自由奔放な服を着れば、自由になれるわけではない。ファッションはあなたをセクシーにすることはできない。個性的な服を着ても、個性が手に入らないように。
無個性になるのは、服のせいでも 職業のせいでもない。
「ファッションはあなたをセクシーにすることはできません。経験があなたをセクシーにします。想像力が人々をセクシーにするのです。あなたは自分自身を磨き、学ばなければなりません。そしてあなた自身の人生を生きなければなりません」
山本耀司はこういっている。
あぁこれ、すごく共感する。
パーソナルスタイリスト暦22年。
表面的な似合う、がサービスになり脚光を浴びて本当にたくさんのメディアに取り上げてきてもらった。でも、なんか違うんだよなぁと思っていた10年位前、NHKの きわめびとに2週連続出演することになって、その違和感を含め、仕事の真実を世の中に伝えた。
人間の中身を表現できなければ、表層的に似合うを形作っても
長くは続かない。
ちょっと褒めらたり 見栄えする服に身を包むけど どんどん自分の本質からは離れていく。そんなことが起きるのも服だ。
22年前、ファッションの世界に初めてカウンセリングというサービスを設けたのは、弊社ファッションレスキューだ。
なぜファッションにカウンセリング?
必要ない、そこはなしで買い物だけ行ってください、といわれ続け
それでも、なぜ話をすることが大事なのか?を伝え続けていた。
そんな中でのきわめびと、オファー。
ビフォーアフター番組には多々出演していたけれど
その変わった表面での驚きがゴールな設定では なかなか本質は伝わらない。
きわめびとでは、「きれいと言われたい」という主婦の心に向き合っていく内容で2回放送・40分間が放送された。
放送後の電話はなり続け、
抱えていたスタッフたちも、きわめびとからくる人々の対応に追われた。
私は彼女を驚くほど変身などさせていない。
言ってしまえば わたしはもう このときから持続可能なファッションを提案していた。
きれいと言われたい と思う心の背景と影。
きれいになりたいひとに 綺麗な服を着せれば ある程度きれいにはなる。
その変身に驚いてきれいとも言ってはもらえるだろう。
セクシーになりたい人に、露出する服を着せれば セクシーに見える可能性は高い。
わかりやすくイメージ表現をするだけなら スタイリストには苦労などほぼない。服に頼るだけの服の着せ方なら 中身は誰だっていいのだから。
だからそんなことに、私はほぼ意味がないと思っていた。
例えば自由に生きたいと思うとする。
しかし自由奔放な服を着せれば 自由になれるわけではない。
自由は実力と並行する、ともいえる所があるし
会社にもよるとは思うけど いきなり何も仕事ができない新入社員が
あまりにも奔放な服装であれば 任務を遂行できるようには見え辛いだろう。逆に自分を追い込みかねないのも服だ。
教員である娘が、1年目、2年目、と実績をつみながら 徐々に服装も自由度が増している姿を見ながら、服と社会性と自分との折り合いをつけながら周囲とのコミュニケーションも大事にしていることもわかる。
彼女が先生としての社会的な役割を果たしながら、周囲に馴染むスタイルでいたとしても、そこに滲み出る何か、が個性なんである。
先生だから、こんなもん。目立っちゃいけないし、気分も上がらないけどと無個性になるのは、服のせいでも先生という職業のせいでもない。
自分はこういう人間だという『色気』は、どこにも売っていないもの。
山本耀司が言うセクシーもこんな 意味合いなんだとおもう。
セクシーとは日本では 伝わっている意味合いが浅はかに感じるところがあるが世界的には、もっと奥行きの在る褒め言葉だ。
自分自身もセクシーでいたいと思う。
だから自分を磨くし、酸いも甘いも、歓喜も苦悩も経験する。
学びつくし、味わいつくす『場』の提供もしているし
そこで生徒に教えながら 自分自身が一番学ぼうとしていると思う。
セクシーに生きたいからね。
そして 自由に生きるために。
この写真は 人気アイドルグループでセンターだった彼女。
同じ衣装を着ても彼女だけが特別だった。
noteは若い人にも触れて貰いたいので 若い方の画像も。