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【daichi】一人称とセルフブランディング

自分に合う一人称は何なのか。
ここに文章を書くたびに思うことである。

これまでの投稿は全て「私」を使っているはずで、日常生活においても基本的に同居している家族などかなり近い人以外に対しては「私」で通している。発話時もこうして文章を書く時も大半がこれ。就職してから使い出したから早10年「私」を使っているが、使い勝手はいいけど、何となく肩肘を張っている感覚が抜けない。公私で言ったら公な感じ。

「俺」は日常生活における「私」と二枚看板を張っている主力選手である。「俺」との付き合いは更に長く、小学生、もしかすると幼稚園の時から使っているかも。ただ、今の年齢になって文章に「俺」と書くことに若干の幼稚性と薄ら寒さを感じてしまうため、ほとんど発話時しか使っていない。たまに書く際も使っているかもわからんが。

私が使っているのはこの2つだが、もう1つ、最近増えているように思うのが「僕」。使わない。けど結構増えているよね。イケイケの社長やYouTuberだけかと思って若干揶揄するスタンスをとっていたが、私の尊敬している著名な方も使っていた(発話時のみかもしれないが)だから否定派から脱した。私はこういうところがある。つくづく嫌な性格だと思う。
なぜ使わないかというと、幼少期の刷り込みだと思っている。小学生or幼稚園の時、「僕」と言っている人が「俺」と言っていた人よりカーストが低かったから。だから無意識に使わないようにしたのだろう。そして、そこに、私があまり好まない前述の方々が使っているイメージが重なり、ほぼ使用しないこととなった。でも、もう使ってもいいかなと思う。尊敬している人が使っていたから。私はこういうところがある。つくづく嫌な性格だと思う。

それ以外は、現代の日本においては変わり者認定を受けそうなので考えない。確か高校の同級生に「某」とか言ってたやついたな。あいつ、俺の回答用紙見てカンニングしたんだよな。元気してるかな。(こういう時は「俺」って使うんだけど、何故そうしているのか、この感覚?ニュアンス?雰囲気?の違いが分かる人と友達になりたい。)

さて、どれが自分に合うのだろう。
ここで発話時のことを言っても仕方がないから、この場における一人称を考えたい。
まあ2択だろう。「私」か「僕」か。「私」の安定感は信頼できるが、面白みに欠ける気がする。かと言って、ついさっきまで好んでいなかった「僕」に鞍替えするのもいかがなものか。

こうして考えていると、一人称が持つ、相手に与えるイメージの力は案外侮れないのかもしれないと思えてくる。「私」を、「俺」を、「僕」を使うかによって、無意識的に相手が抱く印象に影響を及ぼしている。
ということは、自分をセルフブランディングできるという考え方もできる。
丁寧な印象を与えたいなら「私」、やんちゃで若い感じなら「俺」、知的で落ち着いたイメージを望むなら「僕」とか。(この例であっているのだろうか。ズレてる?)

語尾や文体もそう。「ですますorである」とか。「~である」とか言っちゃってる私はどう思われたいのだろう。深層心理が出ているようで恥ずかしくなる。

また、全ての人に一定の印象を与えたいと思っているわけでもないような気がする。
好かれたい人、どうでもいい人、様々だ。相手によって自分を調整し、異なる自分を使い分けることも全然ある。前にも書いたか記憶があいまいだが、「八方美人」はもはや揶揄する意味を持たなくなってきている。「分人」という考え方もある(勉強したい)。

まあ色々取っ散らかったわけだが、一人称は、特定の誰かを絞ることが難しく相手を想像できないことから、一つこれという風に定めるのはやめておく、少なくとも現時点においては。
ということで、次の記事以降はお試しで「僕」で書いてみます。キモかったら言ってください。


daichi

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