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武家屋敷の幽霊~私の心霊体験~

のお盆シーズンになると毎年、心霊にまつわるTV番組が放送されます。私の小さい頃は怖いもの見たさもあり、毎年それを楽しみにしていた部分がありました。しかし、ある出来事をきっかけにそういった番組を一切見なくなってしまったのです。

この世とあの世との境界線というものはとても不安定で脆く、何かの間違いで簡単に超えてしまうのではないか。ふとした拍子にあの世からの声を聞いてあちらの世界へ呼ばれてしまうのではないか。そして、霊の話を見聞きすることがそのきっかけになるのではと、いつしか私は考えるようになっていました。
それほどまでにあの不思議な体験は私の心の奥底にとどまり続け、長い間口にすることもためらわれたのです。

あれから月日が経ち恐怖心も薄れてきたことで、やっと人に話せるようになったこの機会に文字にしてみようと思い立ちました。
これからお話しするのは、私の今までの人生の中でも忘れられない一夜の不思議体験です。
何分、実話ですので、読まれた方にどのような影響があるかは私にはわかりかねます。ご了承ください。

◇◇◇

私は昔から好奇心が旺盛で、幽霊や妖怪の話など震えあがるくらい怖いくせに、そういうたぐいの本やTVはなぜかよく見ていた子供でした。
ただ、霊体験をしたいという気持ちはありませんでしたので、小学校で流行った「コックリさん」を行うときはきちんとルールを守りましたし、「青い紙と赤い紙」の幽霊に出会わないようにトイレには必ず友人についてきてもらいました。
そういうものは都市伝説だ。霊の現象は科学的に証明されている。などと、その存在を信じない人もいます。
この世にいるはずのないものを怖がるのはその姿が見えないからだと、そう言う人もいます。
―そうでしょうか?
少なくとも私は、人の想い、念というものは入れ物がなくなっても残っているのではないかと思うのです。
勿論、私には霊感はありませんし、見えたりもしません。
私がそう思うようになったのは、母の影響なのです。

母がそれを初めて見たのは、ちょうど私が生まれて間もない頃のこと。
母の実家は古い日本家屋でしたが、汲み取り式の便所に薪で炊く風呂がまなど、歴史を感じるものと土間をリフォームした台所などの新しいものとがちぐはぐに入り交じった家でした。表の明るい入り口から少し奥に足を踏み入れると、昼間でも薄暗く、ひんやりとした空気を感じるのでした。
その薄暗い部屋の仏壇の前に母が私を抱きながら一人ぼうっと座っていたその時、青色の光の玉がゆらゆらと目の前に浮かび上がってきたと言います。

女性は妊娠をきっかけに霊感が強くなることがあるそうです。体内に別の命を宿すというのはとても神秘的な事で、心身共に様々な変化があるからでしょうか。
母はこの時から霊の存在を感じたり、見えたりするようになりました。

母が話してくれた霊体験の中で一番忘れられないのは確か私が中学生の頃の話です。
その頃、我が家ではクリという栗色と白色が混じった雑種の犬を飼っていました。クリは紀州犬の血が混じっているらしく、よく他所のオスとケンカをする気の強い犬でした。
母が家事を済ませたあとのちょうど夕暮れ時がクリの散歩の時間です。
散歩は海へ出るのに近道となる少しドブ臭い湿地を通るコース。その湿地にはおびただしい数の大小の蟹がいて、通りかかるといつもガサガサという音と共に一斉に穴の中へ入っていきます。そいう光景が気持ち悪かったせいか、地元の人でもあまりその道を通る人はいませんでした。そこを抜け、堤防の階段を降りると松林が広がり、その向こうが砂浜です。

夕方の海は人けがなく、松林には薄暗く夜の気配が漂っています。
母がちょうどその松林に差し掛かった時、ぽつんと立っている一本の細い、たよりなく横に伸びている松の木に、ずぶ濡れの女の人が寄りかかっている姿が目の端に映りました。
母にはそれが普通の人でないことは一瞬でわかったと言います。
同時にクリが凄い勢いで吠え、まるで示し合わせたかのように母とクリは回れ右をして家へ飛んで帰って来ました。母はどうやって家にたどり着いたか全く覚えておらず、勇敢なはずのクリは尻尾を足の間に入れ、ぶるぶると震えていたそうです。
昔から犬は霊感があると言いますが、クリはそれを感じたのでしょうか?
翌日、海岸に若い女の人の死体が打ち上げられたそうです。

そんな母の話を聞くにつれて、私はすっかり幽霊の存在を信じるようになりました。
しかし、それは母に対してだけ起こる現象で私の前には一度も起こりませんでしたので、まさか自分が体験するとは思ってもみませんでした。
いや、実際には私は体験してはいないのです。ただ、その場にいた私以外の全員が体験しているのです。そう考えると、それはそれで何か別の意味があるようで、恐ろしく思います。
そう、これは私の唯一の霊体験なのです。

◇◇◇

あれは私が中学生の頃、ゴールデンウィークに家族旅行に出かけた時でした。その時は、急に決まった旅行でもあり、何故かあまり気が進まなかったように思います。宿泊先である父の会社の保養所の近くには「宝塚ファミリーランド」というテーマパークがあるということで、やっと行く気になったのでした。

両親と2つ年下の妹、私の4人家族はいつも母方の伯父と伯母を含めた6人で旅行をすることが多く、その時の旅行もこのメンバーでした。私たちの旅はいつも特に何の計画も立てず成り行き任せのところがありましたが、急な旅行を決行したのは宿泊料が破格であったというのが一番の理由で、当時はタダ同然で保養所に泊れる会社も多かったため、その安さに何の疑問も私たちは持っていませんでした。

6人を乗せたワンボックスカーは、朝そんな早くもない時間に家を出発したため、当然のごとく大型連休の長い渋滞に巻き込まれました。日差しは強く、じっとりと汗も噴き出るような気持ち悪さの中、寡黙な父はひたすら黙って運転をし、母と伯母は寝たり起きたりして気を紛らわし、伯父はぽっちゃりとした体格のせいか空腹をずっと訴えていたのを覚えています。ようやく宿泊先の保養所へ到着した頃にはお昼をとうに過ぎていました。

保養所は武家屋敷を改装したもので、立派な瓦屋根と漆喰の壁の外観は雰囲気があります。敷地内に足を踏み入れると、風も吹いていないのに気温が下がったかのように涼しく、ガラリと変わった空気は、まるで別世界に足を踏み入れたようです。
私はその日常とかけ離れた雰囲気に気持ちが高まり、意気揚々と宿の暖簾をくぐりました。
しかし、玄関から中を覗くと、そう広くないロビーには狸や梟などのはく製と洋風の椅子やらテーブルやらが所狭しと置かれ、宿にはそぐわないそのちぐはぐな感じに妙な違和感を感じました。
古い家の湿った匂いのするそのロビーには宿の人もお客さんも誰一人いません。物音や人の声など何も聞こえず、宿全体がしーんとしていて、人の気配というものがまるでないのです。

母が「すみませーん」と中の方に呼びかけますが返事はありません。変だなと思いながらも家族めいめい「おーい」だとか「すいません!」だとか声を張り上げていると、ようやく中から人の気配がして薄暗いところからぬっと影が動いたのです。

出てきたのは長い白髪を無造作に後ろで束ねた、腰の曲がった老婆でした。やせ細って皺皺の肌に所々黒色が混じった髪、黒の作務衣という姿が逆光の暗闇と同化し、ギョロっと光っている目だけがこちらをじっと見ているのです。

その人の姿を見た私たちは、驚きのあまり声を上げそうになりました。
と、その老婆は「いらっしゃい」と意外にも愛想のよい笑顔を作られたので、そこで私たちはそこでようやく安心できたのです。
一人でこのような場面に出くわしたのなら、恐ろしい気持ちもあるかもしれませんが、そこは関西気質の家族一行。母は「びっくりしたなぁ」と言い、伯父は「面白いなぁ」と笑い、ワイワイと話しながらその老婆の後をついていくのでした。

昔のお屋敷によくある人一人通るのがやっとの細長い廊下を何度か折れ、突き当りが食堂になっているその手前を右に曲がると私たちが宿泊する部屋へとつながっています。その右へと続いている廊下の左側、ちょうどT字路だと思い込んでいた左側の壁に何やら茶室のにじり口みたいな小さな入り口があることに気づきました。私たち姉妹が何だろうと格子の隙間からのぞくと中は広さ6畳くらいの和室で、家具などはなく、特に使われている気配はありません。

当時、憧れていた隠れ家や秘密基地みたいだと思った私たち姉妹が「忍者屋敷みたい」と盛り上がっていると、これは座敷牢じゃないかと母だったか伯父だったかわかりませんが…そう教えてくれました。

その座敷牢という言葉の意味をなんとなく知っていた私たち姉妹は「怖い怖い」と言いながらも昔の時代の武家屋敷へタイムスリップしたかのような非日常の雰囲気を味わっているのでした。
その座敷牢を右へ曲がって、直ぐ左手にトイレがあり、その先の右手にある部屋が私たちがその夜泊る部屋です。

部屋は二間続きになっていて、奥の部屋には床の間がありました。それ以外の三方は障子がはめ込まれ、部屋の周りを廊下と縁側で囲まれているという作りになっています。その部屋の作りのせいか、部屋の中は閉め切っていたにもかかわらず、ひんやりとしています。
部屋に通されるなり母が「この部屋出るよ」と言い出しました。
みんな驚きはしましたが、部屋に通されるまでのいきさつを思い出すと、その言葉には説得力を感じます。皆を不安がらせないためか、「いくら何でもこんな大勢いるのに幽霊も出にくかろう」と伯母が言いました。「もし、出てきたらみんなで騒げばいい」と伯父も言いました。

予定よりも遅い到着だったため、遊ぶ時間欲しさに、その話題もそこそこに慌てて宿を出発したのでした。

GWウィーク真っただ中のテーマパークの駐車場は満車の表示が立ち、入りきらない車の排気口から空気のゆらぎが見えます。私たちは、いつ入れるか分からない車の列をあきらめ、周りの路上駐車に倣い、空いた路上スペースに車を止めて入場しました。

テーマパークの中もうんざりするような人混みと熱気で、2つ程のアトラクションで根を上げた私たちを待っていたのは、タイヤの横の地面に書かれていたチョークの文字と、フロントガラスに挟まれていた駐車違反の紙でした。

その足で、警察に行き、父が手続きを済ませた頃には日が傾きかけています。なんとなく、やること全てがうまくいっていないような気がして皆口数が少なくなっていました。嫌な雰囲気を振り払うように伯父がご飯を食べようとに提案し、軽く食事を済ませたのでした。

宿に戻ると、宿の人が夕食があると言うのです。予想以上に豪華なすき焼きは、平たい大きな皿の上に食べきれないほどの生肉が重なっていて、新鮮な赤い色がいやにグロテスクです。一日の疲れとつい先ほど食べたご飯のせいで、ちっとも箸が進まず、私たちのために作られた生肉は出てきた時そのままにテーブルの上で赤黒く残っていました。

私は宿の人に迷惑をかけたこと、そしてほとんど手づかずだった料理に申し訳なさと勿体なさを感じながら、「ついていなかった」今日一日を苦い思いで振り返りました。

こういう心霊体験などは、運や巡り合わせが必ずあると思います。あの日も予兆めいた嫌な流れはあったのですから、もっといろいろ考えればよかったのかも知れません。

寝る場所を決める時、母は絶対出るから壁のある奥の部屋がいいと言いました。そのため、両親と伯父が奥の部屋で、好奇心旺盛な私たち姉妹と霊の存在を信じていない伯母が手前の障子の部屋で寝ることになったのです。

私はその日の出来事が頭の中でぐるぐる回ってなかなか寝付けずにいました。ようやくうとうとしかけた頃、その座敷牢の方向から音がすると怯えた妹の声に起こされたのです。時間は夜中の2時ごろだったかと思います。座敷牢からギィィという扉を開けたような音がして、中からだれかが出てくるような気配がしました。

そして、そこから人が歩いているような廊下がきしむ音が聞こえます。

ギシ…ギシ…と一歩一歩ゆっくりと歩いている音は少しずつ私たちの部屋へ近づいてきています。誰も声を出せず、息をひそめていました。声を出したら見つかってしまうような気がしたのです。
母は「やっぱり出てきた」とつぶやいて布団を頭の上からかぶってしまいました。

その足音が、私たちの部屋の前まで来た時、立ち止まったようにピタッと音が止みました。障子1枚隔てたその向こう側に人のいる気配がします。皆が布団の中で凍り付いたようにじっとしていました。

少しすると、一旦止んだ足音は部屋の周りを囲んでいる廊下に沿って再び進み始めました。私たちの足元の障子の向こう側から廊下のきしむ音が聞こえてきます。私は、恐る恐る障子に目を凝らしましたが、障子には影などは映っていません。
そして、ちょうど伯母の真横に来た時、足音がふと止まったのです。

その瞬間、伯母は「きたー」と叫んで私たち姉妹の布団のところに飛んできました。
そして、私たちは障子が今にも開くのではないかという恐怖に泣きそうになりながら、足音が止まった場所のあたりを祈るような気持で見ていました。

どれくらい時間が経ったのでしょうか。障子は開かず、何も起こりません。足音の主がそこにいるのかどうなのかわからないまま時間だけが過ぎていきました。誰もが怖がって、障子を開けようとはしません。
そこにまだいるのか、それとももう消えてしまったのか…。しかし、寝てしまってはいけないような気がしてそのまま朝までやり過ごそうかと考えていると、妹がもぞもぞしながら「トイレに行きたい」と言いました。

一時の緊張が緩んだこともあり、やっとそう言ったのだと思います。ずっと我慢していたであろう妹を慮りましたが、その障子を開ける勇気は私にはありません。朝まであとどれくらいだろうか…この時私たちは時計を見ませんでしたので、音が聞こえ始めてからどれくらいたったのか全くわかりません。時間の感覚がなかったのです。ただ、障子の向こうが早く明るくなることを祈るばかりでした。

しかし、妹はとうとう我慢が出来なくなったらしく、伯母が足音の止まった障子と反対側のトイレに一番近い障子を開けることにしました。奥の部屋の両親と伯父は寝ているのか、じっとしているのか、布団をかぶったまま何の反応もありません。

伯母はゆっくり障子を開けました。開ける時、私は瞬時に目を閉じました。
伯母の誰もいないよという声が聞こえます。
もし、他の人には見えていないものが私だけ見えたらどうしよう…私はこわごわ目を開けました。

そこには確かに何もおらず、伯母の影からそっと座敷牢の方を覗くと、格子は昼に見た通りしっかりと閉まったままでした。

トイレから戻り、部屋に戻ると障子の外は夜の暗さが薄れてきて、スズメの鳴き声も聞こえたような気がします。ようやくほっとして、緊張の糸が切れたように眠りについたのでした。

目が覚めた頃には太陽がすっかり昇っていて、昨日の夜の出来事が嘘のように感じられます。庭に出て、「昨日の夜は怖かったな」とそれぞれ言い合った皆も、あの恐怖の一夜を乗り越えほっとしたような笑顔。あれは夢ではなかったのかと確認し合い、貴重な思い出ができたね、なんて話もしました。

後で話を聞くと、伯父は最初から寝ていたと言います。昨日の夜の出来事は全く知らないという話には半信半疑でしたが、それもまた伯父らしいとも思えます。父は途中までは起きていたそうです。寡黙な父らしく、夜は特に何も騒ぎもせず、じっとしていたらそのまま眠ってしまったようで、どうしてあの状況で眠れるのかと不思議でなりません。母は、反対に眠れず、朝まで起きていたようです。ずっと布団をかぶってやり過ごして、朝になってやっとトイレに行ったのだとか。母はいろいろな体験をしているので、私たちよりももっと怖かったのだろうなと思いました。

◇◇◇

しかし、私は当事者ぶっていますが、最初に言った通り実際は何も経験していないのです。

どういうことかと申しますと、確かにあの部屋にはいましたが、座敷牢から出てくるような音、廊下をギシギシ踏み鳴らす音、そういうものは全く聞いていません。それは伯母や妹たちからこういう音がする、今ここの廊下を通っている音がすると言っているのを聞いて怖がっていたのです。私は、ただその夜の恐怖と、そう言われたことによって感じる気配のみ体験したのでした。
しかし、それだけでも怖がりの私には恐ろしい心霊体験だったのです。

その後、庭で家族の写真を撮り、旅の記念にしました。

それから日が経つにつれ、私はあれは、もしかしたら家族の壮大ないたずらなのかと思うようにもなりました。私にだけに聞こえないことってあるのでしょうか。反対に、私もみんなと同じようにあの音が聞こえたらよかったのにとも思いました。

そんなある日、現像された写真をみんなで見ていたら、母が「あっ!」と叫びました。
それはあの武家屋敷の庭で父を撮った写真でした。
その写真には彗星のような尾をひいた光の塊が父の胸元に映っていました。

それを見た時、あぁ、あの夜の出来事は本当だったのだと悟ったのでした。

このことがあって、私は霊と聞くとすっかり震え上がるようになってしまいました。
体験してないけれど体験したこの夜の話は私たち家族の話題には上がりませんが、あの日の出来事は一生忘れられな思い出になっています。

(終)

◇◇◇

ここまでお読みくださりありがとうございました。私の心霊体験いかがだったでしょうか?ちょっとでも涼しさをお届けできたら幸いです。

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