より。

⑦世間寺大黒

 寺小姓になろうと思いつき、身なりを青年風に整えて寺に入ります。寺で住職の世話と相手をしながら暮らせるし、私は小柄でそれに適していました。
 それから、ある寺の大黒(住職の妾)になりました。日を重ね、世間寺と言うのは戒律がなく月に1回は肉魚を食べながらの酒盛りを開いて楽しめることがわかってきました。どんどんと生活は緩くなり、昼も夜もなく行為するようになりました。寺の食事では痩せるばかりだったので普段の食事から肉や魚を食べました。
 ある秋の初めの暮れ方、夢現に幻想のようなものを見ます。白髪で皺まみれ、るい痩の目立つ老婆がどことなく這い出してきました。蚊の泣く声で「この寺に長く住み住職の母親分をしていた。夜な夜な枕を交わしたと言うのに歳をとり捨てられた。死なないのを恨めしそうな顔で見るのはあまりに酷い。そちらは知らぬことだが、恨めしいのは住職とあなたの枕の声を聞く時。この年になっても色は止まぬ、この恨みを今日こそ果たす。」と言うのを聞いて恐ろしくなります。
 私はこんな寺に長居できないと思い、布を詰め妊娠したと見せかけて田舎に帰ることを口実に寺を出ました。

🌾💬青年に扮した女を抱く、と言う文化。今も昔も変わらず可愛い男の子はおいしい、ってことだね?
 あと、過去の男が好きすぎてメンヘラ起こすやつってのも、今も昔も変わらんね。当時のメンヘラの逆襲、どんなものだったのか知りたい。
 し、色に狂った老婆が崩れているのを見て恐怖したはずなのに、自分も生涯かけて色の道を行くのよね。一代女〜〜〜〜!

⑧諸礼女祐筆

 「見事の花菖蒲おくり給はり、かずかず御うれしく詠め入りまゐらせ候」に始まるような文章を高貴な人に奉公して書くのを祐筆と言います。色恋はぷっつり止めて仕事していましたが、ある男の艶書を書く縁となり身を持ち崩しました。
 遊郭時代に本当に心をこめた手紙を送り合った男がいました。会わずとも手紙を交わし続け、互いに手紙と寝て夢で情事に至るほど。本当に気持ちが入った手紙には魔力のようなものがあったのです。
 さて今も筆を握り艶書の内容を悩んでいるうち、相手を思う心に乱れて、依頼主の男が可愛く思えてきました。私は「あなたのことを悩ませる女なんて」と男を口説きますが「最初から言わないことはできない」断られます。勢いでその男を抱いて、心の中では絶対許さないと心に誓います。
 昼夜となく乱れ半年経つと、相手はどんどん弱っていきました。何人かの医者に見放されるほどに。

🌾💬花菖蒲の花言葉は「うれしい知らせ」「優しい心」「優雅」「心意気」!一代女は艶書の頭に「嬉しい知らせ」を添えるのか、自信満々でいいですね。
 相手の気持ちを考えすぎて可愛くなってきちゃう、という感覚を持つ女。飲み込まれやすい、やば女だから気をつけろ(?)

三巻

⑨町人腰元

 十九土用、暑さの厳しい夏。
 私は祐筆の仕事を辞め、「大文字屋」と言う呉服屋に腰元奉公することになりました。腰元の適性は18ー25才。店ではウブっぽいふりをしてウケましたが、もう8人も中絶した私は心で笑っていました。
 夜な夜な主人と妻が行為するのを聞いて、我慢できず寝ている爺に手を出すが断られ…その後、早起きした主人に近づいてすっかり自分のものにしました。夫婦を破滅させようと企むとバチが当たって主人との関係が露見すしました。
 それから気が狂って「欲しや男、男欲しや」と踊り狂い、裸体の寒さで我にかえりました。胸の支えはすっかり取れ、懺悔。私は女ほど虚しいものはないと思うのでした。

🌾💬 この章の枕を見て!「夏の日に葬式の様子を見て、喪主の妻のことを思った。見るためだけに店に唐紙を買いにくるものがあったほどの美しさをもつ女。妻は留守を預けるためなので美貌はいらないし、結婚生活で幻滅することは多いので、持つまじきものは妻だなあと思った。しかしながら、どんな境涯にあっても捨てがたく止めがたいのが色道である。」一代女の教訓めいたことが一切生きない愚かさだね。
 あと、自分がしたいだけなのに、爺に対して「この爺に昔を思い出させてやろうと思って」など理由をつけてちょっかいかけてる。そして断られる。まじプライドの権化。

⑩妖孽の寛𤄃女 

 私はある方のところで表使い(外交役)をしていました。浅草の下座敷へ御前のお供をしに行った時のこと。奥方は天気が悪く蹴鞠ができなかったので機嫌を損ねています。女中の頭が「今夜もまた蝋燭が切れるまで悋気講(りんきこう)をしましょう」と言うと、35人ほどの女が集まってきましたので、私も何が始まるのかその輪に入ってみます。人形(♀)を回して1人ずつ男女の話をし、泥沼話をすればするだけ奥方が喜ぶ、と言う遊びが始まったようです。
 岩橋という女、自分より容姿が優れた女に夫が会いに行くのをつけ、見ると我慢できなくなり女に急に噛みついた。(と、言いながら本当に人形に噛みついた。)ある女、姪が取った婿がクズで散々浮気された挙句に姪は病気になったので憎い。(と、言いながら人形を突き飛ばして男への恨みを示した。)
 奥方はいくつかの話に満足せず、私の番が来ます。私は「お前は妾の分際で殿のお気に入りになり、本妻をのけ者にして長枕しやがって」と人形に乗り掛かりました。これは普段から御前様の思っていたことを言ったにすぎないので奥方に大変気に入られました。そして、奥方が私が話したことのような事情があって腹いせのために人形を作ったと言うと人形が目を開いて立ち上がりました。場内騒然。
 そして、呪いのせいで奥方は病の床に。これを見て私は屋敷の奉公に懲り、上方にかえりました。

🌾💬「悋気=(主に女が男にやく)やきもち」、「悋気講=一般的には庶民の女房たちが集まって開く無尽講。夫の浮気話などを言い合い、憂さ晴らしした」ということらしいので、奥方の癖が拗れて変なことをさせていたのが分かるね☺️一代女も、ルールを聞いて笑てまいそうになったけど、奥方が言ってるし笑えなかったと言っています。
 あと、初手に話をした岩橋という女に対して「一生の不幸を招く元なんだと思うほど極めて醜い顔貌、昼に致すなどもってのほか、夜だって久しくなく、男を見たこともないだろうと言うような女のくせに1番に膝を乗り出してしゃべった」と言っていて、悪口達者すぎて友達になれそうだった。🌾の手書きメモには「岩橋=めちゃブス」って書いてあった。ひどちぃ🥺

⑪調謔の哥船

 新川の夕焼けを見ようと乗った屋形船が途中で止まってしまいました。そこに川ざらいをする船が通りかかり、手の届くところに拾われた手紙が見えたので、手に取って読んでみると「大切にしている如来像を預けるから、金を貸して欲しい。浮気相手を長らく騙していたら子供を産まないで欲しいとは言えなくなってしまった。子どもを産ませる費用がほしい。」と。その場にいた皆笑ったが、全員があまり人のことを言えたような人間ではありませんでした。分不相応の恋はやめようと思うのに、どうも辞められないのです。
 私は歌比丘尼になりました。寝枕の寂しい船頭相手に船の上で歌って売春する女です。黒髪を剃り、休みなく働くが給料は中抜きされました。私は3人の男となじみになりますが、間もなく3人ともすってんてんになってしまいました。
 「使えばなんでもカサが増す、というのは歌の文句にもあるであろう、分かったかこの浮気野郎」

🌾💬歌比丘尼は「勧進」と声をかけられたそう。「勧進」というのは僧侶の姿で物乞いをする人のことです。
 で、急に感情的ラスト。「分かったかこの浮気野郎」おもろすぎ。原文で言うと「その心得せよ上氣八助合點か。」

⑫金紙の匕元結

 1年の年季で、ある人の御髪上げ(おぐしあげ)の仕事をすることになりました。奥様は20歳にもならない年頃の物腰柔らかな人でした。
 初対面で少し話をしたあと「いかなる事も内緒は外に漏らさない」という契約書に署名させられます。奥様は自分の髪が少ない事を気にされている事を話しながら、髪を解いてそれを見せると髢(かもじ:結い髪の形を例えるための付け毛)が落ち、大変少ない髪が顕になりました。髪を気にして殿との事が進まない話まで涙ながらにされ、私は奥様を大変可哀想に思いました。
 しかし、時が経って私は奥様に髪が長く美しいのを嫉まれるようになりました。髪を切れと言われ切ったが生えてくるので薄くすけと言われます。流石に断りますが、昼夜なく責め立てられ私は復讐を企み始めました。殿に奥様の髪が薄い姿を見せてやろう。まず飼い猫を手なづけ、その時を見計らって奥様の頭に向かってけしかけました。奥様の頭は顕になり、慌てて布を被ったが時すでに遅し。
 徐々に床の回数も減り奥様は田舎に帰りました。さて、私の天下。殿を寝取ってしまいます。

🌾💬誓約書を書きながら一代女は「自分には決まった男がないのだから、悪戯心は神仏にも許されたい」と思います。まじ…ッ!やる気満々なんすよね😕まあそのことについての誓約書じゃなかったので好き放題にしたらええがな、の結果ではあるんですが。誓約書書くときくらいはピッとせえ、ぴっと。
 ラストの一代女の天下ターンなんだけどさ。殿に呼ばれてもないのに「呼びました?」ってちょっかいかけて当然「呼んでない」と言われると、「じゃあ私の間違いでしたね」………「周りに人はいないか」と言わせてんですよね。そして「今日に限って誰もいません」と答える。さすが。何をしたんだよその無言の時間に。殿が手に入って、にんまり、という表情だったろうね。

四巻

⑬身替の長枕

 最近の結婚は分不相応に派手である。私は、半年ばかりで前の奉公をやめ、娘たちの嫁入りの時の介添女として雇われはじめました。
 嫁も婿も家族ぐるみで、見栄を張り合うので結婚のために身代を潰す人も少なくありませんでした。
 私は色々に介添をしてみましたが、色々な見栄張りはどこでも変わることはありませんでした。あるとき、派手にしない息子に出会います。何事も派手にせず少しケチかと思うほど。後になって、ほかの家が落ちぶれても、この家だけは変わらなかったのでした。

🌾💬着飾った世の中の人が多いよね、こう言う支度でお金かかってるね!という描写だけすればいいものを、わざわざ人の容姿を言及してるので、晒しておくね🫶「女の盛りはすぎて花の香もない年頃の人、しかも馬面な上に横に広がった顔で、よくよく見てみると耳だけが普通であとは人外である」と言ってました〜!悪口の天才好きなんだよな〜!!

⑭墨絵の浮気袖

 私は御物師(おものし、針仕事をする人)になり、色道を止めていました。
 しかし、ある時。若殿様の下着を縫っていると、裏に男女の秘戯が描いてありました。2人とも裸の肉付きは絵に描いたものとは思われず、今にも声が聞こえそうでした。もやもやと上気し、針箱に寄りかかりながら男が欲しい気持ちが起こり、しばらく仕事も忘れてうっとりしてしまいました。
 朝、奉公人の共同生活、女が支度をしている。私が窓から外を見ているとき、長屋の侍に使われている男の立ち小便を見てしまい、急に色恋の心が募るようになりました。
 そうなると仕事が嫌になり、仕事を辞めます。裏店で「万物縫仕立屋」をはじめ、体が自由になった事を喜びました。客が女しか来なかったので、越後屋で買い物をしたあとの「私はひとり暮らしで隣が空き家、逆の隣は難聴の老人が住んでいる。近くに来たらぜひ休んで行って」との口上に、ぜひ掛け取りに行きたいと手代が集まりました。そこで選ばれたのは1番堅物の男。
 訪ねて催促すると「新しく染めて、昨日と今日着ただけのものです。差し当たってお金もないので不躾ながらこれを」と、着ていた紅梅色の着物を脱ぎ裸になりました。これに男は「風邪を引くといけない」と服を着せようとしてきましたが、私は「本当に情け深いお人」と男に寄りかかりました。
 男はその後、乱れて仕事もしくじるようになり京に追いやられました。女は御物師という名で方々に行き、針を手にせず仕事する事もありました。

🌾💬一代女の裸についての描写。「肥えすぎず痩せすぎず、灸の痕さえなく脂ぎった、真っ白く美しい女の体」と。え〜…!なんか、そんな体で何年も何年も男相手の商売してた女知ってるぞ…!(?)ふわふわの白い女って、かわいいよね。

⑮屋敷琢渋皮

 私は1年の年季で茶の間女になりました。朝夕と玄米と汁物の食事で、体の艶を失って我ながらこうも変わるものかと思うほど乏しくなってしまいました。
 そんな私にも楽しみがあって、春秋に暇をもらっての宿下り、隠し男に会う時。織姫になった気持ちで、いつもよりきれいに支度をして奇特頭巾(目だけが出る黒い布)を被って足早にでかけます。
 年寄りの中間(下級武士)が荷物を持ち道案内をしましたが、私の宿の新橋の方には行かずに同じところを幾度となく巡り、とうとう日暮になってしまいました。ここまで連れ回した72才の爺の何か言いたげな様子、聞いてみれば私に惚れているらしい。涙ぐんでの律儀な爺の告白に哀れな気持ちとなり、宿まで行かずに煮売屋(惣菜屋)に入りました。2階に上がり、爺の帯を解こうとすると「汚いと思わないでください、4、5日前に洗いました」と言わなくてもいい事を言うのもおかしい。爺ゆえ、行為できずに諦めます。年を取っては仕方ないと思い歩くと新橋の宿に着きます。宿で「何かないのか」と聞くと「あなたの可愛がっていたお亀が病気で死んで、最後まであなたのことを言っていましたよ」と言うので、「こっちはたまの休みにそんな事聞きにきたんじゃない、若い男はいないのか」と言いました。

🌾💬 現代語訳の「茶の間女に成り下がって」の「成り下がる」が気になって調べたんですけどね?茶の間女とは「武家で、腰元と下女の中間に位置する女中をいう。主として茶の間の雑用をつとめた。町家ではふつう中居という。」だって。下がってなるような職業に聞こえない…でも、蓋を開けてみたらご飯貧しいしそういうことかもしれん。闇。
 汁物と書きましたが、詳しく言うと「走汁:実をちょっと浮かべて簡単にこしらえた汁、味噌だけのこともある」でして。「はしらかしじる」という、とんでも読みです。

⑯栄耀願男

 方々を渡っての奉公はおもしろい。私は長い間江戸、京、大阪で勤めたが、今回堺に行くことになりました。
 仲居という名目で、御隠居の寝具の上げ下ろしのためだけに1人雇いたいと、この家の姥が訪ねてきます。私をみるなり、喜んで「年もいいし、器量や様子を見ても悪いところがないのでこれなら気にいる」と言って私を連れて帰りました。連れて帰る道中、姥は私に家の心得や悪口をたくさん話しました。話は止まらず「70過ぎた年寄りの御隠居はたくさんお金を持っているから、明日もしものことがあったら…分かりますね?」と言う。私は、「老人ならどうにでもなる。隙を見て他に男を作って子どもができたら御隠居都の子どもということにして、金を残すように一筆書かせよう」と考えました。
 家に着くと70歳くらいの達者そうな老婆が出てきて「喜ばしい」と言ってくれました。老婆なら来なかったのに、と思い違いを後悔しながらも情深い言葉にほだされて、半年くらいは奉公するかと心を決めました。
 私の仕事は夜だけなので昼は家人が忙しそうにしているのをみるばかり。夜、女同士で寝て床を取るとはどう言うことか、腰でもさすれと言うことかと思っているとそうではなく、私を女に老婆が男になっての戯れを求められました。
 「次生まれ変わったら、男になりたい」というのが老婆の願いでした。世間は広いものです。

🌾💬性自認の問題出てくると思わなくて声出た。しかも70歳にして達者そう、とは?もしかして御隠居ちょっとかっこよかったりするんじゃない???と、会場大盛り上がりだった回。ハンサムなおばあちゃんって実在するもんね、それだったらどうしよう。奉公しよう、そうしよう😊

五巻

⑰石垣の恋崩

 私は色町勤めにも飽きてきたが他にできることもなかったので元の古巣にもどって茶屋者となりました。私は小柄なので年を取っても支度すれば昔のような姿になることができました。しかし、何時となく容姿が醜くなったので暇を出され、別のところで勤めます。
 そこは同じ商売でもこうも違うものかと思うほど忙しく、座敷はあくびが出るほど退屈でした。食いぶちのためとはいえ、これほど身を堕とした仕事をしなければならないのは情けないことでした。また、支度を整えたり親への仕送りをするので金はかかり、自分のところに残るのはわずかでした。何年か酒ばかり飲んでいたので容姿は衰え「あんな女金をもらっても嫌だ」と言う言葉を聞いた時にはしみじみと悲しかったものです。
 次第に落ちぶれていく私でしたが、物好きな客に気に入られました。その客というのが蓋を開けてみたら大名で、その家で贅沢な暮らしをさせてもらいました。
 私が落ちぶれたのは目の利いた男がいなかったからでしょう。

🌾💬無敵の見た目で老い知らずかと思われた小柄女も、ついに衰えたなあと思った。年取って、なんか弱腰じゃない…?と勘違いさておいて、最後に責任転嫁したのが流石の裏切らなさ✌️

⑱小哥の伝受女

 私は湯女(ゆな)になりました。浴衣を着て銭湯の上がり場でうちわを仰いだり、灸の貼り替えをしたりする仕事です。男が風呂場の敷物に座ると、「今日は芝居に来たのですか、それとも色町のお帰りですか」と他の人に聞かせるように尋ねて機嫌を取ります。正直、男が見せてくる太夫の手紙とやらが本物か分からないし、男を仰いでやる団扇だって似非の友禅が書いてありました。
 風呂場の仕事に加えて中宿で仕事をすることもありました。
 仕事が終わると女たちは夜食も入らぬと言いながら蕎麦を食べ、恋の話ではなく世間話や身の上話、芝居の役者の噂をしてから、ひとつの布団に3人で寝ました。
 私も女たちに混ざってまた自堕落な生活をしたのです。

🌾💬湯女、元々はただの風呂での世話をする女だったんですが、遊郭ができ需要争いの中で性サービスを含むものになったそう。銭湯ができる→遊郭ができる、と20年差ぐらいで江戸に爆誕したのできっと熾烈だったと思われます。当時の男たちの興奮たるや、私も味わいたかったぁ。
 さて。表題にもある伝授女ですが…ネットの海でたいしてめぼしい説明が出て来ずですねえ😅書籍書籍っと〜☝️!(?)原文の語の解説に意味が書いてあったのでメモしておきます。
 他を呼ぶ様子と、一晩六匁で呼べる女を呼ぶ事をかけて呼子鳥といった。さらに呼子鳥は古今伝受の三鳥である伝受女と言った。(呼子鳥は何の鳥なのか不明で、人を呼ぶようになく鳴き声を聞いてそう呼ばれた鳥。まさかの、猿かもしれないって説もある。晩春の季語です!)また、垢をかく様子から湯女(風呂屋者)のことを猿という。(上記の通り、「呼子鳥=猿」説とかけた。)
 これがわかると本章の書き出し「一夜を銀平六匁にて呼子鳥、是伝受女なり。覺束なくてたづねけるに、風呂屋物を猿といふなるべし。」が理解できるわけですね😉むじぃ〜〜〜⭐︎

⑲美扇の恋風

 「👀くすし(目医者)」という看板をかけた女医の住むところに、目の養生をする女たちが集まっていました。酒と色は禁止でした。
 寂しくなると女たちは身の上話をします。牙儈女(すあいおんな)、染め物を売りながら時に売春する。絲屋者、糸を売る看板娘をしながら納品ついでに売春する。鹿子屋の仕立て、色恋を絡めた接客をする。こういう種類の女が若い時に患った変わり目を繰り返した挙句、湿気目になったものが多くおりました。
 もれなく、私もそうでした。髪の毛は無造作に顔には化粧もせず、少し俯き加減に布で目を拭く様子はまだ男の心を惹くでしょう。
 ちょうどその頃、大店の扇屋の主人に好かれました。京には美しい女がたくさんいるのに嫁にも取らずに50歳になってしまった変わり者です。主人が色々と手を尽くして来たので、私はそこに縁付くことになりました。私が店に立つと、女房を一目見たいという客で店は繁盛しました。亭主承知で客の手を握ったり腰を触ったりしながら接客しました。
 ある時、美しい男が毎日1本扇を買いに来るようになり、はじめのうちは談笑だったのがついに本当に好きになってしまいました。夫のある身で自由にならないのを嘆いているととうとう亭主も見かねて、家から追い出されてしまいました。恋男の行方を探しますが、見つからず私は我と我が身の放埒がただ悲しまれるばかりでした。
 私は仕方なしに着物や道具を売って生きていましたが、ある御隠居に世話になることになりました。この御隠居を40歳ほど若返らせて夜の寂しさも忘れられたら申し分ないのにと思うような生活をさせてもらいました。しかし、案外この爺が強蔵で夜通し、また昼夜となく枕を交わしました。私は奉公して20日ほどで、枕も上がらぬほど弱ってしまったので人に背負われて中宿に帰って行きました。

🌾💬あのさ…ここなん?「私夫がいます」…?3行くらいの出来事だったわよ…😌
 はい、あとここでひとつ語彙学び☝️「強蔵」という語を☝️性欲の強い人のことです!つよぞう、みんなで使おう、つよぞう。私はお気に入り語彙が増えて喜んでいます。

⑳濡の問屋硯

 大阪は日本一大きな港で、諸国の商人はみんなここに集まりました。問屋連が客をもてなすために、蓮葉女(はすはおんな)というものを置いていました。蓮葉女というのは体裁のいい飯炊女で、尻の軽い女という意味も含むから、つまりそういうことでありました。遊女よりも自堕落に、旦那の家に行っては無数に枕を交わす生活です。ただ自分のことだけで一生を虚しく暮らし、浮気をしては親や兄弟の死に目にも会わず不義理の限りを尽くしていました。
 蓮葉女は数百とおり、その数を数えるのも面倒なほどでした。私は京の扇屋を追い出されてから思わしい方向先も見つからなかったので、大阪でその蓮葉女の仲間に入りました。はじめの頃は主人大事に奉公しておりましたが、次第に仲間の自堕落を見習うようになりました。1-2年勤めたところで秋田のある客を見込んで色々と貢がせた上、酒に酔った勢いで「一生見捨てぬ」という誓約書を書かせ愚直な彼を脅かしました。国に連れて行け、妊娠した、と言い寄ったので、彼は手代にそっと頼んで私に手切金を寄越して姿を消しました。

🌾💬 「問屋の硯はいつも濡れている=客と、接待女の色恋」何だそれやばいな?ここまで読んでて一代女に相応しい小道具は「針箱」だと思っていたけど(詳細は4章-2へ!)、硯というのもいいっすね…。濡れているっていうか湿っているっていうか、乾き知らずなんだろ、おいおい。さもやさもや。ええ?!(大盛り上がり)

六巻

㉑暗女の昼は化物

 秋の彼岸の日暮れどき。
 この辺の裏長屋に住んでいる女が出てくる姿を見るとどことなく貧しくない。首から上は飾りを付け化粧をしているが、着物はそれに見合わない様子、暗者女(くらものおんな。暗宿という淫売宿に呼ばれて売春する女)だとすぐに分かりました。私ははじめ、その名前すら聞くのが嫌だったのですが身の置き所がなく、分(わけ。売春の代金を宿と分ける女)になりました。ここにはみなお忍びで来ていました。こじんまりと全てが手の届く範囲にあるような宿で相手する客は、どんな人もだいたい型で取ったように同じでした。定型文で接客は進みます。「お内儀、珍しいものはないか」「御浪人の娘だろうが、新町で天神をしていた女郎の果てだろうが、なんでも。」「その浪人の娘というのは首は白いか」と聞かれれば、すぐに女がやって来て風呂敷に包んだ支度に変えて浪人の娘に見せかけ、ウブらしく振る舞います。私はそれを聞いていて、その浪人の娘のふりをした女が24-5歳にもなろうというのに簡単な受け答えすらできずに、不憫に思いました。この女、去り際にお内儀に「花代」と言う忙しない女でした。

🌾💬暗者女は呼ばれて中宿で商売する、分は宿に住んできた人相手に商売する、なのですが…。一代女、聞くのすら嫌と言っていた暗者女と仕事内容は変わらないとはいえ、しっかり別の名前のついた仕事を選んでいるあたり。そして、そう考えてタイトル見てよね、プライドヒマラヤ(?)

㉒旅泊の人許

 私は色道のことはし尽くして、神仏にも見捨てられた身だったのですが、田舎でまた遊山宿に身を置くことになりました。私も着飾り、昔のような腕で接客したものの、やはり若い子が求められる世の中ですから小皺が目立つようになると次第に寂しい身の上となりました。
 田舎でも年寄りの女は相手にされなかったので、姿を変えて別の茶屋風俗に身を堕します。小柄な女の徳で少しは客がついたが、訳あってそこを立ち退き、今度は人待女(ひとまちおんな)に。昼間は寝て、夕方に起きて身支度を整え参詣講の通し馬を見ると引っ張り込みます。どこぞの大名とその連れ様が来ると地方の言葉を使って喜ばせ、寄りかかると男は昼も夜も忘れて夢中になりました。しかし、客が座敷に居着いてしまうと女の様子はがらりと変わって、大した接客もしなくなりました。「風呂が遅い」と言えば「腹に十月もよくいた」と言い、「すまないが灸の貼り替えをしてくれないか」の言えば「ここ2、3日、手が痛くて」と言い、浴衣の袖がほつれたのを見せて「針と糸を貸せ」と言っても「私たちはどんなに卑しい仕事をしても、針を持っているような女ではございません」と言って立っていく、その後で、酒の席になるとまた態度が変わり、「旅で疲れているのさえ愛おしい」と言いながら笠の紐の擦れた頬を撫でたり、足を揉んだりしてやり、男に金を包ませました。
 月日は流れるように早く、私はいつの間にか年をとって、夕闇でもその醜さが目立ち始めついにここでも暇を出されました。
 他に行くところもないので伊勢の船の上がり場で紅や針を売ったが、泊まり船に入って行きその風呂敷を広げることなくそれとは違った仕事をしました。

🌾💬「月日は流れるように早く」以下、本の末尾までの疾走感、好んだ。時間がスーッと流れていく、寂しさ。この感覚さあ、年を重ねるほど強くなりそうじゃない?予期ですでに感傷的。

㉓夜発の附声

 私はもう女の身ですることのできる仕事をし尽くしてしまい、新町にさすらって来て、昔身に覚えのあることだからという理由で遣手(やりて)をすることになりました。以前に比べて、65歳の私はただ我が身を情けなく恥ずかしく思いました。
 私は女郎の細かいところまで知りすぎていて、つい女たちを厳しく仕込んでしまうので、みんなから憎まれて廓に居にくくなってしまいました。
 私は町外れの裏長屋に人目を忍んで生活していましたが、わずかな着物さえもうすっかり売り払ってしまいました。
 雷が鳴れば、ここに落ちて自分を殺せと思うほど命が惜しくなくなってほとほとこの世に飽きてきた頃。一生の間にさまざまな戯れをしたことを思いながら、窓の外を見ると、頭に蓮の葉、腰から下は血まみれの子どもが95-6もいて「おんぶ、おんぶ」と悲しそうに泣いていました。これが孕女(うぶめ、難産で死んだ女の霊)かと思っていると「憎い母様」という声が聞こえて来て悲しく思いました。私も子どもがいたなら、と戻れないことを考えているうち、それは消えました。
 こんな幻覚を見て、いよいよ死ぬべきと思うのですが、一夜過ごすとまた命が惜しくなって死ねませんでした。
 隣の相長屋には50歳くらいの女が3人住んでいました。女たちは昼まで寝ているが、様子を見ていると羽振りがいいようです。夜になると、白粉を塗って皺が寄っているところを隠し屈強な若い男3人と連れ立って闇に紛れて行きました。明け方になって帰って来た女たちが「昨夜は運悪く大した人に出会わなかった」「自分は血気盛んな若者ばかり、へとへとになって懲り懲りしながら相手があるのはありがたいと78人も相手をした」「可愛らしい若者の相手をしていくつかと聞かれたので17歳と答えたが、闇夜だから姿が隠せたものの42もサバ読み、後世で鬼に咎められて舌を抜かれそうだ」「なんにせよこの商売は若いが花。私たちは上中下なしに十文と決まっているのだから、器量が良いだけ損。月夜のない国に生まれたかった」と話しているのを聞いて、女たちが夜鷹だと分かりました。
 同じ貸し長屋の奥に住む70歳くらいの老婆が「あなたはのような姿でうかうかと生活しているのはもったいない。私だってやりたいくらいなのだから、ぜひ夜鷹になりなさい。」と説得するので、はじめは嫌だった心が動いて餓死するよりマシだとやる決心をしました。老婆が紹介してくれた男が「なるほど、闇夜なら金になるだろう」と言って着物や道具を有償で貸してくれ、しばらくするとすっかりそれらしく夜鷹をするようになっていました。こうまで身を落とせるのかと口惜しいく恥ずかしい思いでした。
 しだいに、夜鷹を買う男も慎重になってきて提灯を持って来たり番屋の行燈のそばに連れて行ったりして、女を見定めるようになり、私はついに誰からも声をかけられることがなくなりました。これが色勤めの仕納めだと思って、ぷっつりと仕事をやめました。

🌾💬
 🪷 「うぶめ」について学ぶ会🪷
【平安時代】日本で、うぶめは「孕婦」「産女」と書き、もともと妊婦を指す言葉。→今昔物語集で、夜中に川辺で歩いている女性として登場。血まみれの腰巻きをつけ、小さな赤子を抱いており、赤子を抱くように強要してくる。狐が化けたか、難産で死んだ女性が変化した妖怪と説明される。
【江戸時代】日本でうぶめを「姑獲鳥」とも書くようになる。ともとも姑獲鳥は中国に伝わる怪鳥。夜、飛行して子どもを誘拐したり、子どもの衣類に血を付けて病気にしたりする危険な鳥。この鳥は、難産で死んだ女性が変化した鳥なので、雌しかおらず、羽毛を脱ぐと女の姿になる、という。
【江戸時代】子どもを抱かせる女と、子どもを攫う鳥が同一のものになったのかというと。儒学者、林羅山が「中国の姑獲鳥に和名をつけるとするなら「うぶめどり」「ヌエ」という名が適切だろう」としたことが発端である。「姑獲鳥」は夜になき滑空する怪鳥、「産女」は夜に泣く女、「ヌエ」は夜に不吉な声でなく怪鳥。また、「うぶめ」は両者とも子どもを失った女の変化した姿であるという2つの共通点から、この和名を結びつけた。この林羅山の本から一般に「うぶめ=産女、姑獲鳥」が広がった。

㉔皆思謂の五百羅漢

 季節が移ろい草木は幾春を迎えるのに、どうして人間ばかりが年を取り老い朽ちてしまうのだろう。
 私はせめて後世を願おうとこの世の浄土である大雲寺に参拝しました。本堂から降って来たところに五百羅漢の堂がありました。そこにある羅漢の顔はそれぞれ違っていていました。思い当たる人の顔があると言い伝えられているのも嘘ではあるまいと思って、端から気をつけて見ていきました。すると、遊女時代の客、腰元時代の旦那、元旦那、江戸勤め時代の忍び男、など紛れもなくその顔があります。さらによく見ていると、茶屋勤め時代の美男子、世間寺の僧侶、歌比丘尼時代の馴染みの客、がいたのです。
 こうして、五百羅漢の顔を見ていると、誰1人として昔会った男に思い当たらないものはありません。つくづく思い返してみると、勤め女ほど恐ろしいものはないと我と我が身が思いやられました。一生に出会った女の数も万人に余るこの淺ましい身体をひとつ、どうしたら良いものであろう。私はしみじみと長生きしたことを恥じました。
 胸が火のように燃えたかと思うと、熱い涙が頬をつたって流れ、寺の中にいることも忘れて激しく泣き、嘆きました。私のそばに寄って来た法師が「老女、何を嘆いているのか。羅漢の中に先立たれた夫や子どもに似たものがあったか」と優しく聞かれたので、なおさら我が身が恥ずかしく足早に門外に向かいました。
 今は我が身の夢も覚めた。煩悩の海を渡る舟の元綱を切って、生命の彼岸へ渡ろう。そこにあった池に身を沈めようと走っていきました。
 図らず昔知った人に止められ、その人の勧めで今までの虚偽を捨て真実に帰り仏の道に入りました。念仏三昧の日々を送っていたのに珍しい来客に心惹かれて思わず酒に心が乱れ、ついうかうかと喋ってしまいました。しかしこれも、我が身の懺悔だと思えばかつての心の曇りは晴れました。

🌾💬え〜?!ねえどうだった?!?!長かったね、ここまで読んでお疲れ様でした😌私はやっぱり、㉒以降の疾走感好きだったし、最後に初めに戻るのアツかった。映画は、どうやら本の末尾を冒頭に持って来ているらしく、これから履修して来たいと思います。
 あと、歌詞は物語に沿って細かく書かれている感じではないのかあ、と分かりました。分かってよかった!!!「そもそも水風呂ってどこ?」から始める雑談会したい。
 じゃあ、それを含めて後半へ続く!まだ検討したいことがあるので、別のnoteで会おう🫴

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