観察
「鈴木淳司」としてこの世に産み落とされて
今年で27年目を迎える。
当たり前に名乗り、書いてきた「鈴木淳司」という文字に今まで興味などなかった。
だが、今になって自分が何者なのか?
自分には何が向いてるのか?
何をする事が自分にとっての幸せなのか?
ふとそんな事を考える時間が増えていく中で自分のルーツについて知りたくなった。
なぜなら、親がその名前を選んだ裏には
親のルーツがありその親の両親がそれぞれの名前をつけたのにもルーツがあるんじゃないのか?と考えたからだ。
未来への答えは過去にある
そう考えたボクは、今のジブンを知る為に自分の過去を遡る事にした。
まず淳司を分解して「淳」と「司」それぞれの意味や由来を追ってみた。
淳(じゅん、あつ)
意味
1. 厚い。濃い。豊か。情が深い
2. ありのまま。素直。純粋
3. 大きい
4. ひたす。こす
5. そそぐ。洗う
由来
「享」は「神様にお酒をお供えするための器」を表す。これに「氵(さんずい)」を組み合わせて「こして清い(濃い)液を抽出している」様子を表現する。
司(し、つかさ)
意味
1. つかさ。役人。官職。公務。役所
2. つかさどる。職務として行う。管理する
3. 伺う。観察する
由来
「口」とそれ以外の部分に分けられ、どちらも「器」の形を表す。「神や祖先をまつる祭典」の様子から、それに従事する人々を指して「司」と呼ぶようになった。
調べて自分の名前の由来を知った時
驚くほどに自分の性格をそのまま写したような名前だったのだ。
振り返れば中学、高校はなにかと応援団長や委員長などリーダー的ポジションに抜擢されることは少なくなく
人をまとめる事なんて自分には向いてないと感じながらも結局こなせていた自分を思い返した。
そして、純粋であるが故にこれまで数百万以上のお金を色んなビジネスに注ぎ込み騙されてるのに誰一人として恨まなかったり情の厚さにも思い当たる節があったのだ。
不思議な事に意図して生きてないが結果的につけられた名前通りに生きていた。
言葉とは不思議で発した言葉や書き記した言葉は時に現実になる事がある。
目の前に起きる事象に対して「観察」する事でジブンがなぜその言葉を選び紡いだのか。
ジブンとは一体何者なのか?
そんな果てしない問いに近づける気がした。
目の前の結果に一喜一憂するのではなく起こる全てを観察していく。
出来なかった事を悔やむのでなく、出来なかった自分を把握する。
自分の作り出した偶像とリアルな自分のギャップ、すなわち自分の現在地を知ることこそ今の時代に必要なことなのではないだろうか?