ぐち
揺れてる。自分の心が揺れている。
自分の心の整理の為に書く。
私は身体が丈夫ではない。
不規則な生活を長年続けて来て、規則正しい勤務になった。
規則正しい生活になるまでの6年くらいはほぼ夜勤専従の様なものだったので、完全に生活のリズムが変わった。
働き方を変える際に
「1年以上は身体が慣れなくて体調を崩しやすくなるよ。」
と言われていたし、それも自分でも覚悟していたし、新しくなる職場にもそれは伝えた。
しかし、それは予想以上だった。
まず、メニエールの発作が起こりやすくなった。
熱も今まで以上に出やすくなった。熱は風邪じゃなければ解熱剤を飲んで出勤するけど(発熱もメニエール以外の持病からきています)
発作が起きていても働けるくらいの事が多いから出勤する。
けれど運転もあるし、患者さんのお宅で何かあったら困るな・・・と思う時は休む。
病院で勤務していた頃は休まずに済むくらいの発作でも休んだ。
一番は患者さんのお宅で何かあると困るし、職場の信用に関わるから。
運転はドライバーさんをつけてもらえる状況なら何とかなるけれど。
有名な目眩の専門病院を教えてもらって受診した。
夜も早く寝る。早すぎだろと思うくらいに早く寝る。
朝はこれはメニエールになってから10年間ずっとだけど、家を出る3時間〜4時間前に起きる。
そうして目眩がもしあったら薬を飲んで目眩の様子を見る。
落ち着いて来なければ酷くなっていくので休ませてもらう。
半年が過ぎて契約更新の時(今の職場は全員が1年での契約。私は最初なので半年)。
「体調管理してるの?」
そう言われた。
言われるだろうなとも思ってたけれど。
自分がしている事を話す。
「休みの日に遊んでるんじゃないの?他の仕事で忙しいんじゃないの?」
今の職場は副業はO.K.だ。
写真の事を言われている。それは今はしていないし、する余裕が無いと伝える。
遊びに行くことも殆どしていない。遠くなった事も理由だが、とにかく身体が生活スタイルに慣れるまではと思っているし。
「それでも体調管理をきちんとしないと・・・無責任だよ。」
私の中で何かが弾ける音がした。
このシャボン玉みたいに、いびつな形の丸に、あれとこれと・・・とくっつけていた様な心。
見えない矢で「パンッ」と割られた気持ちだった。
「無責任だよ」
そうか。無責任なのか。
私の中の「無責任」は体調が悪いのに出勤して逆に迷惑をかける事。
上部の中の「無責任」は仕事を休む事。
「そうなんですね。私は無理して出勤して何かある方が無責任だと思っていました。私が出来る体調管理を教えてもらえると嬉しいです。」
そう答えた。
「I メッセージ」になってるかわかんないけど。なってないか。
「それはわからないなぁ」
と答えられたんだけどね。
上部の考える「無責任」も間違いではなくて
私が考える「無責任」も間違いでは無いと思っている。
お互いに「自分が正しい」と言っても何も解決はしないから。
ただ、この時に「誰でも調子が悪くても我慢して出勤しているのだから我慢しなさい。」的な事を言われた。
出た。私が一番苦手なやつ。
あ・・・この人は自分が我慢をしているんだなと思ったし、だから私が我慢をしていない様に感じて腹を立てているんだなってこと。
こんな風に全く関係ない「どこか」を見たくなった。
自分探しの旅に出ようかと思った。出ないけど。
この時の私は間違いなく「遠い目」をしていただろう。
これで仕事が嫌なら「ご迷惑ばかりおかけして申し訳ありませんでした。辞めさせていただきます。」と言うのだけれど、楽しいから、今の仕事が。
在宅医療が楽しいから。
ここでもう少し勉強をしたいから。もう、次に行く場所は決めているし。
自己弁護だけれど、私は体調の良し悪しはお互い様だと思っている。
だから他のスタッフが体調が悪ければ代わったり、連続勤務をしたりした。
それは自分もそうやって助けてもらっているから、自分が出来る時にはそうすれば良いと思っている。
それは我慢ではなく(実際にはキツくても)「お互い様」だと思うから。
だけれども、私はそう思っていても違うんだなという事もわかった。
多分、私が寄りかかってる幅が大きいのだろうな・・・間違いなく。
私はフリマで売られる物の様だなと思った。
体調の事も病気の事も、それらに関する不安も全て伝えた。
それでも「(看護師が足りなくて)必要だから」と採用された。
けれど「無責任」と言われ「我慢が足りない」と言われ、そのカテゴリーのカゴの中に入れられた様な気持ち。
こんなに体調が安定しないなら、不規則勤務を続けていた方が良かったのではないか?と休むたびに思う。
病院でICUで働いていた方が良かったんじゃないかと。
お給料も全然違うし。
それでもそうしないのは在宅医療が楽しいからだ。
病院では知らなかった事
経験できなかった事
患者さんとじっくり関われる事
亡くなられた患者さんのご自宅に出向いて手を合わせられる事
それら全てに価値がある。
その価値の代償として「我慢する」事をしようとは思っていない。
ただ、楽しいからする。
ただ、好きだからする。
こんな風に幹が割れても生き続けている強さが欲しい。
「身体が弱いよね」
「体力が無いよね」
「丈夫にならなくちゃ」
「体力をつけた方が良いよ」
もう、何度も何度も言われてきた。
子どもの頃から言われてきた。
わかっている。
言ってくれる人たちは何気ない会話の1つだと。
でもね、言われる側からすると
「また言われちゃった・・・」
になるわけだ。
だって、だって自分が一番丈夫になりたいんだもん。
長い愚痴にお付き合いいただきましてありがとうございます。
それではまた。