色気について /いまのみとか、生きているものの力なのかな
みなさま 大変ご無沙汰しております!
お元気でいらっしゃいましたでしょうか。
あ、タイトルのことはひとまず置いておきまして
お久しぶりでございます!
わたしはの方は、この間も野草園の仕事に精を出しておりました。
元気でしたよと書きたいところですが、熱中症らしきものになったり、
ちょっと怪我をしたりと、それなりにいろいろとありました。
とはいえ、いまは無事に過ごしておりますので、どうぞご安心くださいませね。
ちなみに、この怪我が何かを祓ってくれたのか。
春から始めた一連の新しいことに、やや興奮ぎみで、軽い熱に浮かされていたような状態が、それ以降落ち着きを取り戻した感じでおります。
単純に3か月という一区切りが来て、ほっとしたのもあるかもです。
怪我の功名としては、他にも仕事中のさぼり方を覚えたり(書いていいのか)、昼寝やちょこっと寝ると、体が回復するというのも覚えましたよ。
そんなこんなで落ち着いてきたので、noteに戻ってまいりました。
というわけで、タイトルの
「色気について」いってみます。
みなさま、色気についてどう思われますか。
というかお好きですか、色気?
わたしは
はい、
すきです。
いわゆる色っぽいというのも好きですが(笑)、
なんというか、生きているものもつ気配とか、エネルギーとか、
香りもニオイも、音も触れるも、五感で感じることすべてを色気ととらえるなら、色気があるものが好きです。
人も、モノも、言葉も、諸々も。
アロマテラピーというか、植物の香りもですね。
たいそう色気があると思うのですよ。
アロマというと、いわゆる薬効の面がクローズアップされがちで、そこに、
こころに働く面も少々プラスされることが多いのではないかと、思うのですが。もちろんその二つで充分に力はあるのですが。
もう一つ、植物という生き物の
“生きている力= 生・性・色気” も含めて、力があるんじゃないかなと思ってて。
そういう風にずっと思っていたんですけど、大手ふってそんなこと言ったら恥ずかしいと思っていたこともあってですね、一応私のイメージが(爆
また、それをどう表現していいのかも分からなかったのですが。
いま野草園にいて、植物たちと触れ合ってる中で、植物に感じるのですよ。
生きているもの色気を。
そして、それがほんとうに美しくて。
たとえば、この花
つぼみが膨みはじめて、一番花が咲いたときには
なんだか嬉しさと同時に恥ずかしさで、目を合わせるのがドキドキするような気持ちになったり。相手は花びらなのに!
雨が降った後に、葉に西日が差したときなんて、もうその煌めきが圧倒的で。言葉なんてでない美しさで。
そして、それがずっと続くのでなくて、終わっていって。
終わるというか、実際には次に渡されて行っているだけなのですが。
だからそこには、いつも今のみあって。
余計に生を感じるのかなと。
生も、性も、死も、当たり前にあって。
植物には、終わっていく悲しさなんてみじんも感じず、
ただ喜びがあって、美しくて、魅力的なのです。
話しが少し飛びますが
アロマに出てくる植物には、ギリシャ神話などの神話やおとぎ話に由来するものも多くあります。
神話なので、素晴らしい話も多いのですが、なかには結構やらかしている話もありまして。
例えば、ギリシャ神話の中の大いなる神ゼウスは、度々浮気をするのですよ。そして毎回妻に見つかり、怒られるという事を本当に何度も繰り返します。
しかし、どうしてだか、お仕置きをされるのが浮気相手の方ばかりで、当のゼウスはもう全くという感じでとがめられることなく、許されちゃうのですが。
それがもう、ほんとになんというか、
やれやれという感じが、生きているっぽくて。いいとか悪いとかを超えて、生と性とか色気とか。生きてる感じで。
そこには、真理や植物の知恵も、ちゃんと含まれていて。
植物を見てると、そういうこと感じるわけです。
で、そこがわたしには煌めいて見えて。なにかここにある気がして。
だったら、そういうことも、もっと一緒に話したり、なにかできたらいいのかな、これからもっとオープンにしていいのかなと思って、書いてみました。かなり唐突な話なので、ちょびっと勇気がいったのですけれども。どうだったでしょうか。これをきっかけに、そんな話もできたらいいなと思ったりしています。
さて、みなさまはどんなことに色気を感じますか?