まさかの入院 in アメリカ①

アメリカ研究留学中に、たった一人で入院した話、第一弾です。

ヘブンリにスキーに行ってからというもの、なんだか喉からパリパリと音のすることがある。そして、ひどいカラ咳。体調に変化はないけれど、心配。

医者にかかると言ってもかかりつけ医はいないし、予約を取っても2週間は先になるのがアメリカ。そんなことをラボで話してたら、ラボの向かいに救急センターがあることを教えてもらった。

翌日、家を出て、いつものように線路に沿って歩きながら、MUNI(路面電車)が来たので走って間に合おうとしたら、2~3歩で嘘みたいに息が上がってしまった。
仕方がないので次の電車に乗って、そのまま救急センターに行ってみることにした。そんなに待たず問診と聴診を終えて、レントゲンをとることに。先生から「今日は金曜で少し時間がかかるから、レントゲンを終えたらコーヒーでも飲んでいていいからね」と。
レントゲン室では、ブラジャーを外していなくて(やっぱり病気のせいでボンヤリしてたんだわ)、レントゲンを撮った後「ブラしてるね!!」と技師さんに怒られてしまう。謝ると、「ま、いいけどね!」って感じでもう一度。ここはとってもドライなのがアメリカ流。
 
さて、待ち時間があると言われた私は、仕掛けている実験を片付けるためにラボに出勤。ちょっと同僚と話していたら、病院から電話。
相手はナースで、ものすごい剣幕で

なんで帰った~!!すぐ戻って来なさ~い!!!」。

急いで戻ると、ナース鬼の形相。
先生も「僕がコーヒーでも飲んでていいよって言ったんだ」って、とりなしてくれるけど、もう激怒。つまり、意外に重症だったわけよね。

ドクターに「肺が壊れてます」と言われて、「治るんですか!」って聞いたら、「ちゃんと治るから大丈夫だよ」って。良かった。
日本語で言うと「気胸」なんだけど、そのときは良く分かってなかった。病名の綴りpneumothraxを教えてもらって後で調べてホッとした(スマホのない時代)。病名分からず右肺の1/3が壊れてますっていうのは、かなり恐怖だったよね。

それから車いすに乗せられ、通りを渡ってラボ隣接の病院へ。「歩けますよ!」と言ったけど、ナース再び鬼の形相で、「歩いてラボまで帰れるもんね、知ってる、でもとにかく座りなさい!」。俯きがちに車いすで横断歩道を渡り、そのままERへと引き渡し。引き渡すまでがナースの仕事らしい。

ERでは「肺の専門医が到着するから、それから処置します」と言われる。酸素飽和は80%。コロナで一般的になった例のパルスオキシメーターね。また待ち時間があると思ったので、「すぐ戻るから一度ラボに行ってボスに知らせてくる。外出させて。」と懇願し、階段を上ってラボに出勤。

ボスは医者なんだが、報告すると「うそだろ~!大丈夫だろ~!」と拒絶的反応。「酸素飽和が80%なのでERで酸素吸わされてるんですよ」っていうと、「酸素を吸っても肺が壊れてたら意味ないだろ~」って冷静でしたわ。

で、またERに戻って酸素吸入。結局、その日は肺の専門医が忙しくてERには来られず、救急医が処置をすることになった。学生もぞろぞろ。そんな中、胸はだけて、肋骨の間からブチっと、肺に太い針を差し込まれる私。

処置が終わったら、まさかまさか麻酔が切れてしまい、とたんに胸が割れるような痛みで息ができない。ただただ涙が出て、ようやく「息ができない」とつぶやくと、「痛みか?それとも?」と先生。
「ペ、ペ、ペイン」と絞り出すと
言わなくちゃ分からないよ」ときたもんだ。
これもまた、実にアメリカ。
肺が痛いと喋れない、喋れなかったら伝わらない。しかし伝わらなければ痛くないのと同じ、って感じかも知れない。

ここから長い長い夜が始まるわけだけど、それは次回にいたしましょう。


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