ワーホリの話
これから書くワーホリの話は私の実にはなったけど、皆さんの実になるかは分かりません。
人のだめだめな話って結構読めるかなぁと思ったので暇潰しで読んでもらえたら嬉しいです。
10年前、二十歳の私は遅れた反抗期と若いと言うだけの自信で出来た人間でした。
詰の甘さと、何かに付けてやらかす(これは今も変わらずですが)ついてるんだかいないんだか分からない私のワーホリのお話。
行くまで
専門学生3年目、就活がヤダ過ぎて留学を考えた私は仲介業者を見つけてビザの手続きをした。
担当してくれた中里さんは明るくて優しくて、目がまん丸で見た目はスポンジボブみたいだった。
2人で話をして行き先はイギリスでワーホリビザで行く事になった。
両親は「お金が無くなったら帰ってきな。」と支援は一切なし。
だから学生ビザより働けるワーホリでいこう。ってなった。
私は小学生の頃、矢澤あいさんの「ご近所物語」を読んで、服作りに興味を持って、その頃から何となくお金を貯めてたのでそれを使った。
結局イギリスのワーホリに抽選漏れして、フランスに行く事にした。学校の先生や友達には、ファッションと言えばフランスでしょ!ってめっちゃ推されてだけど、私は特に興味が無かった。
行くならフラ語より英語のが将来いつか使えるし、くらい。
だって、就活逃避行だからどこだって良かった。
日本で、向こうで通う語学学校と寮だけ手配した。遅れた反抗期の私は、もう実家に帰ってくるつもりが無く、必要な服や本以外全て処分し、ケータイも解約した(もはや日本に帰るつもりがない)
元々勉強が出来る方では無かったし、急遽フランスに行き先を変更したのもあって、知ってるフランス語はメルシーとボンジュールのみで出発することになる。
~本当のワルなんていないんだ①~
出発当日母が空港まで送ってくれた。
飛行機に乗ると機内には日本人が何人かいて、隣も新婚さんでフランス到着まで話をした。
両親と就活からの開放、これからの新しい生活、期待に胸を膨らませて7時間、フランス、シャルルドゴール空港に着いた。
空港は大きなバスロータリーを建物がぐるっと囲んだ作りになっていて、8箇所程の出口がある。
空港にバスが迎えに来る事になっていて、何人か他の人もこのバスに乗るらしい。
中里さんからもらった地図を出す。6番出口に出れば良いらしい。
しかし…
6番出口が分からない。
標識が読めない。
流石に数字はわかるが、なにを指してる数字か分からない。
周りを見渡すが、さっきの日本人達はどこに行ってしまったのか…見当たらない。
急に不安になってきた。
近くの受付のおねぇさんに地図を見せて6番出口を指さしたが、不機嫌そうに話すだけで全く教える気がない。
何度も尋ねるが全く協力的じゃない。
日本なら、カウンターから出てきて出口まで案内してくれそうなもんだが
これがフランスなんだと、私は1年かけて知る事になる。決してイジワルではない。
自分のしたくない事はしない。仕事への概念が日本と違うのかなぁと思った。
もう自力で行くしかないと思い、試しに一番近くの出口から外に出てみた。
出発前に中里さんから空港のタクシーはぼったくりが多いから、話しかけてくるけど乗らないように言われていた。
中里さんの言う通り私が外に出るとタクシーのおじさんが近寄って来た。
皆様ご存知と思うがフランスは移民がとても多く多国籍だ。本当の純フランス人はごく少数だそう。このタクシーおじさんも黒人系で体が大きくその迫力が怖くてすぐ中に引き返した。
もう外に出られない…
その後も空港内をぐるぐるぐるぐる。
ガラス張りのドアからタクシーおじさんとちょいちょい目が合う。笑顔で手招きされる。
超怖い…
その後もちょっと外に出てはタクシーおじさんが来ると中へ。を繰り返して2時間がたってしまった…
未だに出口が分からない私…
きっとバスは行ってしまっただろう。歩き疲れてぼーとしながら外に出ると
タクシーおじさんが必死の形相で走ってきた…
もうダメだ……売られる…
つづく
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