14歳男子が聴いている15年前の曲と妊娠出産の思い出
こんにちは、どうやら母のお腹の中にいるとき尾崎紀世彦の『また逢う日まで』を聴いていたじゅんぷうです。
TikTokの影響で『フライディ・チャイナタウン』を聴いていた13歳男子は、先日14歳になりました。
そんな彼が最近聴いているのはORANGE RANGE『イケナイ太陽』(2007)。奇しくも自分がお腹の中にいるときの楽曲ということになります。
歌詞は中2にはアレですが、たしかに流行ってはいたし今聴いても意外と悪くない…けど、これを胎教で聴かせていたわけでは決してなく。
2007。そのとき私は切迫早産で入院していました。
切迫早産、それは早産が切迫しているという状態で、もっと週数が早ければ切迫流産と呼ばれます。
娘のときも切迫早産で1か月ほど入院したので気をつけてはいたのですが、息子の場合は前回よりうんと早いまだ妊娠22週ごろ、定期の妊婦検診に行ってみたらこりゃ大変な状態になっていて、そのまま即入院。
ひとくちに早産といっても22週と36週では雲泥の差で、もちろん早ければ早いほど赤ちゃんにとってリスキー。
娘のときも突然の入院でしたが「あなたの今の一日一日の安静が赤ちゃんの今後何年か分の成長や健康を支えているんですよ」とドクターに言われて、そこでようやく母への扉が開いた次第です。そんなこと言われるなんて、どれだけ入院でやさぐれてたんだか。
さて息子のケースですが、検診を受けていたかかりつけの病院に入院して安静にしている間にも進行してしまい、子宮頚管無力症と診断され、NICU(新生児集中治療室)のある病院に転院することになりました。これもいろいろありましたが、周産期母子医療センターに搬送されてそちらで3か月近く点滴生活を送ることに。
だいたい搬送された切迫妊婦は搬送先で出産(早産)してしまうケースが多いそうなんですが、わたしは搬送先でMFICU(母胎集中治療室)と一般病棟を行ったり来たりして、正規産に限りなく近い35週で出産ではなく退院しておうちに帰り、かかりつけの病院に華麗に舞い戻ったのです。MFICUに二度も入って産まずに出るのはかなりレアのようです。
2歳の娘と猫と離れ離れで入院当初は毎日泣いていたわたしの執念と、お腹の中でがんばってしがみついていてくれた息子と、手厚くフォローしてくださった医療関係者の皆さまのおかげです。
とはいえ、もどって受診してみたらお産の進行が早いだろうからと、陣痛促進剤を使っての予定出産を提案されて、悩みました。だって、ここまできたら月満ちるのを待って自分の力で産みたい。けど正直、メンタルは限界だったのでドクターや夫の「ここまでがんばったんだから、あとは楽に、安全に産んであげて」という意見にしたがうことにしました。正直、もう妊娠をキープすることに疲れていたんです。
本来の予定日の2週間前、朝9時に入院してさっそく陣痛促進剤スタート。すぐに陣痛が起こり「これは先生の言う通り楽勝…」と思っていたら、その後何時間陣痛と格闘しても有効なウエーブは来ず、そうこうしているうちに胎児の心音が落ちるという事態になり、結果、緊急帝王切開となりました。
こうして大波乱で生まれてきたわが子。
胎教だったといえるものがあるとしたら、3か月の入院中、毎日、胎児の心音をチェックされるドップラーの音。自分の心音のビートを内からも外からも聴いていたかもしれません。え待って、だから今パーカッションやってたりする?わけじゃないでしょうけど、内なるビートを刻んで生きてほしいものです。
わたしの長い切迫早産と、一粒で二度苦しい出産の思い出でした。
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