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なにもない、なにもかもある

noteは思ったことを、徒然に書こうと思っています。


土手の風景です。

私の育った町は(福岡の南の端っこ大牟田という町です)、かつて炭鉱で栄えた町で、その後、炭鉱の閉山とともに街の活気も大縮小。
「昔はよかったけど、今はすたれて、なーんもない」が大人たちの常套句でした。そんな言葉を聞きながら育つと、なーんもない町を誇りに思うことも、振り返ることもありませんでしたが

それが、なーんもないわけではないかも。と思えるようなったのは、
自分の中にしみ込んでいる感覚があることに気づいてからでした。

例えば、畑やヤブ、海や池や山。そういうものが身近にあったので、
ミカン山に花が咲くときれいとか、アサリ貝は月齢をみてとりにいくとか、ザリガニのいる沼のにおいとか。
わたしの持っている感覚をくれていたんだなと気づいてからです。




話は代わりますが、

わたしは自分の意見を言える大人が好きです。
例えば、
『からすのパン屋さん』などを書かれた絵本作家の 加古里子先生や
映画「人生フルーツ」のモデルになられた、津端修一・英子ご夫妻。

お3人とも、戦争を経験されています。
敗戦で、価値観が一晩で変わることを経験されたなかで、
自分で考えて、自分で行動して、自分の意見をいう。
それをなさっていた方々だと思っています。

戦争を経験されているから強いんだろう。
わたしもそうありたいけれど、戦争経験もないし、
ましてや一晩で世界の価値観が変わるようなことも、私に起こらないだろうと思っていましたが。
自分の身にも、そういうことって起きるのですね。




何もないと思って場所は、何もないわけではなかったし、
コロナの今も、何かはできなくはなったけれども、すべてができないわけでもない。


コロナで価値観が変わってきていますよ。
それで、あなたのご意見はどうですか。
聞かせてくださいませんか?
そう、加古先生や津端ご夫妻に尋ねられているような気もします。


土手の植物は、植えてないけど育った。
だれも世話をしなくても、また来年も同じ景色になるでしょう。
もうあるということですよね。
じゃあ、あることを どうすればいいのかな~
あ~~~~~~~(扇風機の前で言ってる感じ)
そんなことをおもっている、自粛期間が延びた5月のいまです。


次は、アロマのこと書きたいなと思ってます!

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松田純子 junkomatsuda
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