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還暦寸前ギャル・Babaギャルコーデで渋谷のラジオに出演した理由。
渋谷のラジオに出演
渋谷といえば 歴史上ギャルの聖地。
babaギャルコーデで渋谷のラジオに参戦!?笑
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babaギャルコーデも 楽しい
なぜ ギャルで伺ったのか?は 文中をご覧下さい。
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ギャルといえばブーツ。暑くても、そこは履いちゃう
ナビゲートしてくださったのは、早川千秋氏。
私のほうが千秋さんをナビゲートしたいくらい渋谷・原宿・裏原の歴史のど真ん中を生きてきた方で、沢山聞きたいことも話したいこともあるけど、今日は出演側にてお邪魔しました。
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アーカイブはこちらからご視聴ください。
ファッションレスキュー誕生の瞬間、と共に
パーソナルスタイリストという職業が生まれた。
時間は25分程度なので、話せることは二つくらいかなーと思っていたが、実際話せたのはファッションレスキューという社名の由来と、それに伴うパーソナルスタイリングのことを少し。
「装力」という言葉の意味を聞かれて、ギフトファッションを絡めながら、自己肯定感&自己受容が根底にある話をしていたら、時間オーバー。汗。
やはり2つくらいだった。笑
でも伝えられたらいいな、と思っていた肝は話せた気もする。
全貌は、こちらでどうぞ。
https://note.com/shiburadi/n/nd581eb728dcf
短いから あっという間に聞けると思う。
2001年にパーソナルスタイリストの元祖、として職業を作り、現在では猫も杓子も名乗るようになったわけだが、当時は当然のことながら、この世にパーソナルスタイリストは私一人だった。
それまでテレビタレントやモデルにはプロがついても一般の人(といっても政治家や企業社長さえも)スタイリストはついていなかった。
アパレルでファッションデザイナーだった私は、イタリアから帰国後、デザイナー職のオファーを多々断って、ひとまずモード学園の教師になるが、ほぼ同時に結婚、出産を経験しながら起業した人間だ。
そんななか不治の病(難病)におかされたことをきっかけにファッションで人々をレスキューしたいと考えるようになる。
今となっては、そのきっかけがどうこうよりも、パーソナルスタイリストを創った人、という認知になっていて、その仕事内容も職業名のほうが先行、勝手に一人歩きするようになり、表面的な似あう、をパーソナルに広めた人なの?という解釈が広まっているようにも思う。
起業24年目を迎え、というより還暦間近を迎えて今一度原点に返り、+俯瞰してすべてを見るというmetaに移行。
過去を過去にせず糧として総集結・始動がするのを秒読みとするなか、ラジオ出演のオファーを頂いた。まぁ始動とは ずっと続けているファッションスクールの改定、改正、リニューアルなんだけどね。
よって、リボーンの中身は話せず終わったラジオだったが、ここは外せない、という本質的なところはお話できたと思う。
っていう結構超マジな話なのに ギャル?!!笑
うん、まぁ ラジオだからね。
見えないでしょ、といいながら、実は理由は結構ちゃんとしていたりする。
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まず、千秋さんやディレクターさん、お会いするであろう方々へのコミュニケーションギフトとして。
実際、babaギャルと言っただけで 「いやいや」と言いながらもつい笑ってしまう千秋さんやディレクターさん。大うけしながら楽しいよねと。
そしてなぜギャルか。
もしかして私はギャル元祖かもしれない 説。
(もちろん 自称。笑)
ギャルの歴史をたどれば、元はといえば ヤンキーから発祥したといわれている。
いや 歴史ってほんとうに面白い。
そう、私はヤンキーだった。
というか、それしか「表現の手立て」がなかった中学高校時代。真面目に生きる道、を少し反れたら、生活指導の先生が違反した生徒をぶん殴る、といった世界が普通にあったとおもう。
広島県福山市出身、新幹線が開通するまでは正直「ど田舎」だった。
ちょっと人とは違うお洒落をしたくても、まず服屋がない。
あるのは ダイエーやニチイといった商業モールくらいで、中学生になってやっと鈴丹がやってきた、という具合だ。
イケてる服はないし、学校と部活と塾の繰り返しのような日々。
365日 制服とジャージで過ごしているようなイメージだ。
中学高校青春時代、いわゆる自分の子供を「優秀ないい子」に育てたかった母親は、容姿端麗・成績優秀・スポーツ万能な姉とは違う私を、いつも目の上のたんこぶのように思っていたのだ。
私が「反抗」していたの こういう母親に対してだけでもなく、田舎の閉塞感&世の中全体に何気に腹が立っていた。
ちょっと不良ぶれば たちまち政近さんところの準子ちゃんがな、、と
白い目で見られる。厳しい生活指導の先生は、私の髪の毛を全体朝礼で全員の前で咎め、なんと、断ち切りバサミで私の前髪を切り落とした。
これ今だったらニュースだから!
それから私のヤンキーマインド炸裂。
高校受験はひとまず姉と同じところに行かなければ、自分には一生自由はないと悟り、勉強しまくり合格した後は、なんちゃてヤンキーの道まっしぐら。
タバコもすわないし、特に悪いこともせず、部活(陸上部)で割と真面目に練習に励んでいるという ジャージを脱いだら見かけだけのヤンキースタイル。
自分で制服のブレザーを改造し、スカートはできる限り長く。
心の葛藤を必死で制服に反映させていたわけ。
ヘアスタイルは当時流行の聖子ちゃんカット。パーマ禁止の学校で部分パーマをかけ、毎朝「コテ」でナチュラルに仕上げ、パーマ疑惑で校則違反にならないように工夫する。
ズルズルと長いスカートを腰で5つくらい折って短く見せ、母親の厳しい目をくぐりぬけて家を出る。
電車に乗るタイミングでスカートを思い切り長く。
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部活のときはジャージなんで、まぁ 普通の高校生の範囲
しかしある日気がついた。
あれ、これって全員同じじゃな(広島弁)
ということで、当時誰も思いつくことすらなかった「ミニスカート」で
学校にいった。聖子ちゃんカットをやめ、自分で髪の毛を借り上げ
超ショートカットにし、真っ赤な口紅を塗っていった。
電車の中でも学校でも「狂ってる!」という顔で見られたけど
ヤンキースタイルでいるよりも「これが自分だ」というマインドを知ったのだ。暗い反抗精神とは違う、明るく前向きな清清しい気分だった。
私のことを不良だと思っていた先生たちもこれにはびっくり。
校則にも長いスカートは禁止とあってもミニスカートについては言及が無い。
注意しようにも注意できないミニスカートとショートカット。
そのころ福山に ワイズとギャルソンを置くセレクトショップができたことで、私の運命は変わった。
もし、ミニスカートをはいていなかったら、私は体育の教師にでもなっていたに違いない。
まぁまぁ真面目に部活はやっていたし陸上強豪スクールだったから
そう決めて進路指導で相談すれば、どこかにねじ込んで貰えただろうから。
その後、
ファッションの道に進み、コムデギャルソン、山本耀司の世界にどっぷりはまっていった。シュールリアリズムの影響でガーリー寄りなスタイルを好んだ時期もあるが、精神は完全に川久保玲。
ラジオでは千秋さんがプロフィールを読み上げてくださり、その内容の冒頭に「体育の先生になる予定が、2人のデザイナーの存在により急遽ファッションの道へ」の一文で始まっているので それ以前の話を書いてみた。
このこと自体が この日の私がなぜギャルったのか、私のルーツとの関係性とその表現、他ならないからだ。
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本当の自分
福山のど田舎で、真面目か普通かヤンキーしかいなかった世界に
新しい風を吹かせたのは、たぶん自分が「初」である。
これは言い切る。
だから取材のようなものもきて、そのとき撮られた写真がどこのなんという媒体に掲載されたのかも記憶がはっきりしないのだが
間違いなく「異質」な存在だったことだろう。
その異質さは、人から見たら違和感。でも自分自身にとっては、このミニスカート事件が、ほんとうの私、真の自己表現であった。
実際のギャル全盛期 アムラーに溢れた頃は
私は幼い子供2人の子育てと起業した会社との両立でてんやわんや。
しかしあらためてその頃の写真を見ると、ギャル入ってるかも、なことに今更ながら驚き、笑
ギャル+ボンテージ的な装い、27歳でモード学園の教員になったときは
キューティーと同僚に呼ばれていたのだった。
キューティーハニーね。要するにギャル要素満載であった。
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サングラスを頭に乗っけて、、、ロンゲ 茶髪。ハイヒール。笑 ギャル要素多。
今、そんな娘もこうなりましたがね
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ギャル文化の浸透&流行り廃りすらをこえて、未だにリバイバルしたり新しいスタイルを生み出しているギャルパワーに感服する。
流行は廃れても、スタイルは廃れないというが、そこには必ずマインドありきだということ。
この日の私も、そんな自分の歴史に愛着と敬意も持ちながら、マインドに服を着せた。
渋谷ラジオに到着するまで、少しだけ歩いたのだが、その間だけでも、
何か共鳴する通りすがりのおじちゃんやお兄ちゃん、今時のダンスウエアミックスのギャルたちから、温かい笑顔をもらった。
たぶん、10歳下くらいの、ギャル男出身そうなおじちゃんには
かっこいいね!とウインクされたし (ちょい キモい うける)
還暦babaギャルも、渋谷の街に歓迎されたのがわかる。笑
似合うって何?という話までできなかったけど
ぜひ続きを!といわれたので きっとまたお邪魔するとおもうけど ほんとうに似合うってことは、決して表面的なものじゃないんだよ、ということはいずれ伝えたいかな。
私が周囲とは違い人間なんだ、ということを、反抗心やヤンキー制服でいたときとは違う、真の自分と外見とのリンク。
そういうのが 誰にだって在るものなんだよ、と私は思う。
装いはギフト
ラジオ収録後、千秋さんには 私からクマさんのピンバッチをプレゼントしてね、こんなに小さいものだけれど、千秋さんすっごく喜んでくださったの。
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それは、一見分りやすい クマキャラだから自身でも「自覚がある」とはおっしゃっていたが、それをダイレクトにギフトとして渡した人は、私くらいなんじゃないかなと思うんですよね。
このお話を頂いてから、千秋さんに久々お会いしてお渡しするものって何かな、と思いながら大好きなピンバッチをいつもごとく探していたら出会ったもの。
でもね、わかりやすいクマキャラを「見かけだけで判断したのではない」の。
優しいかわいい笑顔の千秋さんだけど、良い意味の鋭さもある方で、この激しい時代の変革の中で揺ぎ無いアパレルニットブランド事業の継続をされている社長さんなのです。
時代をシビアに察知する感度と鋭さなくしては、その継続は無理ですから。
クマさんて かわいいだけじゃないもの。
そしてもちろん、重要視したのは彼の普段のファッション傾向です。
シンプルなようで流儀あるスタイル、この日も渋カジでいらっしゃるだろうな、と思っていましたが、ジャケットを着た際にぜひ、とお渡ししたら次の日早速こちらの画像が上がっていました。
ビームスの設楽社長とご一緒したのですって。
設楽社長は業界の大先輩、大重鎮でいらっしゃいますが 千秋さんは実は
同じく1965年生まれ。
親近感~~。また お伺いしますね!!
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素敵なナビゲートを、ありがとうございました。
さて、もう間もなく、政近が主催しているファッションスクールの不定期開催告知学校説明会が始まるが、募集をかけるとすぐに定員オーバーになってきた本質的な学びが いよいよ リスタートします。
説明を聞く前に、このラジオをちょっと聞いておいてもらえたら嬉しいなぁ。
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ラジオを視聴してくれた ファッションを学び続ける大事な教え子さんであり、今では多々様々なご協力を得ている山下拓也さんのnoteから
ご感想、など。
読みやすく、美しい文章&組み立て。