私が知らない私を見る
珍しくiPhoneでブログを書いています。
先日の出来事。
早朝に患者さんのお看取りをした。
お孫さんが医療関係者だったので2人で最期のケアをした。その時にもう1人のお孫さん(この方も医療関係者)がスマホを向けているのはわかったけれど、特に気にもせず。
お孫さんと2人で想い出話を聴かせていただきながら、時には笑い声を出して、穏やかにというか、和やかにというかケアをさせていただいた。
朝の光がさしてまるで患者さんは寝ている様な、本当に穏やかなお顔だった。
ケアが終わる時に、もう1人のお孫さんが写メを見せてくれた。
そこには、私の知らない私が写っていた。
お宅に到着してからの写メがあった。
私は寝ている様な患者さんの手を握っていた。
そこから準備している時、ケア中のもの、ケアが終わり綺麗になった患者さんを取り囲むご家族やご近所の方々の写メ。
私は私なのだけれど、看護師としての私を見た事はない。
誰かが退職する時に撮った「看護師の格好」をしている自分しか知らない。
看護師のわたしを初めて見た。
自分で言うけれど、最期のケアなのにとても良い顔をしていた。
笑顔だったり、真剣な表情だったり、お孫さんの話をじっと聴く視線だったり。
わたしはこんな風に看護師をしているんだなと思った。自分では全く気がつかなかったけれど、亡くなられた患者さんの手を握っている場面が多かった。
その写メはもちろん私の手元には無い。けれど心にしっかりと焼き付いている。
そしてやはり思った。
「こういう風に看護師が働いている所を撮りたい」
って。
自分で自分の「看護師としての姿」を見る事が出来たから余計にそう思った。
現実問題、それは難しい。
個人情報の壁があるから。そして患者さん、ご家族の許可もいるし、何よりも病院側の許可が必要だ。
だけれどもわたしは「それ」を撮りたいし、必ず撮ると決めている。
看護師だけではなく、働く人を撮りたいという気持ちもある。
また、ご家族の写真を撮りたいという想いもある。
これは、患者さんのご家族という意味ではなくて。
お子さんを見つめる表情、お子さんが見つめる表情。
それを客観的に写真というツールで見る事が出来たらと思うからだ。
今回、わたしは自分では見る事が出来ないわたしを見られた。
こんな表情をしているんだ…ってびっくりもしたし嬉しさもあった。そして写真というツールの可能性も知る事が出来た。
私まで撮って下さっていた事に感謝しかない。
あなたはどんな風に
あなたはどんな表情で仕事をしていますか?
それではまた