東京の大学生のウクライナ旅行記2019年冬①2019年11月21日〜1日目〜🇺🇦
はじめに
この記録は2019年11月21日から24日の間の3泊4日のウクライナ渡航に関するもの。
昨今のロシア軍の侵攻で話題となっているウクライナ。2019年9月から2020 年3月までの交換留学の期間における海外旅行の経験の中で、最も印象に残り、最も異国情緒を楽しめた国。帰国後もいつかもう一度行きたい、良さを伝えたい、と思っていた国であったため、その分最近のニュースは胸を痛める。
またいつか再訪したいと思っていたウクライナ、特にキーウ(キエフ)の惨状には目も当てられないほど辛い感情をこの2カ月ほど持ち続けている。
あの時の新鮮な感覚や刺激をいつまでも持ち続けたい、そしていかに素晴らしく面白い国だったかを記憶・記録に残すため、今回、当記事を記してみることにする。なんのユーモア・レトリックもなく、ただ実際に行った足跡・記憶を綴るものであり、1番の目的は自分の記憶に残すことであることを留意していただきたい。その上で、他者へ伝える表現には注意を払っているつもりであることもご理解願いたい。
上述と同じ内容であるが、日記のように事細かに記し、さまざま自分が撮った写真以外にgoogle mapのスクリーンショットなどを用いて、自分の足跡を残したいと思う(あと本当に自分でも几帳面だと思うが、全ての出納をエクセルに残していたため、かなり詳細に記載することができるはずと認識している)。
事前準備
航空券:事前決済
航空券は、渡航のおよそ3週間前の10月31日にウクライナ航空でコペンハーゲンとキーウ往復便を購入。116.97USD(当時のレートでおよそ12866円)での購入であった。預け手荷物は無しで、リュック一つでの搭乗であった。
宿泊費:現地決済、1日目クレジット、2,3日目現金
具体的には後述もするが1泊目のホステルはキーウ中央駅から徒歩5~8分のところで 、料金は一泊300UAH(1650円)であった。
2泊目3泊目のホステルも1泊目のところからおよそ5分の徒歩のところであった。決済はユーロ現金で行い、一人25€(約3000円ちょっと)であった。
チョルノービリ(チェルノブイリ)原発ツアー:建て替えで現金支払
友人が事前に予約をしてくれ、一人の参加費は104€(約12500円)であった。
通貨両替について
当初の通貨レートについてだが、当時何を思ったか、コペンハーゲンの空港にて、デンマーククローネをウクライナのフリブニャ(UAH)に両替するという賢くない両替をしており、11000円分のデンマーククローネが7500円分のフリブニャになってしまった(過去のログより)。今後はくれぐれも強い通貨から両替するように心がけたい(具体的には696.58DKKを1650UAHに)。なので当旅行では1UAH=5.5円の感覚で現地を過ごしていたようなので、今後のフリブニャ(UAH)と円の表記は上記レートで記載する。
空港から市内へ
航空会社:ウクライナ航空(UIA)
便名:PS162便
出発地:コペンハーゲン・カストルプ空港(CPH)13時20分発
到着地:キーウ・ボルィースピリ空港(KBP)17時半頃
SIMカードの購入
到着ロビーに着き、SIMカードを購入した。無愛想なカウンターの女性だった記憶がある。事前のリサーチでは
170UAHで1.5GBのSIMがあると聞いていたが、無いと言われた。そのため
300UAH(1650円)で通信量無制限のSIMを購入した。
市内へ
空も暗く寒いキーウに一人で降り立ち、非常に心細かった記憶がある。
そのはず、ウクライナに私を誘ってくれた友人は当時IAEAのオフィスのあるウィーンで東大から研究室留学をしていたのだが、彼は2日目の昼からの合流であったため、今日と次の日の午前は一人行動であった。
空港からホステルをとっていたキーウ中央駅(Kyiv Central Station)はおよそ35キロの距離で、中央駅へのアクセスは電車かバスかということが事前のリサーチでわかっていた。確か当時は電車の方がバスより安かった記憶があるため電車で行くことを望んでいたが、定刻より早くに電車が行ってしまった直後であったようだった。周りを歩いたが、係員もいなかったため、バスでキーウ中央駅(別名:ヴォグザリーナ駅)に向かうこととした。
(写真内の電光掲示板は17時42分を差しているが電車が停まっていない。写真の撮影は現地時間17時41分なのだが。)
(電車のプラットフォームを一人探し回っている時に見つけたよくわからないオブジェ。世界中の都市への距離を表しているよう。)
バスに乗り込む前に確か屋外のキオスクで水を購入した(17フリブニャ約95円)らしい。クレジットカードで支払った記憶があるが、使えるんだーという少し驚きもあった。
市内へのバスは事前のリサーチ通り現金のみの取り扱いであったため、乗り込んだ後に100UAH(550円)を現金で支払い、おそらく18時にバスが出発した。
市内到着とホテルへの道
何分乗ったかは記憶にないが、およそ1時間弱の乗車だったのだろう。途中一駅停まるが、目的地は最終駅である。ヴォグザリーナ(Vokzalna)駅(Google Map)に着くと、皆三々五々に降りていった。駅周辺でスリにあったという記事を旅行前にブログで読んだため、旅行者であることを悟られないよう、写真を撮るのも憚るくらいに慎重になっていた記憶がある。そして勇気を振り絞って撮った写真が下である。
(キーウ中央駅 also known asヴォグザリーナ駅, 撮影:筆者, 現地18:56)
ヴォグザリーナ駅は新しい感じがするが、当時は初のキリル文字圏ということで、緊張が勝り、早くホステルに行きたいという気持ちしかなかった。
ホステルへ:Booking.comで事前予約、現地決済
ホステル名:Petrani Central
住所: Архітектора Кобелєва 6, кв 1, Solomjanskyj, Kiev, 03049, ウクライナ
Вул. Фурманова 6, Солом'янський, Київ
電話: +380 96 165 6969
GPS座標: N 050° 26.350, E 30° 28.946
(写真はホステル玄関, 筆者撮影, 翌朝9:19)
予約していたホステルの入り口がかなりわかりにくかった。あたりに街灯もない通りをGoogleMapは指しているし、誰もいないし、っぽい入り口には酔っぱらいが立っていた記憶がある。欧州随一の貧困国と言われる国で一人真っ暗の中ホステルを探したのは非常に怖い経験だったと今でも記憶している。
きっかけは忘れたが、ツタの絡まりそうなドアを開けると綺麗なホステルの受付があり、優しい若い女性の方が受け付けてくださった。クレジットで一泊分の支払い(300UAH=1650円)をし、入り口入って右の2+2の男4人同居の部屋を通された。全て他のベッドは埋まっており、自分は上のベッドに割り当てられた。充電口はなかったため、下のテーブルの上に寝ている間充電することになったが、盗られなくてよかった。
夕食
夕食へ
ホステルへのチェックインを済ませ、荷物を置き、駅前広場へと夕食を食べに向かった。
先ほど怖がり散らかしていたが、ただこの駅周辺にはドミノピザやKFCなど欧米のチェーン店が多数並んでおり、同時に安堵も覚えた記憶がある(写真上)。また日本の超有名ラーメンチェーン店「麺屋武蔵」もこの駅前広場にあり、かなり驚いた記憶がある。しかしどうせウクライナに来たならということで、向かったのは飲食複合施設内の隣にあった下記のレストラン。
レストラン:Puzata Hata(Пузата Хата)→公式HP
どうやらウクライナ料理店のようで、写真のように食堂のように自分で食べたいものを取っていき、最後レジで会計をするという方式。ここで私はポテトサラダと、定番ウクライナ料理のボルシチとピロシキをチョイス。
合計:66UAH(363円)
家族連れも多く、一人の人もいた。
レジの決済前に一枚写真を撮っていた
カウンターのような高い椅子のところで一人食べた記憶がある。美味しさに感動し、絶対再びこの旅行中にもう一度来ると思った記憶がある。そしてその後二回ここに来ることに(笑)。
レストランは100人くらい入るほど広かったが、座席を探すのに手間がかかるほど混んでいた。食べ終わったらそのままにして、従業員のおばあちゃんが下げてくれるシステム。なので食べ終わった後の前にいると座席を確保できる。
夕食後の散策と就寝
束の間の散策
Roshen (Google Map)
夕食後近くのお店へと入った。何が売っているか知らずに入店したが、入ってみるとお菓子屋さんであった。個人的に甘いものは好きでないし、日本でもこの規模のお菓子屋さんをあまり見ないため、甘いのが好きな人が多いのかな、と思った記憶がある。
しかしレジの前しか出口がなく、何も買わないで出て行くことができないようなお店の形態であったのが印象的であった。
就寝へ
散策の後ホステルに帰り、おそらくシャワーを浴びたのだろう。また翌日合流する友人はIAEAにインターンシップをしていることもあり、このウクライナーチェルノブイリ旅行に誘ってくれた。その彼が推奨してくれたHBOのドラマ「CHERNOBYL」を1話見て就寝した。
ホステルで1話しか見ずに、翌々日のツアーに参加したことを非常に後悔したが、1話だけでも非常に興味のそそるリアリティのある内容であったことは確かである。ぜひご覧になることを勧めたい。
次の日について
次の日は世界遺産である聖堂を回り、合流した友人とチェルノブイリ博物館に行くプランがあった。夕方3時頃合流するとのことだったので、それまで一人時間を堪能しつつ、二人旅行が開始する。
終わりに
そこはかとない、とりとめもない文章でした。
それは先述のように、第一の目的は自分の記憶に、より鮮明に刻々と経験を刻み込むことだから。
しかしもしお読みになった方がいれば、何か役に立てていたら、そして現在のウクライナの状況により心や注意を傾けるきっかけになれば、幸いです。乱文失礼いたしました。
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