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寝台特急「北陸」~能登半島~富山市電~「スーパーらいちょう」|乗り鉄夫との平成よくばり鉄道旅#4

 半島という半島に惹かれがち、じゅんぷうです。

「乗り鉄」にして「バスちゃん」な夫と、お船とお酒なわたしの南船北馬な過去の旅日記シリーズ。

 ふと、寒いときに寒いところに行きたくなるのはなんででしょう。初日の出号から始まった1999年。

 今度は成人の日3連休を利用して、北陸方面に行くことになりました。ずっと胸の奥に宿っていた、アレを食べたくて―。

日本海側の寒いところに行って寒ブリが食べたい。

 ヒートテック的なお手軽防寒着がまだなかった時代のお話。この旅行に向けてコートにニット、帽子や手袋まで新たに買った私たち。旅先で予想外に寒くてパーカーとか買っちゃいがちなのですが、今回は買いたくても買えるところがあるかわからない…!ということでしっかり準備しました。

平成11(1999)年1月某日21:50。この翌日から3連休で、社畜だった私の仕事終わりのこんな時間に夫と今はなき新宿のワタナベ書店前で待ち合わせ、山手線で上野に移動します。そして上野発のこれも今はなき寝台特急「北陸」金沢行きに乗車。ツインはなく、それぞれ個室です。とりあえず広いほうのA個室に、待ち合わせ前に夫が買い込んできたワインと生ハムなどを広げて乾杯。ワインを2本空けて夫をB寝台に追いやり、A個室で寝落ちしました。

 ダイレクトな揺れで目覚めると、窓の外は雪です。そして缶のお茶が落下して転がっていて床がびちゃびちゃ。足も濡れてて酔いが覚めました。

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 6:30 まだ暗い金沢に到着。雪は少し積もっているだけですが、これからどうするんでしょう。ほくてつとやらに乗るというので、てっきりそれで移動するのだと思い「どこに行くの?」と聞くと、夫から返ってきた答えは「終点」。あああ聞いた私が悪かったです。

 この時間だと金沢観光もできないので、つきあってあげます(最終的に金沢観光なんて1秒もしていませんが)。ただ寝台で酔いつぶれて寝たせいで風邪を引いたのか、鼻水がどうにも止まりません。寒気も。ひたすら住宅地を通過していく北鉄浅野川線で終点の内灘まで行き、金沢にもどってきても薬局も開店前なので、KIOSKでいちばん高い栄養ドリンクを購入します。

 そしてまた乗り鉄の時間がきたようです。8:06 駅弁とティッシュを買い込んでのと鉄道の急行に乗りこみます。鮭と鯛の押し寿司を食べていると(食欲はある)、車窓は光る日本海と雪原。まぶしい…と思ってるうちに寝てしまいました。途中で成人式のお祝いなのか、のぼりを持った集団が線路を横断して一時停車するなど、かなりおおらかな場面に遭遇。

 終点の蛸島で下車して、九十九湾で遊覧船に乗るためタクシーで移動します。予習しない私が悪いんでしょうか。このルートも乗り鉄に欺かれていたことが旅行後に発覚したのです。遊覧船乗り場の最寄りは今まで乗ってきたのと鉄道の九十九湾小木駅で、蛸島からかなり手前。つまり終点まで乗りたいがために目的地を通過し、わざわざタクシー代を払ってもどるとか…ちょうどいい電車がなかったと言い訳していましたがどうなんでしょう。

 まず風邪薬を買いたくて運転手さんに薬局に寄ってほしいとお願いすると「ドラッグ? それとも普通の、町の薬屋さん?」。先に出てくるほうで全然!町の薬局で葛根湯を買い、商店会のポイントシールをもらって運転手さんの笑いをとることに成功しました。平家の落人伝説が残る珠洲という町、このとき原発建設中。車内で葛根湯を吸いながらお話を聞く。移動時間的に、当時は東京から全国で3番目に遠い地だったらしいです。ほんとかなと思いますが、どちらにしろ金沢新幹線ができた今は近づいたでしょうね。 

 さてタクシーは通称「軍艦島」と呼ばれる見附島を臨む「えんむすびーち」とやらに寄り道。撮影スポットのえんむすびーちで大人しく撮影してもらいます。海と空を見て「こりゃ富山のほうから雨がくるな」と運転手さん。

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海岸に宴の跡

 九十九湾に着いたのは蛸島を出て1時間も後。遊覧船の乗客は私たちだけでした。入り江といってもいい小さな湾で、透明度はばっちり。おじさんが船を泊めて撒き餌すると、小さな魚が集まってくるのがはっきり見えます。船底からも海中を覗けて、しっかり楽しんでいると予想通り雨到来。

 九十九湾小木の駅舎からホームへ行くには踏切を渡ることになるので、雨も降っているしギリギリまでロッジ風の駅舎でストーブにあたります。電車が来るのを確認して外に出ると遮断機が下りていましたが、おばさまが上げてくださるという、どこまでもおおらかなのと鉄道。

 つづいて私たちが下車したのは穴水駅。ホームのスタンド店でうどんをすすり、またタクシー移動。向かうのは門前町です。タクシーはぐんぐん山を登り、雪はがんがん降ってきます。しかもすれ違えない山道で、ものすごい雪の轍。私たちの日常とは別世界。古和秀水(こわしゅうど)という湧水を飲みましたが、外が寒いせいか水が冷たく感じませんでした。

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 山を下りて総持寺祖院に着くと、雪は雨に。曹洞宗大本山の荘厳なお寺、拝観案内していただけました。ちなみにじゅんぷう実家も曹洞宗。

 そして着いたお宿は宇宙や曼荼羅がコンセプトなデザインのリゾートホテル「ビュー・サンセット」。夕日は見られそうもない天気なのが非常に残念。隣接する温泉は地元の人や日帰り利用の人もたくさんいます。このときの雪の露天風呂はじゅんぷう思い出の温泉ベストテンに入りますね。雪のせいですかね、ファンでもないGLAYの「Winter,again」が止まらなくて。すっかり体調もよくなり、夕食は名物の七面鳥汁で、冷酒「古和秀水」を2本。

(やっと1日目終了)

 翌朝も雨。ホテル内の大浴場を独占使用し、展望台で海を眺め、朝食をすませると雨が止んで虹が出ました! 天気が変わりやすく、この後も雨から雪、あられ、晴れのくり返しです。チェックアウトの際、フロントの人に「研究ですか?」と聞かれました。研究…といえば研究かなー笑!?と一瞬返事しそうになりましたが、某国立大の教授のグループが宿泊していたもよう。このときオラオラの20代でしたが…やだ教授に見えた?それか学生?

 門前のバスターミナルまでホテルのマイクロバスで送ってもらい、雪道を路線バスで輪島に出発。回りは雪の壁。「次だよ~」と運転手さんに叫ばれてバスを降り、朝市通りへと歩きますがどしゃ降りになり、お土産屋さんで傘を貸してもらいました。屋台から芳ばしい焼えびのにおいに誘われたのですが、カニを買ったお客さんにしかえびは売ってもらえないという…今はカニじゃない、そういうときありますよね? 

 気を取り直して漆塗りの渋いぐい呑みを買ったり、酒屋でまたお酒飲んで地酒を家に発送したり。傘を借りたお土産屋さんにもどってきたところで雨が上がります。こちらのご主人が作っている漆塗りのお箸を買い、漆を塗って切る前の長い白箸をたくさんいただき、お茶まで出していただきました。

 輪島駅まで歩き、のと鉄道七尾線に乗ります。ほとんど観光客で満員。昨日うどんを食べた穴水で2両編成になり、私たちは和倉温泉駅で下車してタクシーで能登島に向かいます。

 タクシー代どれだけ使ってるんだろう。

 能登島ではガラスの美術館へ。またまた宇宙っぽい外観と思ったら、ビュー・サンセットと同じデザイナーさんが設計したとか。毛綱一裕さんという世界的に有名な方でした。ショップでガラスのぐい呑みを買い、誰もいないレストランでカレーを食べてまたタクシーに来てもらいます。和倉温泉のひとつ富山寄りの駅、七尾に移動しました。久しぶりの「街」。お天気雨で、バスに乗り込むとまた虹。

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 次の目的地、富山県の氷見までは路線バスで県境越えするので、バス苦手じゅんぷうは武者震い。県境の「脇」という停留所で富山県のバスに乗り換える必要があります。七尾から脇までは「殿」「庵」など1文字の集落が目につきました。海岸線に出ると、静かな漁師町の風情。脇であられの降る中バスを待ち、氷見では宿にいちばん近そうな停留所を運転手さんに教えてもらって降ります。

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ここが脇です

 宿に向かいながらショッピングセンターや古本屋に寄ったりしていたら、じつは道を間違えていました。古本屋で「古畑任三郎の秘密」なんて買ってる場合じゃなかったですよ。八百屋さんで道を尋ねると、宿は山の上とのことで心配そうに足元を見られました。さすがに今回は厚底ではないけど、まあ街用のスニーカー。雪道だし、こうしている間に日が暮れた。ショッピングセンターにもどってまたタクシーのお世話になります

 夕方6時ごろ、どうにかチェックインできました。古くて素敵なお宿。そしてお世話してくれる仲居さんが無双なキャラでした。年の頃、当時で70前後? まず強制的にお風呂に入らされます。風呂からの眺めは雨のビュー・サンセットよりもよく、氷見港の漁火を見ながらゆっくり温まって部屋にもどると彼女…すみ子が「遅かったわね」と夕食のお仕度中。わたしも手伝わされ、並べ終わると「ビール飲んでくるわ」と去っていきました。

 さあ!キトキトのブリづくし始まります!ブリ刺し、ブリかま、ブリ大根にブリのにぎり。冷酒がすすむー! 2時間もかけて白飯には手がつけられないくらい満腹になり、すみ子がおにぎりにしてくれます。なりゆきですみ子の分をわたしがにぎり、お布団もすみ子と一緒に敷いて22時就寝。3時間後にわたしも夫も酔いが覚めてのどカラカラでバチッと目覚め、真夜中におにぎり。

(2日目も長かった)

 旅の最終日は快晴。極楽の朝風呂から氷見港を眺めます。すみ子に支度をせかされ、ものすごいボリュームの朝食をたいらげてあわただしくチェックアウト。すみ子ともお別れです。この宿の中も、氷見の町や港もじっくり見たかったですが、9:10の氷見線に乗車。雨晴海岸など車窓の景色を楽しんで、終点の高岡で降ります。

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とやま観光ナビより。雨晴海岸

 さて高岡駅で、またまた夫のトイレで異様に待たされます。そしてここから市電の万葉線に乗って終点まで行き、新湊というところまでバックして、そこでお昼を予約しているというではないですか。トイレ含めてゆっくりチェックアウトして、氷見の町もちょっと見て、万葉線で新湊に直行すればいいのでは…もう万葉線に乗ってしまっているものの、夫は雲行きがあやしくなったことを察知してご機嫌をとろうとしてきますが、ちょっとむり。

 予想通り終点には何もない…と思ったらフェリーがありました! 対岸までほんの5分ほどで、なんと無料。0.1秒で乗船決定。工業地帯ですが天気もよく気持ちよかった~。思いがけず船に乗れるって素敵。対岸に着くと富山行きのバスがあったので、予定変更。お昼をキャンセルして富山に向かうことにしました。

 ところがです。富山行きのバスに乗っているのに、夫は途中で降りて市電で富山に行きたいと言い出しました。わかったわかった、もう別行動にしよう、わたしはこのまま乗ってるからあとで富山で合流! そうきわめて冷静に伝えたのですが、冷静すぎたみたいで逆に夫が引き下がりました。だけど呉羽山公園というところでふいに途中下車しちゃうのですが。呉羽山の売薬資料館で富山の薬売りの歴史やら昔の薬のパッケージやら熱心に見学してしまいました。昔、実家にも来てました、富山の薬売りさん。玄関の上がりかまちで置き薬の入れ替えをしてくれるのを、毎回じっくり見ていた遠い記憶。いつも風船をもらえるのも楽しみでした。

 富山駅方面へと坂道を下りていると、夫、滑って転びましたが買ったばかりのハンディカムを死守。ケガもないようですが正確な道がわからないまま歩いていたので、またタクシーのお世話に。夫は運転手さんに「市電通りを通ってください!」と言ってハンディカムをスタンバイ。そんなにも市電に執着していたのかとわたしがドン引きした瞬間です。

 お昼は富山駅で八尾そばと鱒のにぎり。本来は高岡から乗る予定の特急「スーパーらいちょう」に富山から乗ります。そうです京都経由で帰るのです。座席は運転士さんの指差し確認もまるみえのいちばん前の展望シート。ミニ鱒寿司と白海老の天ぷらをつまみに、冷酒2本を輪島で買った漆のぐい呑みでいただいちゃいます。お箸も使っちゃう。車窓から白山を眺めつつ快適…な傍らで床にお酒をこぼして処置している夫。「今度こぼしたら…」と言いかけているそのときに夫の席のテーブルから、酒がなみなみと入った藤の柄のぐい呑みが滑り落ちていくのがスローモーションで見えました。

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惨劇が起こる前

 お酒タイムを終えてウトウトし、目を覚ますと夕暮れの薄紫の琵琶湖。近江もいつか来たいなとこのとき心に決めます。終点、京都に到着。新しい駅ビルが完成したのはこの2年前の1997年で、ふたりともお初です。平成ガメラがぶっ壊したのがこれかあ~としみじみしました。

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最終決戦の地

 京都からは東京行きひかりの2人用個室というプチ贅沢。両隣りが子ども連れでにぎやかでしたが、野口五郎さんの新幹線放送になごみます。ひろみが俺のことヒデキって呼び捨てにするんだよ五郎、という鉄板ネタを新幹線で聴けるなんて。どこよりもビル風が寒い東京に着き、今回もぎっちぎちの旅を終えたのでした。

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CraftMAPで生成

✦うっかり者の乗り鉄とうっかり結婚してしまった私のうっかり旅行記

お読みいただきありがとうございました。次は「河内~讃岐」編です✦

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