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なぜ、人を妬むことが悪いことではないのか。

骨の歪み全ての最終目的は 、群れを生き延びさせるため 

そこに行き着いたきっかけは、感情に良い悪いの評価をつけた瞬間に骨が歪むということに気がついたことです。 

誰かのことを嫌いと感じているだけでは骨は歪まないのに、嫌いなんて思ってはいけないと、嫌いという感情に評価をつけた瞬間に、 仙骨の歪みが発生します。

カイロプラクティックの施術中に何気なく交わされる会話の中に、この感情の否定の表現が発生した瞬間に、せっかく矯正した骨が一瞬にして歪むのです。

最初は、 理由はわからないけれど、とにかくその感情は悪いものではないから否定しないようにとアドバイスをしました。

でも、そのアドバイスはなかなか患者さんに受け入れてもらえません。
なぜなら、今までずっとその感情はいけないものだと教育されてきたからです。
患者さんが安心して感情を否定しないようになるためには、その教育を覆す理由が必要でした。

なぜ、嫌いと感じることが悪いことではないのか。
嫌いという感情は、相手が人の場合、その人を悪者にすることなく距離を取らせてくれます。対象が仕事の場合、その仕事に優劣をつけることなく、自分の天職の発見の指針となってくれます。

なぜ、人を恨むことが悪いことではないのか。
うらむという感情は、自分のことを選んでくれなかった相手に対して、あるいは自分のことを馬鹿にした相手に対して、見返してやるというエネルギーを生んでくれます。
そのエネルギーは、どんな過酷な訓練も堪える最大の 力です。 
そうやって磨き上げた技術によって自分の役割を果たしていくことができます。

なぜ、人を妬むことが悪いことではないのか。


妬むという感情は、硬い石のような思い込みを崩すきっかけとなってくれます。

妬んでいる人が、ターゲットになっている人を語る時の共通点は、隠れたしたたかさに対するに批判です。
「可愛いふりしてあの子わりとやるもんだね~」と、素直に欲しいものは欲しいと表現しないことに対しての嫌悪。

表現を変えると、本音の感情を隠しながら、相手にそれを察してもらうことでのぞみを叶えようとする行為への嫌悪です。

しかしそれは、自分自身が行っていることであり、だからこそ相手の感情が透けて見えるのです。

遠慮の美徳という世界はありますが、それが度を超すと決して美しくない。このことを客観的に観察させる感情が妬みです。

相手をしっかり観察することで、石のように凝り固まった思い込みを壊し、本当に欲しいものに近づけさせてくれるのです。

妬みという感情に醜いというレッテルを貼って、妬みを封印する努力をしすぎると、いちばん欲しいものから遠ざかるような症状が発生しやすくなります。

病気は、「健康な体が欲しい」と、のぞみを口にする 敷居を下げて、練習させてくれるからです。 

欲しいという感情を口にすることのメリット。それは、

仲間に対して、自分がほんとうに欲しいものはこれだと示すことで、協力者が手を上げやすくなり、感謝の絆が生まれます。

逆に仲間に対して、これが欲しいと言えないと、その気持ちを察してくれるのを待つ間に、仲間が隠れた地雷を探すのに疲弊して絆が切れていきます。

こうしてひとつひとつ感情を探っていくと,それぞれの感情には,ミッションがあります。

群れの中で自分ができる役割を見つける手助けとなる感情。
その役割を果たすための訓練のエネルギーとなる感情。
仲間の絆を構築していくための気づきにつなげる感情。

その全てが 群れを強くすることに繋がっています。

それほど大切な感情を封印しようとするから、仙骨がゆがむのです。
仙骨と頭蓋骨は硬膜という硬い膜でつながっているため、仙骨のゆがみは、頭蓋骨をゆがませ、脳内の感情の中枢をといわれる視床下部や偏桃体を刺激し、感情のボリュームを上げるのです。


lit.link/yamaguchijunko


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山口 純子
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