生誕50年✵超個人的カルチャー史【70’s~80’s編】
女子高生のころに女子大生ブームで、高校卒業後にコギャルブームだったオフビートのジェネレーション代表、じゅんぷうですこんにちは。
今年ついに❀50❀になってしまうこの機会にマイブームやトピックをまとめてみようと思ったら、50年が思った以上に長くって高校生で力尽きました。それでも長いのですが、もしよかったら「あなたの知らなくていい歴史」の扉を開いてみてくださいませ。
1972~
あさま山荘事件の年、
沖縄返還の翌日に3500gで元気に誕生。
日中国交正常化記念で
パンダのランランとカンカンが
やってきたのもこの年。
(のちに上野動物園に会いに行き
熱狂のパンダ舎の前でまんまと迷子に)
上野・浅草あたりには
時々連れていってもらっていて
あるとき上野の路上で母に駄々をこねて
うさぎを買ってもらったのですが
飼って1年で祖父に捨てられたのがトラウマ。
もしかしたら捨てたのではなく食卓に…
と思うといまだにもう。
同居していた明治生まれの祖父は
厳格で感情の起伏激しめの人でした。
幼きわたしは当時ブームだった女子プロレスの
ビューティーペア! が大好きで!!
毎週土曜の夕方に女子プロの試合中継があり
お茶の間で祖父に絡みつくように観戦するうち
興奮してアゴで祖父の後頭部を強打してしまい
以来、女子プロ禁止令が出されました。
アゴ、割れなくてよかったです。
子ども番組「ピンポンパン」の時間帯は
祖父母の時代劇タイムで
テレビを独占できるのは午前中の
「ロンパールーム」。スタジオの
巨大ふわふわお子様ランチで遊ぶ子たちが
本当にうらやましかったし、
ロンパールームのおやつの時間には
自分もテレビの前で一緒に
「牛乳は噛んで」飲んだものです。
初めて生で芸能人を見たのは3歳ごろ、
「伊勢佐木町ブルース」の青江三奈さん。
「キャンディ・キャンディ」では
アンソニーより孤高のテリー
「魔女っ子メグちゃん」はメグより孤高のノン
「はいからさん」は少尉より孤高の鬼島さん
キャンディーズはミキちゃん
ピンクレディーはケイちゃん
お人形はリカちゃんよりもバービー派。
渾身のおねだりでゲットした
「キャンディ・キャンディ」のイラストを
トレースするミスまんが家、
イラストのゴム版とカーボン紙で線画を作る
「はいからさんが通る」のいんさつやさんで
もう無限に一人遊びができました。
こう見ると昭和の女子っぽいですが
最初に欲して買ってもらったお人形は
「秘密戦隊ゴレンジャー」のアカレンジャーで
幼稚園に持っていくお箸とフォークセットは
ロボットアニメの「コンバトラーV」でした。
このころから、便利な言い方をすれば多様性、
脈絡のない趣味趣向は育っていたようです。
1979~
小1。
・2年生の男子数人に囲まれ
「おまえ、三原順子好きか?」
「す、好きじゃない」
「チッ、田原俊彦好きか?」
「す、、、好きじゃない(当時マッチ派)」
「よし、行っていい」
といういまだに正解不明の金八検問を受けました。
・埼玉県民のトラウマ
「かっぱが出るぞ きけん遊ぶな」看板が
設置されているような護岸されていない川で
男の子たちとザリガニを捕まえたり
朽ちて放置されている木船に乗ったりとか
今考えると恐怖しかありません。こわい。
小2。
・産休に入ってしまった先生に会いたくて
友だちとふたりで電車に乗ったら逆方向で
もどればいいのに繁華街の駅で降り
いつもは親と行くデパートに入り
屋上遊園で遊んだり
サンリオショップで買い物したり
子どものくせに食堂でサンドイッチ食べるなど
心のまま暴走した結果、帰るお金がなくなり
一緒にいた子のお母さんが迎えにきてくれた。
後戻りができない、それが子どもなんだと
今思う。こわい。
・転校してしまう男子のお別れ会で
手作りまたは自分のものをプレゼントする
という規定のもと、私がプレゼントしたのは
「機動戦士ガンダム」設定資料集。
心の中では
「これ…おまえにやる」
という男同士の(ガンダムとの)別れでした。
小3。
・日曜お昼の「たのきん全力投球」を
テレビの前にラジカセ置いて全力で録音。
・友だちが家に集まった誕生日会を全録音。
・劇場版『1000年女王』の主題歌(英語)を
自分で歌って録音するという
なんでも録音狂時代。
小4。
・親戚の家でいとこたちと「ザ・ベストテン」を見ていた夜。
シブがき隊がタイムズスクエアから中継で
「100%…SOかもね!」を歌い、
子どもながらにみんな
(これをニューヨークで…)
という空気になった直後、
西田敏行がレオタードを着て踊るお菓子のCM
(たしか「あられチップ」)が流れ
「こ、これはニューヨークではやらないよね!?」
と大いにざわついた夏休みでした。
小5。
・マリンブーム(継続中)。
・白魔術ブーム。
・新井素子。
・鼓笛隊でリコーダーで吹いたのは
「キャッツ・アイ」
「ハイスクール・ララバイ」。
・友だち同士で見に行った初の映画「積み木くずし」。
小6。
・スタジャンブーム(継続中)。
・カルチャー感度がとまらないお年頃。
戸川純、デビッド・ボウイ、デュラン・デュラン、大沢誉志幸、本田恭章、中川勝彦・・・
・友だちのお姉さんの影響で
「オリーブ」を読み始め、
女子美の学園祭に連れていってもらい、
女子美の付属中学に行こうと思ったものの
通学電車の乗り換え3回であきらめた、
ウィークエンズや
ハリウッドランチマーケットに憧れた小6。
・小学校卒業とともに
入学時から6年間読んでいた「りぼん」を卒業
(「有閑倶楽部」コミックは買い続けた)。
まんがは「別冊マーガレット」へ。
1985~
中1。
・遠足はつくば万博。EXPO85。
・セーラーズは買えなかったけど
パステルカラーのカーディガンやバッグなど
仲良しグループでおそろコーデしていました。
・みんな「Lemon」のカンペンを使用。
中は2段で部屋とかのグラフィック。
付属のマグネットで
レモンちゃんのファッションや小物の
コーディネートができるというもの。
中2。
・超絶反抗マッドマックス期。
・モノトーン期。
・「ビーバップハイスクール」
「ホットロード」。
ヒロシもトオルもハルヤマも和希も50オーバーですよ皆さん!
・バンドブームにずっぽり。
・大映ドラマ「この子誰の子?」の岡本健一で
ケミカルウォッシュジーンズに出会う。
・アイドル離れした小泉今日子のアルバム「Hippies」が刺さり、
本当にキョンキョンのような人になりたかった。
中3。
・山田詠美。
・銀色夏生。
・岡崎京子。
・安積棍子、いくえみ綾、くらもちふさこ。
・ブルーハーツのファンクラブに入会。
・モノトーンだけどフリルとか、
ビスチェとかジャンパースカート。
・学校に白黒コンビのサドルシューズで行き
先生に「ロックンローラーか?」と
言われただけで怒られなかった寛容な時代。
1988~
高1。
・横浜からきたおしゃれ転校生がはいてた
ルーズソックスに埼玉っ子たちカルチャーショック。
・行くたびに「To-y」を読んでいた喫茶店
「ジャックと豆の木」で夏休みだけアルバイト。
・ウォークマンでスライダーズ
聴きながらの自転車下校中、
一時不停止の車にはねられ全治3週間。
新聞配達のおじさんが駆け寄ってくるとき
頭の中は「老けた…天使だな…」とTo-yが憑依。
・ブルーハーツのライブ会場に向かうバスが
超満員のぎゅうぎゅうで周りの男子が
「押さないで押さないで!
ここで押したらラフィン・ノーズ
(当時ライブ会場で不幸な事故があった)」
と言っていたのをいまだに覚えている。
・3学期の始業式の日の放課後、
友だちとお好み焼き屋さんで
お昼を食べていたところに
「昭和天皇崩御」の号外が配られてきました。
高2。
・ショートカット、ロンTでラバーソウル時代。
・リップはパーキージーンとデジャヴ。
・好きだった先輩をまねっこしたハルタのローファー。
・周囲は工藤静香並みの前髪おっ立て時代。
・放課後は地元の純喫茶「みのり」が定番。
時々「伯爵亭」「ニュー伯爵亭」「すずらん」。
・超ブラック校則の公立校だったけど
なぜかパーマをかけてたし髪色もオレンジ、
ピアスもしてたけど口先と根回しで
一度も処分をくらわず乗り切った、
それがじゅんぷう17歳です。
・同級生の反省文のゴーストライターをやっていました。
高3。
・ソバージュ時代(もはや校則とは)。
・オリーブとキューティーはずっと読んでいたけど時々買うプチSEVENの悪魔の占いが好きでした。
・子どものころフルーツパフェを食べた喫茶店
「パーラーミラ」で土日にアルバイト。
そのお店で流れる有線放送に
よくリクエストして聴いていたのは岡村靖幸。
・相変わらずバンドブームで
カラオケでは女子もみんな誰かしら
ユニコーンの「Maybe Blue」を歌っていたり
かと思えば「今日は聖子しばり!」
「ミポリンしばり!」みたいなこともしていました。
・世界史の先生がプライベーツのボーカルの
延原さんに似ていてちょっと好きでした。
ここまで振り返って、ひとつ言えるのは…
喫茶店の名前が時代を物語りますね。
原宿駅前にあった「オリオン2」も好きでした。
専門学校の体験授業を受けに行って
仲良くなった子とお茶したなー。
まだ18/50なので、つづきます! 90年代へ!