傷ついていたんだなって、気づいたところからはじまるのかも
こんにちは!
今日は、いつもの講座のお知らせではなく、いま思っていることについて書いてみようと思います。
かれこれ、ずいぶん長くアロマをやっていますが、今年でアロマ講師歴が24年目になりました。もともとアロマの始まりというのも、アロマテラピーの専門校でたまたま働くことになったからなのですが、13年在籍している間にも、アロマを数年学んだころから、もう少しアロマではない植物のことが知りたくなって、フラワーエッセンスを学んでみたり(かじった程度です)、次にハーブ学んだり(これは今も続けています)、次は育ててみたくなって植物園で働いたりたりしながらと、なんだかんだと植物周りのことを続けている今ですが。
今年になって、いまさらながらアロマテラピーって、結局のところ何なのだと思ったりしてるんですね。この場合、いわゆる、アロマテラピーは植物の香りを使った芳香療法です、という答えは脇に置いて考えるとして。
その上で、アロマっていったい何だ?と思うと、アロマ(植物の香り)って、植物から人間への癒しと励ましなのかなと、それと同時にこの世界にいる喜びを一緒に味わうためのものなのかもしれないなと思うようになりました。
なんだか急に話が飛躍したかもですが、、、
私の場合は、アロマの知識が全くゼロの状態で、アロマスクールに勤務したため、毎日アロマにふれながらアロマを覚えていきました。
えっ!アロマって心に触れるんだとびっくりしたり、いい香りだなと使い続けていた精油に、その香りにはこういう力があるよと言われた内容に、やばい私の本心を見透かされてると思ったりして、かなり実践的にアロマについて知っていった感じなのですが。
でも、なぜここまでアロマを辞めることなくきたのかというと、アロマのこころに触れる部分に惹かれたからだなと思うんです。
で、ここで話は代わりまして。
今年に入って、去年末に植物園をやめたこともあって、自分を振り返る機会が多かったのですが、そのときにふと、わたしが癒されたかったら、アロマを必要としていたんだなって、思ったときがあって。もちろんそれは自覚していたんですが、でもふと、腑に落ちる感覚があったんです。
私のいたアロマスクールというのは、アロマテラピーとキネシオロジーというセラピーも学べるスクールで、どちらも別々に学べるのですが、癒しというものを二つのアプローチで学ぶことをができるから、正直癒されるにはもってこいの環境にあったわけですよ。
だから13年もそこにいれば、もう完璧に癒されたのか私はというと、そうではなくて。それはスクールがだめというわけではなくて、逆で癒す体制は100%整っていたのに、わたしがそれを受け入れられなかったからだったんだ!と、いうことに気づいた。という意味です。
アロマ(植物の香り)が本心をつくのは、そうなのです。香りは本能と密接なので。しかしそれって、逆にごまかせないことでもあるので、気付きたくない時にはきついわけです。
なぜ、自分にとってつらいことを、思い出したり向き合ったりしないといけないの? 思い出さなければずっと心の中に収めておけるのに、わざわざそこをみたくもないし、しかもそれを人前に晒したくない。ほっておいて!って、どこかで思っていたために(思っていたんですよ、ずっとね)
でも、本当には、ほおって置かれたくないので、アロマテラピーからは離れられずいたんだなと。気付きたくないけど、気づいてほしい、でもつらいのも、さみしさをさらすのも嫌みたいな、押し問答。
だから、確信の部分は避けつつ過ごしてたんだなって思うんです。
アロマの知識と経験は増えていくけれど、自分に振りかえると、自分が癒すべき自分にとっての確信の部分は、どこかに隠しながらいたんだなって。
だから、やっぱり、もやっていましたどこかが。
で、先ほどの腑に落ちた話に戻ると、わたしは傷ついていたんだなって。それを認めたくなかった。傷ついているって認めたら、自分がかわいそうで、かわいそうだと思われるのも嫌だったんだなと。
そう思うときがあって、そしたら納得したんですね、ああそうかって。
だからアロマテラピーに出会ったし、だから植物なんだなって。
そういう気持ちになって、アロマテラピーってなんだろうと思うようになったら、もしかしたら、アロマテラピーって植物からの癒しと励ましで、香りを楽しみあえる喜びのメッセージなのかもね、いまそんなこと思っています。
こんな話を書いていいか分からないと思ったのですが、なんせ24年もかかるるとかアロマ役に立たないじゃないかと思われてはいけないし、いかんせんお恥ずかしい話だし、でもそういう意味ではなくて、傷ついていたと気づいて受け入れたら楽になると思ったこと、やっぱり植物たちがいるよと思ったことを届けたくて書きました。
最後に好きな本の言葉から
だいぶつれづれな話になりましたが、それではまた次回に。