三宅一生 追悼授業で、私が着た服。デザインは希望を表さなければならない。遺されたものは、愛だった。
ファッションデザイナー三宅一生氏が亡くなった。相次ぐように森英恵先生が、、。正直、意気消沈したが、我がスクールでの授業で、イッセイミヤケを学ぶ時間を作ることが、私にできる、せめてものお悔やみであり、感謝の気持の行動だと思った。授業があったのは、悲報を報じられて4日後。途中涙声になってしまったが、伝えながら氏の功績を称えつつ、ググればでてくるような「情報」ではなく 同じ広島人として三宅一生氏から受けた影響や10代で初めて自分のお金で購入した彼の作品を見せたりしながらの、魂の授業をさせて頂きました。
授業の内容は、まさかの悲報だったため、他の授業内容を用意していたのは当然で、その授業+一生氏への追悼授業をしたため、夜8時から始まった授業の終わりは夜中2時前。総勢41名の、MFJマスターコースの皆に伝えたかったのは
結局は「愛」なんだと思う。
その授業内容が聞きたい、と思って、このnoteをご覧になって下さった皆さん、ごめんなさい。出し惜しみというわけではないのだが、タダで観覧できる秀逸なものもあるので、まず基本はそこからで 十分です。
私の話は 生身のお話。ぜひ私の講演会やスクールなどで、顔を見ながら聴いてほしいなと願います。
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▽仕事・作品の視点から
私が行った授業では こちらの3人の巨匠の話や
絶対外せない広島の話、あれこれ。平和記念公園の建築物に大きな影響を受け、デザインの道に進んだ一生氏。日本の建築界の巨匠 丹下健三氏の作品ですがノグチのデザインが、建設直前で却下、、この話をするなら イサムノグチの授業をやらなくてはならないほど長くなるので、授業では割愛。
三宅一生氏は被爆者だった。
そのことは長きに渡り公表されることはなかった。
しかし、晩年 オバマ元大統領に広島のあの橋を渡ってほしいとニューヨークタイムスに執筆。実際 橋は渡ってはいないが、広島への訪問が叶ったのだ。
この日私が着用していたのは イッセイミヤケの黒モックネックタートル。モックネックとは、タートルより少し低い高さで纏わりつかないラインのネックラインのことを言うのだが、まぁ ジョブズが愛用した、黒タートルで、巷では通ってます。noteに残すには、ちゃんとした名称も。
ジョブスと同じスタイルの イッセイミヤケ・オムのもの。
正式には ジョブスはサイズなど特注なので、ジョブスとまったく同じとは言えないですが、授業では同じ、っていっちゃったかなぁ
以下 弊社スクールでも講師としてお招きしたこともある ケン青木氏との
FBでの会話を転機します。FBにてnote更新のポストをしたところ、このようなコメントを頂いたので、シェア。本物の知見には、学びしかないです。
そして、私からの返事。
授業を受けた生徒さんのご感想から、何かを感じて下されば幸い。
氏はきっと、自分の話だけではなく、ファッション、装い、デザインに纏わる本当に大事な沢山のことはもちろん、ファッションを語るなら逆にファッションを語るなとも仰りそう、、、。
そんなことにも思いを馳せながら。
この日の授業で心に残ったこと。生徒さんのご感想から。
※ 感想と使われている写真は人物が異なります。
イッセイミヤケに触れた部分の感想+ 他はどんな深い授業がなされているのかをご想像下さい。
授業は5時間半で、イッセイの話は1時間弱。正直、氏の話だけの追悼授業を行いたかったくらいだ。
Eさん
・イッセイミヤケさんは授業に出るだろうと思って事前に調べてみたけれど、自分で調べられた内容はすごく表面的で薄かった、、日頃からの意識が改めて大事で付け焼き刃ではスタートラインにも立てていないと思いました。
・制服のところは興味深かった。数年前仕事で任天堂さんの本社オフィスにお邪魔した時、同じように社員のみなさん作業着を着ていらっしゃいましたが、その時私は特に何も感じなかった… ⇒ (私がソニーにお勤めの顧客さんにお願いし、当時の作業服の写真を入手し、PPへ投入。)
・IT業界にいるものとしてジョブズの話はやはり面白いし社内のエンジニアや海外のexecutive の服装に思いを馳せたりしました。
・ちょうど最近部下の部下からキャリアについて相談を受け、目標が遠すぎるからギャップを認識して半年で達成すべきゴールをまず設定しよう、という話をしたところでした。それなのに自分が全くできてなくてどの口が言うかと恥ずかしくて顔から火が出そうでした…まだまだ本気で向き合えていなかった、というか、どこかで仕事とは違うと思っていたのかもしれない。
・公開コンサルでクラスメイトに対して私も質問が思い浮かびましたが、自分に対して質問できない、自分を客観視することの難しさを再度認識しました。。
・ボディに関してファッションと結びつけて考えられていなかった。ジムは月8回コースで通ってますが、何のために?と考えてみると、体力勝負な毎日を過ごしているのでひたすら体力をつけるため、でした。三位一体で考えられていなかった。
Jさん
本日受け取った事:
8月5日に亡くなった巨匠・三宅一生氏の思い・原動力・姿勢・業績、影響力、人を遺す。
「一枚の布」「破壊されたものではなく、創造出来るもの、美と喜びを満たすものにした。」
一枚だけ持っている三宅氏のPleats Pleaseの黒のトップス。これは私が日本人である事を意識するパーティーでここぞ!と着る大切な一枚。
課題で訪問先をヒロシマを選び、そして今日は母の命日。今日はこの服以外は考えられませんでした。
もっともっと、深く・広く三宅氏やその周囲の人たちについて学びます。
あなたは練習したのだろうか?
覚悟しているか?
私の生活とは?
やったか、やらないか。確実にやれば素敵になる。
これからの10年、その為の今日からの半年、そして今日何をしたか?
本当の意味の存在感
自分との闘い
学んだ人としての影響力はあるか?
選ばれる人になる。
どこに向かって進むのか。
毎日の積み重ね、毎日1ミリでも成長しながら、一生かけて勉強します。
このような場を設けて頂いて本当にありがとうございます。
Tさん
(イッセイミヤケ)
・プレゼン:ほかの皆さん何名か、リアリティあり、かつ「その人が企画する意味」が出てて気づかされた
・イッセイミヤケ氏:レジオンドヌール勲章コマンドール。存命中にブランドそのものを若い人につがせた・・・知らなすぎ
(マスターコースでの在り方)
・ほかの人と対話しろ 研ぎ澄ましていく SNSをうろうろしてもしかたない 誉めあってても何も生まない
・面談+課題+振り返り→3人でぎりぎりまで想像を超える議論
・目標に近づくための「今日の1ミリ は何ですか?」と言いたい
・TPPOSM を最初にやれ!!心理学の学校に入ったわけじゃない
・「装いはギフト」とは?←→「自分は何者?」を追求しすぎて忘れる
・毎日やれば確実に素敵になる→ASK あなたは練習したのだろうか?
・坪井さんの変容:似合わないからとかキャラじゃないからとか言い訳せずに コミュニケーション取れるようになった
(課題と面談後の気づき)
・①自分ごとと捉えられるかどうか ②自分は出なかった(よかった、とか残念とか)ではない で今日の授業の価値が100倍変わる
・どのぐらい本気なの?今日からの半年でどのくらいアクションプランを実行してるのか?
・掲げた目標になる覚悟はあるか?
・ドリームキラー→エコロジーチェック(生態系のチェック)「実践する人を止めることはできない」
・無理じゃないか→みんなにあること
(マスターコース、クラス分け)
・マイスタイルの構築、日常の写真は100回ぐらい軽くやる
・主催者がどういう人、何を学べるか?お金を支払ってでも参加したいか?その人にしか企画できない影響力?
・みんなすごかった と落ち込むようなチンケな考えにおちいる必要はない
・嫌われてでも「やれ」って学校が言ってくれる そんな場所があるか?
・ひとりだったらちゃんとやるのに つるむと 変な方向へ流れる
(延長戦:質問タイム)
・言葉ひとつ 気を付けたほうがいい
・信頼感を、服装で伝えるの?服装で判断するの?
・時間の使い方、写真の撮り方、表の投稿、
・自信があるとはどういう状態? 「状態」である
・誰の言うことを聞くか を決めてしまう(あとは聞かない)
・すでに柱になったつもりで毎日過ごす 誰の投稿に「いいね!」を押すかも含めて
・私のおすすめは絶対だけど、うのみにしちゃダメ、自分で判断すること。
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<今日の個人的キラーフレーズ>
3位:「今日の1ミリ は何ですか?」
2位:時間の使い方、写真、投稿、「いいね!」もマネジメントする
1位:嫌われてでも「やれ」って学校が言ってくれる そんな場所があるか?
特に1位は「ほんとコレ」。MFJだけではないけれど、一級の"価値ある場所"の共通項。そして、当たり前だけど、めったにない。
Hさん
三宅一生氏のご逝去に際して。
PLEATS PLEASEとオバマ元大統領にレターを出したこと。自分が知っている表面的な情報の裏にはどれほどの真実があるものなのかと。ググった情報は知っていることにならない。真実を知るには、はたして時間が足りるのだろうか、と一瞬気の遠くなる思いがしました。だから誰から学ぶか、が大事になるのですね。録画を見た翌日に、森英恵氏の訃報を聞き、今まで味わったことのない喪失感に自分の価値観が少し変わったことを感じました。やっとファッションが少し身近になったということだと思います。
三位一体。スタイルを確立すること。そこに服をのせるということ。ファッションの本質を学んだ人として、これからどのように生きていくのか。自分を客観視する大切さ。あらためて服だけを切り離して考えることはあり得ないことを認識しました。
イッセイミヤケ追悼スタイルな私も、この日の課題にあわせ ベースはスティーブジョブススタイルで ブラック&ゴールドな小物で自由に遊んでいる。(この日のドレスコードの一つが、ブラック&ゴールド)
講義の様子は、こう。
楽しい学校でしょう?深いんですよ。ほんとうに。
着こなしについては、、服装は基本があれば、いくらでも応用が利くんです。ミニマリズムは究極にすべてを削いだものになりますが、実は
ジョブスだけが有名なのではなく ITではザッカーバーグ、ファッションデザイナーも、実は多いんですよ。
例えば アルマーニにしても あれだけのコレクションを発表し続けていても自身はいつも同じ。川久保もライダースが定番だし。
その基本ベースのマインドや服装の考え方、何を買うか?がしっかりしていないひとは、あれこれブレまくります。
服が増えて仕方が無い上に、あなたは誰?という「ひととなり」がまるで滲み出てこない。
しかし 一般的に普通に暮らしている人たちにとって、究極のミニマリズムは 憧れても安易に手を出すと 単なる無難な人になるので、本当に注意が必要です。やはり 人間の中身、人生経験が必要かなと。
この 削ぐ&ミニマリズム
については また別機会に、しっかり書きますね。
イッセイミヤケが遺して下さったこと、もの、人は すべて私にとって、愛でした。
私はイッセイの商品を40年は着ているし
プランテーションのショールは永遠に暖かく、時にソファーカバーにまでなったりもする優れものだ。
ミヤケイッセイの存在があったからこそ、大きな影響を受けながらファッションデザイナー生活を送り、スタイリストになってからは、大事な顧客に幾度となく薦めてきたブランドでもある。
一枚一枚の服にストーリーがあり、その服を纏う日のシーンは
忘れられない思い出になっていく。
プリーツプリーズの作品に関しては、運営するファッションスクール
パーソナルスタイリストジャパン(現MFJ)の生徒さんたち全員に、私が所有するイッセイを着せ、それぞれのスタイリングを「これが自分」となるように完成させたりもしてきた。それは同じくギャルソンの作品でもそんな授業を行い、一流の創作に触れるというかけがえのない時間を提供してきたのだ。
たとえ私の服であっても、その人に自分が在れば、自分になれる服。
自分がなければ服に負ける感覚を知ることはとても重要な学びだ。
そして氏は プリーツプリーズシリーズを発表する時、こんな名言を残しています。
私も
コインランドリーでは洗ってはないけれど、自宅の洗濯機で何度も洗ってきた。⇒ 本当にへたらない。
この発明は本当に「愛」だと思う。
この功績は 世界中の人々が愛用し、おそらく捨てられる頻度の低い服としても、環境を考えた地球への愛に溢れています。
私の周囲でも、捨てない服ブランドを問うと イッセイミヤケという業界人も一般人も群を抜いて多いと感じますね。
実際 何度も洗いながら永遠に着ている気がすると。
人を遺す。
そして イッセイが遺した最大の愛は、彼のクリエーションに触れてきた
お弟子さんたちであろう。
私自身、まだまだ微力ではあるが、
2001年にパーソナルスタイリストを創始し、ファッションレスキューでは多くのスタッフたちが働いてきてくれました。
今も 以前の働き場に「ファッションレスキュー」を記載し、出身校に
PSJ「パーソナルスタイリストジャパン」を掲げて、独立し活躍目覚しい
元スタッフや教え子さんたちが全国に散らばっています。
本当に、活躍するとは自己満足レヴェルではなく
社会が認めるプロたちであり、本の出版を遂げたり、真にお客様のお役に立って 学びと経験の根っこをこの世に遺してくれています。
また今運営しているスクールMFJでは 学びを続けるメンバーが
いよいよあと半年でマスターコースを終えて社会に飛び立っていくところまできました。
いやぁもう ここまで長かった。!!
私は彼らに上質な問いを残し、人を遺していきたいと真剣に取り組んでいます。それは正直 甘い世界ではないのです。
(パーソナルスタイリストのプロスクールではなく、どんな方でもファッションを学べるスクールに改定・進化させています)
自分自身がそれぞれ自己に向き合い切磋琢磨したこと自体が、この世のなかに影響力を持って行くのですから
甘くないのは、まぁあたりまえですね。
ベーシック・アドバンスクラスを終了した マスターコース、だし。
また、私がイッセイミヤケに魅了されるのは、彼がただ才能だけで、楽しくファッションをやってきた人間ではないからでしょう。
長く語られなかった原爆のこと、彼自身が被災者であること、そんな原点があるからのこそ 彼は美しさと明るさを形にし続けたのだから。
ファッションの学びは 自分自身の発掘であり、そして問いなのです。
自分から
逃げるか
向かうか
その後者である人たちにはきっと、イッセイミヤケに限らず、名だたるデザイナーの作品が似合うようになるだろうし
たとえ ファストファッションなど、リーズナブルなものを着ても
そのアイテムが安っぽくなく着こなされ、物の価値以上に上質に見えるものです。
古着を着ても中身が新しければ、古着が新しく新鮮に見えるように
大事なのはすべて マインドなのだから。
私はそのような人を育てたくて、学校をやっているし
私自身が人に伝えることがあるのも
こうした尊敬する先人たちが、愛を遺して下さってきたからなよなーと。
では 自分はどう 在るか。
その問いが日々の装いに全部出るものだからこそ。
私も残された命を何に使っていくのか、ぶれず迷わず、かといって時代の流れに気持ちよく乗れるように、
世界を、業界を牽引してこられた先人たちに恥ずかしくないよう
生きていこうと思う。
三宅一世氏のご冥福を心からお祈りいたします。