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こどもが病気になった時(2)自分の弱点を把握する方法

この違いは何だと思いますか?


こどもが病気になったとき(目次)

(1)身代わりメッセージ

(2)自分の弱点を把握する方法

(3)なぜ身代わりを使うのか

(4)メッセージの読み解き方


(2)自分の弱点を把握する方法


夫婦喧嘩でよく目にする光景に、こんなものがあります。

奥さんが旦那さんに、

「あの時もあの時もあの時もそうだった!すごく悲しかったんだからね!」 

と、長年積もりに積もった不満を、ある日突然爆発させる。

そこには、そこに至るまでに

心の中で、「悲しかった」という感情の過去形のことばが

連呼されていた歴史を感じます。


ではこの奥さんが心の中で、

「悲しい」という感情を、現在形のことばを連呼していたらどうなるのか。

あの時のこういうことは、悲しい。

あの時のこういうことは、悲しい。

あの時のこういうことは、悲しい。

あの時のこういうことは、悲しい。

あの時のこういうことは、悲しい。

要するにわたしにとって悲しいことというのは、こういうことなのか!

このように、

過去に体験した悲しいことの共通点を分析し、

それがある日簡潔な一行にまとまるのです。

なんと、頭の中でしゃべることばの感情の単語を、ただ

現在形にするだけで、

脳が勝手に

分析モードに入るのです。

なぜそうなるのかというと、

感情のことばを現在形に変換した瞬間に、

責任感が発生するからなのです。


逆に、感情のことばを過去形に変換すると、

責任感が発生しないのです。


責任感。これは感情です。

感情は、いまから責任感を感じるぞ~!みたいに

気合でコントロールすることはできません。

責任感を感じているふりはできても、

それはほんとうに感じている状態とは全く違うものです。

じつは、感情には、

発動条件というものがあります。

ちなみに責任感の発動条件は、

現在形の感情のことばを意識すること

です。


分析という作業は、責任者が行う行為です。

自分は、こういうことがが悲しいと感じる。

このような自分の弱点を把握するためには、

感情のことばを現在形に変換する必要があるのです。


これができないと、

不満をぶつける時に、

悲しかったという言葉と共に、

分析が全く行われていないままの大量のデータが旦那さんに渡されます。

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責任感が発生していない奥さんにとって、

このデータを分析する責任者は旦那さんになっているからです。

旦那さんは、こんな大量のデータの中から、奥さんの悲しさの核を見つけるなんて、到底無理です。

ですから、奥さんが感情の過去形を使っている限り、

この夫婦の心が通い合うことはないのかもしれません。


そして旦那さんがそれでも奥さんの気持ちを理解しようとして、その大量のデータの分析をはじめた瞬間に、

支配の感情の発動条件が整います。

なぜなら、人間は狩りをする時に、

獲物のことを分析するからです。(参照:肩甲骨の痛みを推理 5)

旦那さんとのコミュニケーションで発生した感情を、

過去形に変換していると、

夫婦の関係が支配し合う関係になってしまうのです。

それは、共食いともいえます。

そして体はそれを、

自分の細胞が自分の体を攻撃する病気で表現して警告するのです。

しかも、こどもや親の体を使って

ではいったいなぜ、体はこのメッセージを、身代わりを使って伝えようとするのでしょうか。

つづく

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解読カイロプラクティック



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山口 純子
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