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サクラサクマデ:1

看護師になることしか考えず・・・というか中学生頃には「私は看護婦になるんだな」と自分も家族も思っていた。
私は昔から「想像できる事は叶う」と思っているし、何となくその気になる事は叶うと思っているのだけれど。所謂「引き寄せ」とかは関係なく。そもそもその頃はそういうのも知らなかったし。

幼稚園2つ、小学校5つ、中学2つ、高校2つと転校三昧だった。
志望校は進学校と言われる所だった。「お勉強」はできたのです。自分で言いますが。「お勉強」はできたけど私は「人としてのお勉強」が出来なかった。これは後日書こうと思う。

そこの高校に行きたかったのは、中学の頃に本当に仲の良い友人が行くと決めていたから。彼女はもうひとつ上のランクの学校に行けるくらいだったのに、家から歩いて通えるからとそこの高校を志望していた。
私は彼女と同じ高校に行きたかったし、制服が可愛かったので・・・担任の先生からは「無理しないでこっち(もうひとつランクが下)にしとけ」と言われたのに「嫌だ。絶対に合格するから大丈夫」と言っていた。
なんか、みんな塾とか行ってたけど面倒くさくて冬季講習だけ行った。そもそも学校が嫌いだから塾なんてもってのほかなわけだ。

同級生が自殺してしまうという衝撃的な事が起きた。そして同じクラスの仲の良かった子が白血病になったのも知った。

「人って本当にいつ何が起きるかわからないな」

と泣きながら思い、やっぱり自分が思う道をいこうと15歳なりに決めた。白血病になった子は寛解して、今は確か臨床検査技師をやってるはず。

本命の公立高校受験の2〜3週間くらい前だろうか。とにかく体が怠いのが続いていて熱も高くて受診した(これまた同じクラスの子の病院だったんだけど)。その2日後、いきなり血尿が出た。
他の病院を受診し「急性肝炎」と診断され、そのまま入院。
え?私どうなっちゃうの?受験できるの?勉強はどうしたらいいの?
よくわからなかった、状況が。
アセトアミノフェンによる薬剤性急性肝炎だった。

そこから担任の先生が色々動いてくれたのだと思う。学校も。担任の先生は面会に来ては「何も心配しなくていいから、受験できる様にするから」と言ってくれた。今になって思えば凄く大変だったろうなと。
勉強は主治医がみてくれた。
小児科部長が主治医で、その下に研修医の先生がいて2人が仕事が終わってから交代で勉強を教えてくれた。
これ、看護師になってから気がついたわけですがめちゃくちゃ大変だったと思う。よくその時間を取ってくれたなって。疲れていただろうに24時くらいまで教えてくれたから。
看護師になってから更に感謝が溢れた。こんなにハードなのにあんなに一生懸命に教えてくれたんだなって。

受験は入院中の病院の附属の看護学校の教室を借りてできる事になった。
そして、何とまぁ、志望校が定員割れをした!!!!!!
担任は「ラッキーだな」って言ってたけど、当時の私は何がラッキーなのか理解できなくて「人気無いんだね〜」って別次元な返答をしたのは覚えてる。

受験当日。
肝臓が腫れていたのだろう。制服のスカートのウエスト部分が当たるとお腹が痛くて急遽体操着のジャージで受験する事になった。もちろん上下ジャージなのでゼッケンが着いてるやつ。これでもかってくらいに「私」をアピールしているやつ。
皆の声援を聞きながら車椅子で移動。私だけの受験会場の教室には高校の先生が試験監督として2人来ていた。
午前中の試験の最中に看護婦さんが定時の注射をしにくる。
でもって、その後に鼻血を噴き出しその教室に耳鼻科の先生がやってくる。
試験を受けてるんだか別室で治療されてんだかわかんない状態。
黄疸で体は痒くて仕方がないし、とにかく何時間も座っているのも疲れるし。
試験監督の先生が2人とも笑って
「いやー初めての経験だよ。」
って言った時に
「あ、私はこの高校に受かるな。この先生のどっちかから授業を受けるな」
って思った。なんていうか、パーっとその状況が浮かんだから。ただそれだけ。

そんなこんなで無事に?受験ができた。



そう、確かに学校は嫌いだったんだけど、2つ目の中学は好きだったんだ。みんな仲が良かったし、担任の先生も好きだった。そうそう、初めての担任だからとっても一生懸命でバイクとカメラが好きで、いつも写真を撮っていたな。
その頃TVでやっていた宇宙戦隊モノ?それの主人公に似ているから「シャイダー」って呼ばれてた。シャイダーが嫌いっていうクラスメイトがいなかったんだよね。いたかもしれないけれど記憶にない。
クラス通信?みたいなヤツのタイトルは「The シャイダー」だった。
もう社会人になってからの同窓会で殆どの人がそれをまだ取ってあるって言うくらい。私も実家にある。
24歳頃に当時のクラスメイトが急逝したのね。その連絡を最初にご家族から受けたのが私だったんだ。
その連絡をすぐに別なクラスメイトにしたら、まーなんて事でしょう。当時の連絡網が活用されたのですよ。卒業して10年くらい経っていたのに。そのくらい仲良しなクラスだったし、みんな当時の思い出を大事にしていたんだな、知らんけど。

私は「学校が嫌い」じゃなくて「転校が嫌い」だったのだね、きっと。

「サクラサク」は看護師の学校に入るまでなので続きます。
長々と読んでくださりありがとうございます。
ではまた。


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ジュンコ
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