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【daichi】総裁選と勉強

自民党の総裁選が告示された。
岸田さんが次期総裁選に出ないらしく、総理大臣の席を狙って、多くの人が立候補している。
有名どころだと、というか私でもほとんど顔と名前が一致するような人ばかりだが、小泉進次郎とか石破茂とか河野太郎とか。
因みに「9人」は史上最多人数らしい。

こういうのって金払って呼んでるの?

党員ではない私には投票権がないので、外から眺めるだけなのだが、もっと構造的に理解していたらエンタメ的要素も感じられたのかな、とか思う。
選挙を含む政治をエンタメ的に捉えようというアプローチについては批判したくなる方々もいるが、その人たちは既に一定以上その分野についての知識があるからそう思うのではないか、という説を唱えたい。

分かる人だけが分かる人だけで分かる人の都合がいいように物事が決められているのだから、「分かる人」は既得権益を手放したいとは思わない。自然なこと。

でも、分からない側の自分はそれでは気に食わない。
「分かる人」の牙城を壊すまでいかなくとも、こちら側の存在を意識させるぐらいのことはしてみたい。

だから少しは勉強してみたい、という意欲が社会人になったくらいからずっと薄っすらある。

もっと分かりやすく政策とか打ち出せばいいのに、と思う。
これは今回に限った話ではなく、国政・地方問わず全ての選挙に言える。
お決まりのような「変えます!変えてみせます!皆さんで変えましょう!」とマイクを通してマイクを通さなくてもいいくらいの声量で訴えるのも、感情面から訴える意味では間違ってはいないのかもしれないが、もっと具体的に話してくれないと、私は自分の生活に落とし込んで考えられない。
違うことを話し出したかと思ったら、対立候補の揚げ足取り。正直、相手を落とす戦法って見ていて疲弊する。米国の大統領選挙なんかは良い例で、もはや子どもの喧嘩に見える。

ジョーカー


総理大臣とか大統領とか、総裁選とか、代表とか、国や党によって制度が異なるから、正直頭の中で色々ごっちゃになっていて訳が分からない。だから距離を感じる。
派閥とか、こいつとあいつが仲違いしているとか、歴史的背景とか。そういうのを理解していたら、もっと見所を掴みやすい気がする。

こういうことって結構ある、と最近になってから気づいた。
学生の時は無駄だと思っていた勉強は、その大半が無駄だったと今でも思う。
ただ、「全く知らないこと」と「聞いたことはあること」には大きな差があって、少し触れたことがあるだけで、案外脳には残っていたりする。そのとっかかりさえあれば、新しいことを吸収しやすい。
世の中、知っているとその分楽しいと思う。なんでも楽しめる。その中で取捨選択すればいいと思う。

あらゆることを楽しめる土壌を作りたい。解像度を高めて、目に付くもの全てに興味がある状態。
想像しただけでも忙しそうだけど、忙しいのはネガティブなことではない。「興味が持てる」状態が肝で、その上で「今は触れないでおく」という選択肢もある。
とにかく何でも面白がれたほうが幸福。

知らないことを、知らないことを理由に拒絶するのは、自分の可能性を放棄していることと同じで、貧しいことだと思う。
まあ、自分も大概してしまうのだが。

余談。
何か意見を表明すると、「自分のことを棚に上げて」という批判を受けることがあるが、自分のことを棚に上げないと話なんてできないだろうと思う。人間誰しも欠落している、という持論を心の支えにしている。
余談を終える。

「真面目」に取り組む人は素晴らしいと思うけど、斜めからアプローチする人も悪くないはず。
よく、政治に無関心な人に対して「自分事として考えて」という言葉を投げる人がいるが、後者であっても「自分事」にはなっていると言えるのではないか。これは屁理屈だろうか。

だから、総裁選も大統領選挙も、きっと面白がる方法があるはず。
自分はそれをまだ知らないだけなのだ、という希望をもっている。

あと、これは本当に言語化が難しいのだけれど、小泉進次郎って能力云々は知らないし、何なら勝手に、世襲議員の代表格で、力がなくて人気だけで立っている、中身がないけど叩くと出る音は大きい空き缶みたいな人だという偏見を持っているけど、それでも、人は良さそうだなと思う。悪い人ではなさそう。見ていて、何か突拍子もないことを言いそうな気がして、楽しみ半分ハラハラ半分、といったイメージ。
政治家としての小泉進次郎ではなく、人間としての小泉進次郎なら応援したくなる、ような気もする。いや、しないか。

この顔で何も考えていなかったら面白いよね。あり得そう。


daichi

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