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可愛くなれる言葉の角度について考えてみた

自分の好きな角度、素敵に見える角度というのはなんとなく人それぞれにあるように思う。右より左の顔が好きというようなことや、不自然にならない程度の笑顔の作り方を知っているだけで大体のことは上手くいくように思う。

可愛くなれる角度が私にもあるのであれば出来るだけ早めに伝えて欲しい。

あぁ神様。。

あざとくて可愛い千葉雄大みたいなスキルとウィルキンソンの辛口ジンジャーエールを1:9で割って僕に今すぐ飲ませておくれよ。


さてさて、ここで話したいのは見た目の角度みたいな話しではなく、言葉(性格とか内面的な)の角度というような話をしてみたい思う。発する言葉によってはもしかしたら可愛くなれる愛される角度というものがあって、それをみんな無意識に選び、使い分けてるんじゃないかと思ってる。

ストレートな言葉の表現で伝えたりすることは想いや気持ちを正直に伝えたいという意思表示としては間違いなく必要なのですが、柔らかい放物線を描くようなゆっくりとした変化球を投げることの方が私自身は得意なんじゃないかと思う。

相手を傷つけたくないと思う気持ちと、どこかで自分を守るための保険をかけているというような感覚も確かにある。

親しい仲でも対話の中で食い違うこともあり、言葉が正しく伝わらないこと、理解できないことも多く、相手が受け取りやすい、相手に合わせた言葉選びというものもあるように思い、いろんな言葉の変化球を持ってると良いんじゃないかと考えてみた。


相手に対して全球全力でストレートなこと言ってると、嫌われることはないかもしれないが実際問題どう思われるか想像してみてほしい。かなり良くて裏表のない性格をしているだとか、サバサバしてるだとか、気を使わなくて良くて楽だとか。最悪の場合、空気が読めないだとか、デリカシーがないだとか、TPOがどうのこうの言われるわけですよ。別に自分を抑えて相手に合わせる事が必ずしも正解ではなく、時にどんな相手に対しても間違ってると感じた時は、ガンガン言わなくちゃいけない場合もあるし、適当な変化球投げてる方が波風立たなくて気持ち的には楽な場合だってある。全く相手に合わせないというのも後々のめんどくささを考えるとどうだろうかと考えてしまう。

自分の中で言わなくても良いこと、言わなくちゃいけないことを後々になって後悔することや悩むことがないように、時に言葉には角度や変化をつけなくてはならない。また、人の言葉にも同じように角度がある事を知っていると、必ずしもその発言は伝えたままの意味ではなく、思いやりだったり、優しさだったりが含まれているかもしれないなと気づくことができる。ほんの少し優しい世界に変わる。


この人にならこんな言葉の投げ方をする。

今度この人にはこんな言葉を投げてみようと考えてみる。

どんな反応があるかな。無意識に人によって言葉や話し方を変えたりすることもあると思う。思わせ振りと聞くと少し悪いイメージを感じるかもしれないが、ある程度は必要なことのようにも思う。相手の立場に立って今必要だと思う言葉を、時に背中をそっと押すような言葉を選ぶことのできる、そんな人になりたいって思う。


言葉に角度をつける事は相手のことを知ることと共に、自分自身を知ることになる視点のようにも思います。自分のこう言った一面を見て欲しい、伝えたいというような、そんな言葉選びが結果的に愛される、可愛くなれる角度として自分自身がちゃんと理解できていると良いんじゃないかなって思います。


お互いに言いたいことを言いたい放題で相手の話を全く聞いていない女子トークをたまに見かけることがあるが、話すことが苦手な僕はそれを羨ましく思う。

何も考えず素直な気持ちを言い合える関係もやっぱり素敵だと思います。

言葉のノーメイク始めますか?

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