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才能が芽生えてきた
じぶんには、通訳の仕事をやるしかない
と思っていました。
それしかできることがないって思っていました。
だから、じぶんを追い込んできたのに、めまいがひどくなりすぎて、もう無理だ、となって強制終了。
それからの落ち込みもひどかったです。
体調回復したら、通訳の仕事に復帰しようと思っていたけれど、空まわりするばかり。
面接や試験でまったく受からず。
それがわたしのアイデンティティ
それがわたし、と思っていただけに、どうしていいかわかりませんでした。
そうしてこうして、今は、フリーで仕事を頼まれても、わたしが頑張ってやってきた技術通訳はお断りしています。
一度、クライアント様でもあり、飲み仲間でもあった友人からお仕事を頂きましたが、
パフォーマンスはぼろぼろで、とてもありがたいお誘いだってことはわかっていたけど、次からお断りしました。
1日10万円の、わたしにとってはとてもおいしいお誘い。
通訳からはほぼ遠ざかり、の日々です。
この頃は、じぶん責めをやめて、じぶんねぎらい、をはじめています。
もう一年くらいになると思います。
ずいぶん板についてきたかな。
じぶんを責めないで、じぶんを追い込まないで、
じぶんに優しくする。
そして、最近、
わたしにはたくさんの才能がある、と思いはじめました。
わたしなんて、と思っているうちは、誰かにすごいねって言われても受け取れませんでした。
いえいえ、わたしなんて大したことないんで。
パートナーに、あなたはこういうところすごいよって言われても、
いやいや、そんなことやりたくない
みたいな全否定。
最近は、あ、わたしのこういうところいいんじゃん。
わたしの才能なんじゃん。
表現力あるじゃん。
けっこうクリエイティブじゃない。
いいねいいね、と思います。
こんなこと、書くなんて、恐れ多くて、ちょっとまえだったらできなかったでしょう。
今は、書くことくらいいいじゃない
誰かに言ったっていいじゃない
言って、相手が同意してくれなくたっていいじゃない
わたしがわたしのことをわかっているし、認めているんだから。
これはわたしが、他人の顔色みてばかりいた他人軸から、
わたしを生きる、の自分軸に変化してきた出来事でもあります。
だけど、過去のジタバタ劇も、必要だったんだなあとも思います。
そこからじぶんを励ましていけるようになる、このプロセスに価値があったと思うし、
わたしが過去感じていた同じようなところに、いま現在進行形でいるひとを勇気づけることができるから。
すべては宝ものでキラキラしています。