「似合う」のゴールは表面的なおしゃれではない。幸せに、心豊かに、自分らしく生きるための内面的な表現。あなたの真の可能性が似合うの本質。
昨日は、ファッション専門学校モード学園での「似合う」の授業だった。
サムネの画像は、帰り際の可愛い生徒さんとの3ショット。ジーンズに付けた缶バッチ一つ一つにも意味があるらしい。
過去、私はたくさんの「似合うを導く診断メソッドやツールを開発」してきた人間だし、本も多々出している。
似合うの法則、素敵の法則、メンズでは、チャンスをつかむ男の服の習慣と
どの本にも、似合うのメソッド公開もし、他10冊ほどの拙書にも散々「似合う」についての言及をしてきた。
なので サムネに書いた「似合うっていったい誰が決めるの?」の、「誰」の一人であることには間違いないと思っています。
だからこそ、いえること。
似合うってね、こういう専門家が、それぞれ定義を作り出しているものでもあって、それは莫大な経験(私の場合は1万人を超えるお客様から分析)
から編み出しているから、ある程度正確な 似合うの目安、法則にはなっているんですよ。
似合うを診断するメソッドや、ツールの開発には お金の時間も相当な労力もかけてきた。
よってその元をとるには(笑)出来上がったその「部分」と「方法」だけを提供し、教えたり、切り売りしたり、あるいは協会などにして広げる人を量産すれば、容易にお金を得ることは可能だったと思う。
しかし私は、今までそうはしない道を選んできました。
私は商売より、純粋に本質的な「ファッション教育」がしたい、それが最も重要だと思ってきただけなのです。
それは、「今期のトレンドは何?」「私の似合うは診断だとこうなった」「メンズフスーツのの掟はこう」というググれば出てくるレヴェルの知識とは違う、もっと本質的で深いものを。
学ぶ人のマインドが「稼げそうな学び」という軽い印象を受けるものではなく 「家庭に浸透していくようなもの」。あるいは個人が「真の豊かさ(贅沢ではない)を服装を考えることから培っていく学び」で在って欲しいと思っている。
例えば その家庭のお味噌汁の味、があるようなに、衣食住の衣を担うのであれば、便利なツールで似合うを見つけるだけのようなものは「伝承」とはいえないだろう。
家庭で培われ、自然と引き継がれていくもの。
その歴史の中に、その人が存在するというイメージ。
よって、普段からよく私が生徒さんに言っている 「見せ方」より「在り方」は自然と身についていくのではないか。
※見せ方より在り方、については、じっくりまた書く。
表面的な似合うの前に なぜそれを着る、選ぶのか?
なぜ袴を着るのか?なぜ破魔矢柄なの?そんなことも伝授して迎えた 娘の大学卒業式の日。かれこれ4年前、コロナが始まったころだった。
彼女は小学校の教師になることが内定していたので、職業的には唯一、今後も袴を着る可能性があることを考慮し、レンタルではなく購入。
実際来年の春
6年生をはじめて送り出す担任となったことで 実際に着る機会を得ることに。またこの姿が見れる親の喜びもありますが
何より 娘が手塩にかけて育てた子供たち、親御さんたちにとって
担任である娘の晴れ姿はきっと 「ギフト」に感じられることでしょう。
※ギフトファッション(R)は 弊社の商標です。またこちらについてもいずれ詳しく書いていく。
記念の日(大学卒業式)には 共に写る私も、それなりに娘の袴姿に合わせ、いつ振り返って見ても美しさがあり 心が篭った服装で晴れの日の喜びを伝えています。こうした行為は 子供にとっては自分が大切に育てられたということも感じるであろうと思います。
この事例で、表面的な似合う、ということよりも大切なことが 多々あるのだということを少しでも感じて貰えたらと願います。
もちろん、その大切な伝承の次には「似合っているか」はポイントになるかもしれませんが、そもそも なぜ袴なのか? であったり
袴はどうして着る機会が卒業式くらいしかないのか?にしても、何も考えずに 「みんなが着るから」では 本当に浅いと思いませんか?
親御さんにしても、大切な子供をどう育てたいのか
衣食住の衣に、あまりにも無頓着でいらっしゃるようにも感じること
しばしばあります。日々のこと、なのに。
幸せに、心豊かに、自分らしく生きるための内面的な表現。あなたの真の可能性が似合うの本質。と、題目に書きました。
たとえばお子さんの晴れの日の姿は全部レンタルで子供任せ。(レンタルの批判ではありません、もうお分かりだと思いますけど)
そこに教育はゼロで、今時のピースした画像だけが残る。
そのこと自体を否定もしません。しかし ベストなのでしょうか?
豊かさとは もっと奥深いものであって、時が過ぎても古くならず、むしろ新しい。清らかで永遠なものなのです。
表面的な 似合うの軽さと闇。
また 具体的には こんな現象が起き出したころ、私はとても心を痛めました。
あらゆる 似合うの診断を全部やったけれど、結局は迷子になって私の元に訪れる人が後を立たないのだ。
それは 迷子というよりも 自分の可能性ってこんなもんなの?
という、すっきりしない疑問が多くの人に残ってしまうこと。
診断結果に縛られ 自分らしさを逆に失った、と感じる人。また診断がすべてになってしまい、ファッションの力は「自分の中身あってこそ、真に生きる」ことも知らないで何十年も過ごしてしまっていたり。
ただ、そのあらゆるツール自体が悪いのではなく、パーソナルスタイリング業界全体を繁栄させてもいった功績であることは事実だ。
同時に、本質的には、問題が起きていることに 誰が注視するのか?
そこを丁寧に解明し、本当に大切なことを伝えていくのは自分のお役目だと思っているのです。
そして自身で開発したテイストから似合うを見出すメソッドでは、決して
結果に囚われる必要はなくむしろ、変幻自在が可能であることを
今一度しっかりと伝えていくことに在ると考えています。
◆ 似合うがわかるが、縛られないメソッド。↓
近道は、遠回り
結果は結果として参考になっても、自分の頭で考えてみたかということ、自分自身がどういう人間なのか?を表現するのが服ですから、「考えて、トライしてみる」ことをまるでやらずに 近道をして
「正解」を求めてしまってはいないか。
そんな「問い」を私は人々に投げかけているのです。
似合うは最初から他者に任せるのではなく、自分で考える力を持つことで
とびっきりのセンスにあふれたコーデができなくとも、点数で言えばトータルで80点くらいの仕上がりにはなることを、誰も教えてはくれない。
まぁ それを言ってしまうと商売にならないでしょうからね。
私の場合は 80点は自分で採るように導いていくことをベースとしています。だから 学校を併設しているし、残りの20点はプロサービスを受けるなり、更なる学びと訓練を続けて自身で獲得できますよ、という考え方。
このように、いたって正直にこのことを公言しているにもかかわらず、サービスにおいては 向こう半年、来年の夏ごろまで、お客様のご予約が途絶えることは無く、スクールのほうも、多くの人にお待ちいただいているわけです。(政近のスケジュールの都合にて不定期開催)→いやほんと、ごめんなさい。
診断による似合うの手っ取り早さは魅力的だし、役に立ったとはじめは思っても、多くの人は 「似合うの箱」に入っていく傾向があり
自分自身と向き合う大事な時間を逆に端折ることになってしまう。
※似合うの箱に限らず、自分そのものの「箱」から出るという概念・メソッドは 弊社のオリジナルです。
言葉にはできないが、「疑問」が残ったまま生きていきたくない、自分の可能性はこんなもんじゃないはずだ、という気持ちが、ファッションの本質から学びたい、という声となって、私の元に届くのだろう。
あなたは誰なのか
だからその服を着るのね
シンプルだが、究極はこうならない限り、服は表面的で、人と比べてはつまらないものになってしまうだろう。
負け感や、あるいは勝ち感(そういう言葉は無いけれど)。
または、そういう感覚を避けたいがために
「人から浮かないように」しているだけだ、という人が一番多いのかもしれません。
もちろん 特にメンズの場合、ビジネスシーンであれば 「戦略」としての「服の効果」が結果 勝ちを生むことはある。今日は、それとこれとは全く
質の違う話。
勝ち感ではなく 価値感。
人の価値は、人との違い。
本来、服は 勝ち感ではなく 価値観が伝わるものであること、そしてその価値は、人との「違い」はどこにあるのか?の表現であることが重要だ。
だから「人から浮かなければよい」という発想は、その真逆。
※ 装いにおける「浮かない」手法は、美しさをもたらす技術としても存在しますが、それとこれとは違う意味の、ただ 自分自身が目立ちたくない、目立つのはダサいという現代&日本人に多い感情の一つ。
いつの間にか、自分が本当にやりたかったことってなんだったんだっけ?
人に嫌われないようにばかり気にしていたら、自己表現なんて機会も
その喜びも遠のいてしまった、といったような くすぶる寂しい人生を送ることになる。
これは、多くのお客さまが私に泣き泣き伝えてくれたこと。
そんな自分に危機を感じてたどり着いたのがが私のところだった、という。
よって、昨日はこんな授業を行ってみた。
似合うの方法を教える前に
君たちの素を知るために。
休憩時間、数名の生徒さんに育ててくれた親の話も聞いて、私の心はマインドフルになった。
想像してみてほしい。そんな時間を。
あぁなんて 素敵な名前なんだろう。
あぁ 君のご両親はそういう人なんだね。
そんな思いで君にその名前をつけたんだね、、
あなたのお母さんは たったひとりであなたをここまで
必死に育ててくれたんだね
強いママだっていうけど、その強さは尊い、リスペクトな強さだよね。
生まれたとき心臓に穴が空いていたから、生きてと願うように、
「叶」という字が付いているんだね ひたすら、生きてって願ったんだね。
何もかもいろいろできなくていいから、たった一つでも何かに夢中になってできるようになってほしいから ○○とつけたって聞きました。
→ 君はそんな風に生きているね。少なくとも先生はそう感じるよ。
想像してみてほしい。
こんな話を聞けて、若い彼らと深いところで対話できる喜びを。
似合うを診断しただけでは 得ることが決してできない感情が湧き上がる。
生の「彼ら自身」に触れていく発見。
心底彼らが愛おしく、マインドフルで豊かな3時間半だった。
芯のようなものと、「素」を感じたプレゼンテーション。
いつもは何か照れて、自分自分的なオーラを決して出さない現代の若者の風潮とはまるで違う。
そう感じたのは、ともに登壇する西畑も感じていたと思う。自分のことを話すだけならテキトーにプレゼンをしていてもいいわけだが、育ててくれた親への感謝、あるいは独特な感情があるから、昨日の彼らには「芯」「核」のようなものがあったし 「素」を感じた。
親が付けた自分の名前と生き方(持ち味)というのは深く繋がっていることが明確だ。たくさんの人を見てきて確信があることのひとつでもある。
それはファーストネームだけではなく、苗字もそう。
生まれ育った土地と関係が深かったり、その家族で語り継がれてきた大切なルーツなども関係している。
そこから掘り下げて、顧客たちに服を着せることはよくあることだ。
なぜこの人の思考はこうなのか。なぜこういう性格なのか。
なぜその道を、いくのか。
それは なぜその服を着ているのか?に繋がる大きなヒントでもあり
過去の土台を確かめながら、未来へ羽ばたいていくには重要なことだと
私は日々感じている。
(注・すべてのお客様に、名前の由来を聞いているわけではありません。
一人ひとり、私はすべてヒヤリングも診断も変化します)
かわいいみんなのプレゼンを聞きながら、君たちの真の持ち味が、この世の中でちゃんと生きますように。可能性が全うに表現できて、存分に自分らしさが発揮できますように。服も含めて、そう願う。
一方で、西畑には「似合う」を外見と内面からアプローチして診断する、政近メソッドのツールを使っての授業をやって貰った。
彼女は、後進の中でもダントツ一番、テイスト診断などのツールを使いこなしてきた人物だ。
あるとき、私にこう伝えてくれたことがある。
「私は、このテイスト診断が無かったら、サービスを行えなかったし
パーソナルスタイリストにはなれなかったです」と。
これから続く人たちが途方に暮れないために。
パーソナルスタイリストは、それを名乗るだけの人を輩出するのは簡単だ。
しかし、いざ 自分以外の人間で、スタイリストを志願する人がサービスを行おうとしたら、私のファッションのまつわる頭脳と心、培ってきた経験を「目に見える形で創造する必要」があった。パーソナルスタイリングを診断から構築できる方法を作り出さない限り、学ぶ人は途方に暮れるだろうと考えたことから、テイスト診断を生み出していったという経緯がある。
ツールを使い、やり方を覚え、何百人もの方の似合うテイストを診断してきた西畑は、適切に、確実に、信頼できるプロフェッショナルになっていった。(現在 ファッションレスキューから立派に独立していますよ)
西畑の場合、確実に効果があるテイスト診断をベースに、私のそばにいて
培ってきた「感性」の部分も鍛え、 奥深く「考える」ということから逃げず、今もこうして共に登壇するだけではなく「自らも学ぼう」とする在り方からしても、尊敬&信じられる人物。
西畑のようなスタイリストを自分がいつかあの世にいっても遺せたことは、ありがたいことなんだが
世の中の全体的なパーソナルスタイリングのイメージが、○○診断の結果を纏わせる、ということが基準になっている浅さが否めないことは
正直残念にも思っているし、だったらどうする?を一生をかけて改善していこうと思ってます。職業を創った人間として。
どんな時代も、結局は手っ取り早いものは便利だが、差別化はできず威力が無いですよね。
私は 遠回りが一番の近道だと信じて疑いません。
その時間とトライの繰り返しの中で、代わりがいないオリジナルが生まれていくということを。人も、物もですね。
あれ? ジーンズと、あなたのカラーの話は?と突っ込みを入れたい方々、、この日は 生徒だけじゃなく、もちろん私も西畑もドレスコードを纏っての登壇です。
ちなみに、私自身、変幻自在に色々服を着ますが、それはTPPOSMにあわせて七変化しているのであって
自分の軸となるスタイルには ぶれがありません。
今日会う人への思いやりや仕事の成果、を考えれば、スタイルは一つというわけにはいかず、でもそれ自体を私は楽しんでいるんです。
※TPPOSM は 下のデニム記事をはじめ、あらゆるポストに登場している、政近メソッドです。
そう、私の定番スタイルは 一言で言えば
デニムです。広島県福山市出身、というだけで なぜデニムなのか
わかるひとにはわかるでしょう。
デニムは私のDNAに入り込んだ、一番落ち着く「素」材なので。
デニムはもちろん、デニムだけではない私の定番達は、たとえば革ジャン。ライダース姿もそう。なぜそれが定番なのか?はデニムのほうは書いていると思うのでリンクを張っておきます。
自分で言うのもなんだがやっぱ 似合っていると思えるんだよなぁ。笑
ひじょーにリラックスでき、自分らしくいられる。
こういう発言
若い生徒さんたちに ドン引きされそうですけどね、、、笑
山下拓也氏の要約
この投稿を読んで下さった、山下拓也氏のご感想(本人は要約、と言っている)を掲載致します。
彼は、私が主催する「ファッションの本質を学ぶ学校」MFJ の生徒さんであり、かれこれ学びをはじめられて約2年の月日が流れました。
昨年は日本を代表するブラックタイパーティーにもご一緒し、だんだんと学びが深まり、いい感じに熟してこられています。
パーソナルスタイリストになるための学び、ということではなく、自らの価値観でマインドとファッションを探求している方で、普段は誰もが知る一流企業の管理職を担っでいらっしゃるんですよ。
そんな 拓也さんは、私の授業を受けながら上質なメモを取り、誰よりもスピード感を持って分析、端的に纏めることができる方です。
そして、ただ内容を要約するのではなく、そこに自身の見解がプラスされることで、私自身も日々アップデートされているという ありがたい存在なのです。
以下、山下拓也氏のこの内容を読んだ上で弊社スクールMFJのSNSにアップされたご感想をそのまま添付致します。
私のポストは つらつらと長すぎて、で?なんでしたっけ?となり易いところに 彼の要訳があれば ようやく(親父ギャグか)理解が深まる、というものですね。
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noteの感想 山下拓也
◆勝手に要約:
①「似合う」を誰が決めるか→ある程度までは"正しい(合理的な)技術知見"があるが、そこから先は「自分」で決める。自分の「似合う」を決めることは、すなわち自分の価値を自己決定することである。
逆にある程度までは合理的な知見があるのだから、それを無視はしない/利用しない手はない。
②「これが流行っている」「皆が着ているから」は、「他者との違いがその人の価値」とは真逆。
「自分で考える力を持つことで80点くらいまでは到達できる+更なる学びと訓練を続けて自身で100点に近づくことさえできる」=これが「教育」。
「80点くらいまで行く部分を、考える力でなく結果・知識を教えることで代価を頂く」=これが「商売」。スタンスの違いではなく、立脚する領域/価値観が大きく違う。別モノ。
③「先人が編み出した正しい技術知見を無視して我流では進まない、かつ、かと言ってそれに頼ったままでは突き抜けない」という構造は、ユーザ側もそうだが、スタイリスト側も同じ。
『サービスを受ける側だけでなく提供する側も相似の構造を内包している』という事実は、「ファッション」というものが「自覚・自問→自分で答えを出す(再現性)+そういった人を増やす(拡張性)」のテーマであることを意味する。
つまり「教育/学び」の分野である、という結論に戻ってくる。
"自問自答"は「哲学」に近いところがあり、だから「マインドと両輪」と言っている。一見、遠そうなもの(あるいはスピリチュアルなり怪しさ)を感じるが、親和性が非常に高い、という理解をした。
◆特に重要な受けとめ:
1.我流より素直に受け入れて習う→しかしそこから突き抜けるのは自分、提供側との相似性、に、非常に納得。自身の特性として「構造」を見つけると、その対象への理解が深まる。
2.「80点まで自分で考え、20点はプロ→自力で獲得できる」「家庭でそういうことを教え考えられる世の中にしたい」が、まさしく教育家の思想であり、政近代表の本質の一面だと受けとめた。(ビジネス・商売スタンスと、どちらが善悪というわけでもない)
3.構造や再現性を追求する、自分の価値は自分が決める(人に評価を委ねない)、教育(=自身がいなくなった知らないところで何か残る)は、自分の中で優先度が非常に高い。
MFJに入って良かったと改めて噛みしめた。同時に、政近代表の話や発信してること、学校内での活動を「なぜ快と感じるか」の再確認にもなった。
4.「自問できる自答できる能力(習慣)」は価値が高い。手に入れたら以後 数十年使えるからだ。
だから、「本人への問い」を提供できる講座は、単価が高い。"知識”を教える講座よりずっと高価で、ずっと数がすくない。
(追記)
『自分の可能性ってこんなもんなの?という、すっきりしない疑問』の1行に、あーーーー!っと心の中で叫びました。ぼんやり感じてたことはこれだ、と思えた瞬間。
『勝ち感ではなく価値観』には大きくうなずくと同時にニマニマしてしまった。
以上になります。
山下拓也氏のお人からも感じてくだされば嬉しいです^^