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意外としらない感情の扱い方
わたしたちは育つ過程で、感情を感じることは悪いことのように学習してしまいました。
男の子ほどではないけど、小学生くらいになれば、学校で泣くなんて恥ずかしい、と学びました。
社会人になれば、効率や生産性が求められ、男性と互角に成果を出さなければ、と頑張りました。
わたしは、本当はとても感受性が強いのですが、そのことはできるだけ隠すように生きてきました。
ですが、感情を感じないようにすれば、感覚をまひさせることになり、引いては喜び、嬉しさも感じにくくしてしまいます。
そして、きついな、苦しいな、と思うことまで麻痺してよくわからなくなってしまいます。
だからどんどん、本来の私から遠ざかりました。
でも、そもそも、わたしたち、人間に生まれたということは、地球でたくさん感情を感じたかったんですよね。
わたしたち人間の特権ですから。
そして、これからは感性の時代でもあります。
感情を感じきると、どんな良いことがあるでしょうか。
最近わたしは、悲しいという感情をよく感じます。
以前はあまりなかったように思うのです。
そして、じぶんでわかっているのですが、その理由は、悲しみの代わりに怒りをたくさん感じていたから。
怒りを感じていると、その感情は、ダイナミックで、ある意味情熱的でもあります。
怒りは、悲しみという感情を隠すためのマスキングの感情なのです。
「あの人がこれこれしてくれなかった!」
と怒っているときは、その下に、
「こういうふうにして欲しかったな。大事にして欲しかったな。悲しいな。」
という気持ちが隠れています。
そして、散々、パートナーとぶつかりました。
怒りをぶつけるから、怒りで帰ってくる。
「これしてくれなかったでしょ!」
と言えば、
反発する言い訳が返ってきます。
悲しいなあ、を感じきると、
「わたしあんなふうに言われると悲しかったんだ。こうして欲しかったんだ。」
と、だんだん素直に表現できるようになってきました。
そうすると、ケンカになりにくいみたいです。
そして、誰かに理解してほしかったら、じぶんでじぶんを誰より理解してあげること。
あのとき、あれが悲しかったんだね。
あのときは、こう言いたかったんだよね。
わかってるよ。
そうだよね。
という自己理解がすすむと、不思議とまわりのひとも理解してくれるようになるから。
だから、誰よりもじぶんを最初に、そして1番大切にすること、それが大事なんですね。
わたしも学びの途中。
今でも、わたしの気持ちを尊重したようで、あの人を傷つけたんじゃないか、と苦しくなりがちです。
でも、わたし自身に寄り添う、を日々日々丁寧向き合っていくつもりです。
一歩一歩。
ちなみに、今振り返ると、パートナーと怒りをぶつけあったあの頃も、愛おしいひとときです。
お互いに怒りとその下の悲しみを抑圧してきていたから、怒りがたまっていて、吐き出しあえる、甘えあえる関係性を求めていたように思えます。
怒りを表現させてくれたパートナーにも感謝です。
感情を感じきること、そしてその感情に寄り添い生きていくことが大切なことで良いことだとしたら、あなたはどんなことから始められそうですか。