多数的な世界とは違う世界に生きている人たち
世の中は、どんどん多様化を認める傾向があるけれど、まだまだ多数的な世界と、そうでない人たちの世界との間には、見える壁/見えない壁があると思います。
アメリカに住み始めてから、そして、ヨガを始めてから、かれこれ20年くらい、
たくさんの
「え?違うの?わたし?」
と感じる体験があって、もう「普通」という(自分が思う)考え方と違うものが現れても、だいぶ慌てなくなりました。まだ修行中ではありますが!
相手が自分と違うからといって、相手ばかりを尊重しなくても良くて、自分のことも大事にしないといけないということも学びました。
6年ほど前から、special education と呼ばれる普通クラスに入れない子供たちが属するクラスで働いています。スペシャルなサポートが必要な子どもたちです。
初めて生徒たちを見た時、自分自身を見ている気がしました。
日本で育ったわたしには、アメリカで子育てをしながら生活することは、時に、本人は普通にしているのに、「普通クラスには入れない」みたいな感覚があったのです。常に、見えない壁が、自分の周りにあるような。
そして、当時息子が小学一年生、その年齢の成長基準(大多数の人がいる場所)に達せず、どこか焦っていた自分がいたのも、わたしが心惹かれた理由のひとつでした。
なにかの基準と比べなくても良いんだ!
その子どもの “生まれたままの存在“ を、しっかり受け止めて、それぞれのペースに合った成長をサポートしていけば良いんだ!
と、とても感動したのです。
今は、それぞれ違う子どもたちのペースを尊重しながらも、基本的なことを気長に教え… 日々成長していく姿を見ることに喜びを感じています。
で、今日は、とある生徒のお母さんから、キーホルダーをいただきました。
その方は、とても愛情深いお母さんで、支援が必要な自分の子どもの存在をしっかり受け止めて、守り育てようとする覚悟を半端なく持っている方です。
キーホルダーにあったその言葉、、、周りの人たちの力を借りて生きている、という謙虚さ、周りの人たちへの感謝の気持ちに溢れていて、思わずジーンときて。。。
そんな心境になるまで、いったいどれだけ思い悩んだのかな…
わたしは時に少数派であり、時に大多数派にもなる。
どちらにいても、同じ自分でありたいと思っています。