目には見えてないけどね、そこにいるんだよ
“野鳥の観察会“にはじめて参加した時、先生がそうおっしゃいました。
ある鳥を見るため、鳥の出てくるスポットで、10数名の大人たちが全員しゃがんで、静かに鳥を待っていました。
カメラを抱えてシャッターチャンスを狙っている方や、ベテランさんは慣れているので、じっと待ってあるのですが、
わたしのような初心者はしばらくすると、すぐに待ち飽きてきて。
待ってる鳥のことより、聞こえてくる鳥の声の方が気になり始めて、
「あの鳥の声はなんですか?」「どのあたりにいます?」など、初心者組が
先生に小声て尋ねていたら。
あの辺と指をさして教えてもらうのですが、それでも初心者たちはなかなか見つけられず、「分からない、どこですかね」と小声とはいえ、ざわざわし始めているときに
先生が「目には見えてないけどね、そこにいるんだよね。」と。
そこからは、その言葉が自分の中で反響してしまって、待っていた鳥のことよりも、鳴いてた鳥を探すこともどうでもよくなってしまって、いまだにあの時何の鳥を探していた思い出せませんが(笑
いわれてみれば、鳥の声って、確かにそうだなと。
そんな風にわざわざ鳥の声を思ったことなかったけど、目に見えてないけれど、いるんだ・あるんだと思ったら、この世界なんてそんなことばかりのような気がして。
近頃も、野草園で作業してたときのこと、いつも鳥のことを教えてくださるお客様が「この声は○○の鳥だよ、多分あの木。」と教えてくださったのですが。
見つけられずに「どの辺ですか?」と尋ねたら、
「多分、あの木。あの辺りにいる。でも人から見えない位置にいる鳥だから分からないね。でもいるよ。」と同じようなことを言われて。
鳥のことを覚えるのは、ちっとも進みませんが、
見えないけど、いるとか・あるとか。いいなーと思って。
そして、そういうことを聞くと、わたしはやっぱり皆さんと話しがしたくなるのです。
ねーねー、みなさんはどうですかって、聞いてみたいくなるのです。
なので、これからは開催する講座もこれまで以上に、そういうことを話したりできる場になればと思っています。
自分で感じたことを、お互い話すことでより深めたり、感じあえたり、ふむふむ言い合えたり、また自分の中に拡がったり、そんなことができる場になればと思っています。
ちなみに、11月は 11/26(土)~28(月)に一日講座をします。
詳細はまた後日にアップいたしますね。
目に見えないけど、そこにいること。このことも、またみなさんとお話したいです。
それでは、また次のnoteにて。