魔道祖師と陳情令のこと



ネタばれあります。











補遺8【乱葬崗から生きて戻った?】


 この線をきっぱり否定できないのでちょっとだけ考えてみる。
 たとえば【5】で触れた、この部分。ここは魏無羨の未来の予見と言えそうな部分だ。

顔色一つ変えず、続けてさらにでたらめなことを言い放つ。
「霊力も怨念も、すべて人間が生み出すものです。霊力は体に溜め込んで、大いに人間のために使われているのに、なぜ怨念を人間のために使ってはならないのですか?」
「なら逆に聞く! その怨念たちがきちんと君の意のままに動き、他人を害さないとどうやって保証できる?」
「それはまだ思いついてません!」
「もしその答えを思いついたなら、仙門百家はもう君を放ってはおけなくなる。─ ─ 出ていけ!」
〉(1-130)


 ストーリーの展開上、金丹をなくした魏無羨が金丹のあるはずの場所(丹田?)に怨念をため込んだ、という設定。その空隙を作るために江澄に金丹を譲る話を置いたという可能性。これは大いにあり得る。というよりこちらの方が読みとしては素直な読みのような気もする。

 こちらの方での難点は、やはり温晁に落とされたその高さをどうやって助かったのかという一点。それさえ解決すれば、あとの魏無羨の変化はどれも結局は「怨念のせい」で片付けようと思えば片付けられるのだが……。


……………………


 ここまで書いて結局これぐらいのことしか言えないし、何も解決しないし、そのために一項目立てるのもなあ、なんてずっと放置していたら、次のような記事が出ておおおう!?となった(笑)



《魏無羨と藍忘機のルーツがわかる~陳情令と魔道祖師は「武侠」で読み解く》

https://bushoojapan.com/hiscontents/2021/11/24/164005

※25日に一部改変して再配信された模様。11月24日初見時には閲覧、リツイート済み(→消しました。理由は最後に)。
前項「乱葬崗とか鬼とか」のところに感想のみメモ書きとリンク貼り(→同記事「付記」)しましたが、どこが変わったかは今は精査できず。ツンデレ江澄のことが詳しくなっているような気がしたけども気のせいかも。きちんとメモとかしなかったので※


〈『神鵰侠侶』では、猛毒に冒された小龍女が「十六年後に会いましょう」と告げて楊過の前で崖から落ちます。ちなみに武侠ものでは崖落ちで重要人物が死なないこともお約束です。〉


 ということで、見る人が見れば私の疑念などは速攻木っ端微塵なのねと笑ってしまった。
 てことなら冒頭の補遺8でよろしいのね?ということになる。(←ここ後述)
 んー、こう書かれてあるということは他にも用例があるのだろうと思うけれど、そこは知りたい。つまり「その根拠を示す」が私の住まう世界のセオリーなので……。


 さて上記記事を大まかにまとめると

そもそも『魔道祖師』自体が二次創作(記事筆者は「同工異曲」と表現)である、と。(→二次創作という表現は撤回します。理由後述)

原典(翻案元)は

『秘曲笑傲江湖』金庸:1967-1969香港「明報」紙に連載(@wiki-wikiからの引用は以下同表記。まとまった引用などには〈 〉を付した。基本的には自分用の手控えなので気になった方はご自身で確認していただければより正確かと)

『神鵰剣侠』(原題『神鵰侠侶』金庸:1957~60? 香港「明報」紙に連載。射鵰三部作の第二作『射鵰英雄伝』『倚天屠龍記』(@wiki→『倚天屠龍記』については当該ページには出ていないのでいろいろ調べて補完。)


 てことで先の引用ページを理解するのと、私の考えを整理するために必要そうな項目だけwikiからまとめておく。(現状、手がかりがwikiしかないからご勘弁)


『秘曲笑傲江湖』

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A7%98%E6%9B%B2_%E7%AC%91%E5%82%B2%E6%B1%9F%E6%B9%96

ヒーロー
令狐中→華山派(正派)の一番弟子、おおらかな性格。臨機応変に事態に対処できるが深謀遠慮はないので自分を追い詰めることも。重い内傷を負って内功のすべてを失う。その後、魔境の奥義を修得し復活。

ヒロイン
壬盈盈→日月神教(魔教)の前教主の娘。令狐中ははじめ盈盈を老婆だと思っていたので「おばあさん」とよばれたことも。


東方不敗→日月神教の教主。前教主(盈盈の父)を追い出し西湖の湖底に監禁。


「笑傲江湖」
曲洋(日月神教)と劉正風(衡山派)とが音楽を通じて結んだ友情の結果残した曲(琴と簫の合奏曲)。この譜により令狐中の運命が翻弄されるらしい。




『神鵰剣侠』

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A5%9E%E9%B5%B0%E5%89%A3%E4%BF%A0

ヒーロー
楊過→親の敵を探しつつ武術家へと成長。浮浪児として落ちぶれていたところを父の義兄弟に救われる。武林の名門全真教に預けられるもイジメに遭い出奔、小龍女の弟子となる。唯一の家族として彼女を慕っていたがやがて愛となった。

ヒロイン
小龍女→古墓派の宗主。類い稀なる美貌の持ち主。俗世から隔離されて育ち澄み渡った水のように純真な心を持つ。

概要
師弟間の恋愛が禁断とされた時代、楊過は師である小龍女と恋に落ちる。そんな二人を保守的な道徳観念を持つ世間は許そうとせず、引き裂こうとする。だが、二人はそれに屈せず、様々な苦難にも立ち向かい、一途に愛を貫く。この楊過と小龍女の純愛を中心に、物語の中ではいくつもの愛憎劇が描かれている。
燃え盛る炎のように気性の激しい楊過と、俗世から隔離されて育ち、澄み渡った水のように純真な心を持つ小龍女。性格の全く違う二人の恋に加えて、郭靖・黄蓉夫婦等、前作『射鵰英雄伝』の主要人物の引き続きの活躍や、南宋を滅ぼそうとするモンゴル帝国の野望とそれに対する人々の抵抗等が描かれ、物語を大いに盛り上げている。
@wiki一部抜粋〉


楊過https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A5%8A%E9%81%8E 

小龍女との愛
師匠と弟子の恋愛は、当時近親相姦にも比肩するほど人倫に反する行為だと考えられていたからである。……黄蓉が、小龍女は16年に一度現れるという南海神尼に弟子入りしたのではないかと語り、楊過は半信半疑ながらも、小龍女との再会を願いながら治療を受けるのだった。

神鵰俠
小龍女との再会を待つこと16年。楊過はさらなる武術を身に付けつつ、義俠心から人助けなどをしながら各地を放浪していた。その際、顔を仮面で隠し、名を明かさないため、江湖では巨大な鳥を連れている俠客ということで、神鵰俠と呼ばれるようになっていた。もうじき小龍女と再会するという日、16年に一度現れるという南海神尼の伝説は楊過に自殺を思いとどまらせるための嘘だということが発覚し絶望、自殺を図ったこともあった。
〉(@wiki)


 先の記事を理解するにはさしあたってここらの情報があるとわかりやすいか。


 先の引用元記事は元が映画レビューということなので映画案内として視覚的な情報も多くて楽しかった。「レジェンド・オブ・ヒーロー」なんて聞いたことあるぞ?最近だったよねえ?なんて薄らぼんやりと。まあ知らないってそういうことです。

 トニー・レオンとかチョウ・ユンファとかレスリー・チャン、レオン・カーウァイとか出てきて嬉しかった(←こっち系も撮ってたのか!?)。このまえワン・イーボーの『無名』の絡みで懐かしいなあトニー・レオンなんてと思いながら香港の映画眺めてて、そういえば最近のは見てないなあなんて思っていたところだったので好みの役者さんの出ている映画やなんかも探そうと思います。



気になる点

「酒の飲み方が豪快」
 『陳情令』魏無羨の酒の飲み方は特徴のある飲み方で、逆にこれが中国の酒豪の飲み方として定番なのかと思って私は『陳情令』を見てた。これが豪放磊落をイメージさせる飲み方なんだと。ただ、この記事を見る限りみんながみんなそういうことでもなさそうで、『陳情令』独特の演出っぽい。

 実はメイキング映像で魏無羨役肖戦、藍忘機役王一博両人が(この二人しか見ていないけどもw)ウォーターボトル(?)からお茶を飲むとき、口をつけずにのどに注ぎ込んでいるので、これが中国の役者さんの通常の飲み方なのかとまで単純に思ってみていた私。これ、口紅とかメイクの関係とか口をつけるのはちょっと、てことでこういう飲み方をしているんだとばかり……。よく気管に入らないね、器用だねと思いながら見てましたけども。演出なのか、それともそういうものなのか、ちょっと興味ある。


「崖落ちは死なない」
 これも、ドラマとして作られ13年を16年にした、というのも『陳情令』が『神鵰侠侶』を意識している、ということでその筋のお約束としてそうなんだろうということはわかった。『陳情令』の冒頭それでスタートし、この二人がそういう関係であろうと示唆するという指摘はとくに。

 ただ、そこでいきなり、その二人の関係が「ボーイズラブ」であるというのはやや飛躍かも。結局、二人の関係は強い友人関係である域を越えないように描かれるので。「ブロマンス」とか「バディもの」とかいう言葉がありますね。世間がどこまで区別して意識しているかは定かではありませんが、ふつうは区別して使われる。原作は明らかにBL=ボーイズラブ(肉体関係を伴う)だが、ドラマ『陳情令』、アニメ『魔道祖師』は決してそうではないので、念のため。

 なので、ドラマ制作者としては「近親相姦にも匹敵する(@wiki)」ような禁断の愛という危ない雰囲気をこそ強調すれども、それを表面化し標榜して語る意図があったとはとても思えない。そもそも国策としてそこは解放されていない領域なので描けるわけがない。けれど、任侠ものにあるような男同士の篤き友情はきっと大好きなお国柄ではないかと思われる(個人の感想です)ので「男同士の強い友情(でもちょっと恋愛寄り)」という情報を視覚的に伝えられればそれでよかったのではないかと。でないと逆に原作寄りのBL風味に寄せてますという間違った情報を提示することになる。視聴者にはあくまでもイメージとしてあの二人みたいな強い絆と恋愛っぽい感情があります、までの情報開示。そのさきは好きに想像してね、という解釈でいいのでは。

 それはともかく「崖落ちは死なない」らしいので16年後魏無羨が生き返るし、なんなら落ちた直後早速第1話で生き返る(原作「献舎の術」、『陳情令』「舎身呪」によって)のだが、つらつら鑑みてみるに結局温晁に落とされたときどうだったのか、については解決されていないのだ。上記記事を読んだときは自明のことなんだと思ったのだけれど、よくよく考えたら崖落ちの前の魏無羨はどうなっているのかについては答えがないことに変わりはないといまこの文章を書きながら途中で気が付いた。

 言いがかりめいて聞こえるかもしれないが、温晁は御剣の術で空から魏無羨を落としているのだし……。原作がある以上私はどうしてもテキストとして文字を追い納得したい。ドラマの視覚的な情報でもそこはやはりわからないままになっているのはほんとうにわからないからだろう。実際、本音のところでは文字情報を追っていても結論が出ない以上、これ以上の回答らしきものはないのかもしれないと思ってはいるけれども……。

 ドラマ『陳情令』の演出はたとえば『神鵰侠侶』の描き方を踏襲してはいるようだが、原作『魔道祖師』に踏み込んだ演出をしているとは限らない。陰鉄の存在、義城組と魏無羨たちが既に知り合っているなど、『陳情令』独自の演出やストーリーテリングは明らかに存在している。
 その意味で言えばむしろ原作『魔道祖師』の13年後という時間設定にこそ別の意味が隠れているかもしれないとも言える。

・あえて少し短くしてみた
・生まれた赤子(金凌)が一人で動き回るが、それでも保護者を必要としている年頃(←でも金凌ぐらいの年で父親になっている者もいるから泣くのは恥ずかしいのに、と原作にはあったから(3-388)ちょっと違うかも)
・12年一回り、それにすこし足したぐらいの年月

 どれも今考えたもので、ほんの思いつきだけれど、つけようと思えばいくらでも13年にした理由はあげられる。だからこそ、物語として13年の理由を探す方が大切なのかもしれない(もちろん作者のただの思いつき、適当(「随便」?w)ということは充分にあり得るが)。


 たとえば、芥川龍之介の『地獄変』『羅生門』などの凄味を考えると翻案元の今昔物語集を凌駕する人間性で以て迫ってくる。『魔道祖師』と金庸氏の作品群は時代も近いし、けっして古典からの翻案というわけではない。
 きっと上記記事にあるとおり「同工異曲」なのだろう。先に似たような物語があったのは事実のようだから。でも、それを言い出すと物語はおおかた先行の表現があって成り立っていると言えなくもない。このあたり、今の私には結論として出せるものが何もない。
 ただ……。
 物語としてはBL要素なしに展開してもよかったのに、もしそのせいで評価が落とされるんだったら残念すぎると私は思っていて、友だちにそう話したら
「うん、でも作者はBL書きたかったんだよきっと」
と返された。
 たしかに。きっと作者は、私だったらこの世界をこんなふうに書きたいという思いがあっての創作だったのだろうし、そう考えると、BLという要素を織り交ぜつつ、さらにたくさんの必然をしたたかに打ち込みながら物語を構築していったわけで、その意志の力と筆力には圧倒される。原作はやはりオリジナルと言うべきであろう。

 二次創作、なんて言い方を私はリツイートでしてしまったけど、ここに来て改めて二次創作というのはやはり軽々な発言だった。ここに撤回する。




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