何故そんなに自分自身の人生について真剣に考え、生きようとするのか?

 何故真剣に生きようとするの?

 

 昨日今日とシビアなお話をしましたが、本当は将来のことを考えるとしんどいです。正直に申し上げますと、耐えるとか一生懸命頑張るとか、そういう言葉はあんまり好きではないです。

 正しいか正しくないか、で判断されることが多く、その結果フリーターはぶらぶらしている、だからなるべきではないとか、遊んでいると世間では見られてしまうこともたくさんあります。けれど、私にとって大事なのは、正しいか正しくないのか、ではなく、それが自分自身にとって満足のいく答えか、ベターな人生を送る為に良いのか、等自分基準で判断することだと思います。なにも、無理して周りに合わせる必要は無いと思うのです。

 みんながどう思うか、どうすべきか考えているのかではなく、自分がどう思うのか、どうしたいのか。自分の意志を大事にすべきです。

 

一人の女性として、これからの時代を生きていく為に

 

 私自身は、もっとより良い人生を歩みたい。だからこそ、自分自身に問いかけているのです、このnoteは、半分以上は私への問いと確認、それに戒めでもあります。女性は、男性に比べてより厳しい時代を生きています。フリーターであっても、生涯賃金は男性に比べて1~2000万円違いますし、また体力などのハンデがあり、男性ほどには働けません。母子家庭の相対的な貧困率が、わが国では突出して高い(父子家庭の約7倍)であることから、いかに女性にとって厳しい時代であることかということが伺えます。

 だからこそ、ちゃんと地に足をつけて胸を張って生きていけるようにしたいのです。女性だからいざというときには結婚しちゃえばいいのよ、とかあわよくば老後の面倒を見てもらおうかしら、とかそういうことではないのです。とりわけ結婚は、互いに好きで、よく理解して納得した上で結婚ならまだしも、非常時における打開策としての結婚は、上手くいくとは考えられません。いざというときの結婚という考えや選択はなるべくならなしにしたいです。


前へと踏み出す勇気


 正直、私は今でも葛藤しています。大変だけど、心身ともに消耗していっているような気がするけれど、でもとりわけ障壁があるわけではないから、今の状態でいいという現状肯定的な気持ちもあります。けれど、将来のことを考えると、どうしても行き止まりが見えてしまうのです。

果たして、10年後も今の仕事を続けているのだろうか?10年後も、同じ気持ちでいて、同じ自分でいるのだろうか?

  迷ったときには、そう問いかけもしています。迷いはあります。将来のことは不確実であり、最初は勢いあってもだんだんと変わることへのストレスが溜まってくるのです。私一人だけの挑戦であり、他は誰も挑む人はいません。でも、だからこそ前に進もうと思っているのです。

 心が変われば行動が変わる。行動が変われば習慣が変わる。習慣が変われば人格が変わる。人格が変われば運命が変わる。

 何もしたくても、誰かが変えてくれるわけではありませんし、また環境を変えたからとか時が経ったからといって、すぐに変われるわけではありません。ちゃんと自分から動いて手に入れにいかなくてはならないのです。


必要があるからこそ、生きる力が湧いてくる


  私は、元々みんなに合わせるのが得意ではありませんでした。ASD的な傾向もあるのと、それだけでなく元からやや浮いているというより、外れていてあんまりみんなとペースを合わせられてはいないなあと思うことが、度々ありました。小学校低学年の頃は、無くし物や忘れ物、失敗が多くて、また机の引き出しの中も散らかっていて、先生や親からよく怒られました。「なんで出来ないの!」なんて言われ続け、自信を無くしていきました。

 勉強も得意ではなくて、時々変なクセも見せるようで、周囲からはやや避けられてまた変な目でも見られていました。ばい菌扱いもされました。時々思いきし殴られたりもしました。背中とか。あざはなかったけど。

 いじめを受け、またこちらも度々問題行動を起こして。そんでもって、さらに自分なんて、と思うようになりました。中学に入ってからは、今度はぽっちゃりしてきたこともあり、体型のことでイジる人達も出てきました。もう最悪でした。でも、そんな中で思ったのです。

だったらこの状況を変えるしかない。ただひたすら頑張ろう、と。

  泣きそうになるときもあったし、もう自分自身が嫌になるときもありました。でも、不思議と自分自身の命までは絶とうとは思いませんでした。何故かというと、私には超えるべき目標があったから。それに向けてひたすら頑張るのみでした。そう、私自身は思ったのです。もしかしたら努力することで、この辛い状況を変えられるかもしれない、と。

 必要があるからこそ、生きる力が湧いてくる。この状況を打破しないとー!という意志が原動力となって、私を動かし、大学にまで進めてくれたのです。国立ではなく私立大だったけど、合格率は推薦ではなく一般で1割強。参考書のみでひたすら勉強しました。この大学は小さかったけれど、優秀な人が結構したのと、また良い教授達にも恵まれたと満足しております。(ちなみに小学校から大学までの学校生活の中で、私自身は大学が一番楽しかったです。高校までと違って自由なところも大きかったでしょうか?)

 この成功体験で、私はやれば出来るんだ!と自信を持てるようになったのです。


自分の人生は自分で作る

 

 先日の記事でシビアなことを書いてきたのも、私自身にカツを入れる為でもありました。そりゃいつも好きなSixTONES(ストーンズ)の(金髪で長い髪のときの中性的な)京本大我くんを可愛いね可愛いねと愛でて、ゆるきゃらぬいぐるみをモフモフしているだけでよいような、まるでユートピア~な楽しい生活が何よりもしたいです。

 でも、実際はそういうわけにはいきません。私自身は、ちゃんと将来のことを考えていかなければなりません。年を取っていくのは当たり前なので、そのときに備えた準備をしていかなければなりません。だからこそ、

 ボーっと生きてんじゃねえよ!

 今の世の中はものすごいスピードで変化しています。このままボーっと周りの雰囲気に流されているままでは、損をしてしまうのです。

 自分でやらなくても誰かが何とかしてくれる、とかそんなことは思ってはいけません。誰もやってくれません。自分自身の人生は、結局自分で作るしかないのです。自由から逃れるのは、責任とリスクを取るのが恐ろしいし、失敗したら何も出来なくなって一貫の終わりだと思うからです。たとえ現状に不満であっても、誰かに管理され、守られることを選んだのは私達自身なのです。自由を放棄したからこそ、人から管理されるしかないのです。理解しづらいのかもしれませんが。


現状を打破するには、自らが動くしかない


 社会にはルールがある。その上で生きていかなければならない。そのルールってやつは全て頭のいいやつに都合のいいように創られている。逆に都合の悪いところはわからないように隠してある。
 負けるっていったのは、騙されるって意味だ。お前らこのままだと一生騙され続けるぞ!

 私自身は、なんで所得が少ないのに税金をいっぱい取られるのかと文句を言ったりもしています。でも結局のところ、不満があるなら、現状に問題を感じるなら、自ら頭が良くならなければならないのです。何も知らないからこそ、いいように利用されてしまうのだと思います。

 ちなみに世の中を変えたかったら旧帝大に行けと言う人も私の周囲にはいます。でもそれは何浪しても無理そうなので無理!とハッキリいっています!大体この年になって大学受験に何度も挑むような気力はもう無いです。

 

 でも、そうしなくたって、頭良くなるだけで仕組みを理解することが出来、ああ、どういうことなんだとわかりません。わからないからこそ、余計に不満が溜まってしまうのだと思います。ちょうど、正体不明の幽霊か何かに怯えるようなのと同じようなものです。

 だからこそ、頭良くなって、上手く踊らされたり利用されたりするのをなんとしても阻止しなくては、と思い、時々こういうサクラギ先生の言葉を読んで、ハッと気づかせるのです。自分自身を。


 半沢直樹にしても、女王の教室にしても、理不尽に立ち向かうドラマは、非常に残酷で見ていると辛いです。でも、そのような状況でも頑張っているからこそ、私達視聴者を引き付けるのだと思います。以下は、女王の教室の「女王」のセリフです。

 愚か者や怠け者は、差別と不公平に苦しむ。賢い者や努力をした者は、色々な特権を得て、豊かな人生を送ることができる。それが社会というものです。
いい加減、目覚めなさい!日本という国は、そういう特権階級の人達が楽しく暮らせるように、あなたたち凡人が安い給料で働き、高い税金を払うことで成り立っているのです。
今のままずーっと愚かでいてくれればいいの。

 だからこそ、周囲を見回してもあまり世の中のことについて議論したり、将来の経済や政治の行方について真面目に話すということはほとんどありません。大体はゲームやアニメ、漫画等が話題となり、テレビをつけても、購買意欲をそそるようなCMとバラエティやクイズ番組等の娯楽ばかり。難しいことなんて考えることはない、今を楽しく生きれば良いとでも言っているかのように。 

 でも、世の中は非情であり、残酷でもあります。人がどんなに貧困で苦しんでいようが、格差社会に悩んでいようが、心身の障害や病気等で不自由な生活を強いられていようが、それが自分や身内のことでない限りは視野にすら入らないのです。

 お金を持っている人が優遇され、貧しい人は冷遇される。子供や女性の貧困問題は、あまり真剣に取り上げられているようには思えません。本当にこのままでよいのでしょうか?


力強く生きていく


 自分自身の人生を真剣に生きるとはすなわち、世の中の不平等や矛盾に立ち向かうということでもあります。それは大変辛いことでもあり、逃げ出したくもなります。

 けれど、女性だからといって世の中は手加減してくれるわけがありません。私自身のことを考えると、もうそろそろ可愛いとか愛嬌だけでちやほやされるような年頃でもなくなってきているように思います。女性は特に、年を重ねれば重ねる程、生きる力を問われるようになってくるでしょう。

 私が甘美な少女漫画よりも、現実を奮闘しながら生きていくリアルなドラマや本を好んでいるのも、やはり自分の人生を生きようと強く思っているからなのだと思います。



 

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