嫌いじゃ無くて苦手です
人は誰にでも好きな物と嫌いな物があると思う。
それは個性でもあって主張でもある。
分かりやすいのは食べ物だと思うけど、それで言えば私はチョコレートが大好きで、シナモンは苦手です。
気付きました?
チョコレートは大好きと書いたけど、シナモンは嫌いと書かなかった事に。
実際、絶対食べれない!と言う程シナモンが苦手という訳ではないので、苦手と言う表現で構わないのですが、私はあまり物事を嫌いというくくりに考え無い様にしています。
何故かと言えば、その方が自分が楽だから。
一度嫌いと言う言葉で言ってしまうと、それは自分の中で嫌いというくくりになって動かし難くなるのが面倒だから。
嫌いって完全否定みたいだよね。
物事には"絶対"は無いと良く言われるけど、同じ様に"完全否定"もそんなものかなと思ってます。
言葉って不思議で、声に出して何度か言うとどんどんそうなんだという思いが強くなって来る。
あっ、苦手だなぁと思った事でもそれを声に出す時"嫌い"と言う表現で何度か言ってしまうと、もうそれは受け入れ難い物に。
嫌いだと思う事が多いのはとても生きづらい様に私は思っているから。
だって否定する事が多いんだからね。
苦手なシナモンだって使い方を工夫すれば、美味しい!と思える可能性は充分あります。
でも嫌いと完全否定してしまったら、もしかしての美味しいを知る機会も無く、凄い損をしているかもしれない。
シナモンは嫌いじゃ無くて苦手、と言う事に自分の中でしておけば、好きになる可能性は幾らでもあるのです。
だって私はシナモンの使い方をほとんど知らないのだから。
もしかしたら大好きなチョコレートにシナモンをちょっと加えたら美味しいかもしれない…。
いや、それはどうだろう…、やっぱりチョコレートはそのままの方がいいなぁ。
とにかく私が知らないだけで、きっとシナモンが美味しく感じる頂き方はあるのだと思います。
苦手だから興味もあまり無く、知る機会を損しているのでしょうね。
好きな物はどんどん色々知りたくなるけど、苦手な物は出来たら避けたいと思ってしまう。
でも、もしかしたら苦手な物の中に自分が必要としている事があるかもしれない。
嫌いから何かを見つけるのはかなりしんどいけど、苦手ならなんとか頑張れる気がする。
だから私は嫌いじゃ無くて、ふんわり苦手と思うように。
自分の中でそうするだけの事だから、すぐに出来ちゃう。
ただ嫌いがほとんど無いって事は、曖昧ゾーンが広いって事なので、こだわりみたいなのはほとんど無くなるのが、いいんだか悪いんだかなんですけどね。