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【daichi】反応速度

当たり前だが、考える速度は人それぞれだ。
家訓が「即答」なのかと思わせるくらいの速度で反応してくる人もいれば、もはや伝わっているのか怪しくなるほどゆっくり反応する人もいる。それはそれぞれのスタイルだから、どっちでもいい。

ただ、現代は圧倒的に前者に有利だ。即答、即レスを勧めるビジネス書も多い。言っていることは分かる。私も即答を求めてしまうことが往々にしてあるし、出来るなら自分も早く反応しようと思う。(と言いながら、私は相手を見てから、反応するかどうか決めるくらいに嫌な人間だ。)

しかし、速度を追い求めることで取りこぼすことがあることには、自覚的になったほうがいい。当然クオリティは下がるだろうし、それ以上にそもそも考える時間が減っているのだ。

数年前から「論破」できることが人間的な強さの証左のように語られ始め、少しでも黙り込む時間を作ると、それは敗北を意味するようになった。

頭の回転早いのはいいこと


自分は相手と話しているとき、よく黙って考えることがある。その時は、当然その話題のことを考えてはいるのだが、その他にも言い方やワードの選択等、どうしたら相手に効果的に・過不足なく伝わるかを考えている。(この時、気分が悪いと、違った意味の「効果的」を狙って、いかに相手をグサッと刺せるか考えてしまう悪癖が、私にはある。)
でも相手からしたら黙っているだけにしか見えないから、私は敗北する。

論破が流行りだした頃、私も即答して論破する側に回りたいと、一瞬思った。ただ、考えると、論破したから何だというのだろう。相手を負かしても、自分が勝ったことにはならないことに気が付いた。そもそも勝負という前提に誤りがある。

確かに即答には価値はある。ただ、本当に褒めたたえられるべきは、熟考と即答を両立できた場合であろう。それは本当に素晴らしいことだと思うが、実現できる人はなかなかいないのではないか。

私は即答したいと思うが、熟考を手放したくはない。後者により価値を感じる。


daichi

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