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にゃんカフェ平蔵(その三)
月夜のルナ
噺家、平蔵だったのか?
「ところがところが移住してまもない頃は火星暮らしの地
球猫でいられるが、子へ孫へと世代が進むにつれて地球生
物ではなくなってエイリアン猫になっていく。そりゃそう
だ、引力が地球の四割弱ってことで骨も筋肉も弱くなる。
地球猫は火星へ行けばハイパーキャットだが、火星猫は地
球に来ると体重が一気に三倍ほどにもなっちまい、動けな
くなるって寸法よ・・ほんでな・・」
猫社会ですっかり名の知られた、にゃんカフェ平蔵。
その日の夜は満席が続いていた。平蔵の新作落語に聞き入
る猫たち。平蔵は落語家ではなかったが、噺が面白いとい
うことでお客は落語のつもりで聞いている。
今宵のお題は『地球猫平蔵』
宇宙開拓の時代に猫族戸籍なんてナンセンス。世田谷平蔵
なんてちまちました発想ではすまされない世界がやって来
る。東京猫でなく日本猫でもない、地球猫平蔵でいいので
はないか。
ンま、といったSFチックな噺なのだが、いまから1000年
ほども先のこと。喰っちゃ寝ばかりで人生(もとい)にゃ
ん生ろくに考えずに生きてきた猫たちにすれば、びっくり
こいて屁ぇこくほどのテーマであった。
軽く一席、噺を終えて、ウエイトレスで働くようになった
シンディが言った。
「マスター、追加オーダーよ。またたびパフェ、ワンじゃ
なくいてニャン(ひとつ)」
「はいよ。うーん、そいつでまたたびメニューはストップ
な、売り切れだ」
「はぁい」
シンディはオーダーしたお客にウインク。
「お客さんラッキーよ、最後のイッコだって」
猫にまたたび。人気の(もとい)猫気のメニュー。またた
び効果でほろ酔い気分の猫だらけ。
美女猫シンディは明るくキビキビ。あっと言う間に人気者
(もとい)猫気者になっていき、シンディ目当てのオス猫
たちが集まったのだが、平蔵の彼女と知ってガックシ。
なのに会いたくてやってくる。男は猫でもバカな生き物。
夜も更けて店はクローズ。お客が帰ってシンディはゴミ捨
てに外に出る。
・・と、古寺の境内に置かれた大きな庭石の上に茶色虎柄
の牝猫一匹。物想う面色で夜空に浮かぶ三日月を見上げて
いた。
歩み寄ってシンディが言う。
「今夜も綺麗ね、お月様」
「あ、うん。そうよね、ロマンチックな夜だけど・・」
その猫、横顔に憂いあり。もっそ美女猫。
「ロマンチックな夜だけど、何?」
「噂を聞いて来てみたらバカなオスが群がってる。どいつ
もこいつもまたたび酔い。ま、いいけどね、どっちにした
って対象外よ、ふんっ」
ちょっと高慢な口ぶり。なるほど美人な(もとい)美猫な
彼女だ。
シンディ手招き。
「ちょっと覗けばいいじゃん」
「でももうクローズでしょ」
「いいからおいでよ。細かいこと気にするマスターじゃな
いんだから。コーヒーぐらいできるんだし」
んで、店内。
平蔵は初対面の美女猫をチラと見てシンディに言った。
「こんな時間にどした? 友だちかい?」
「ううん、ゴミ捨てに出たら岩んところで月を見上げてて
さ。ムッサいオス猫ばっかだったから遠慮したんだって」
「そうかい。まあいいや、何か飲むかい?」
と平蔵が尋ねると、その彼女、カウンターにそっと座って
言うのだった。
「ストレートティできる? ぬるめでお願い、猫舌だから」
「おっけ、ちょい待ち。ところで君は?」
「白川ルナよ、はじめまして」
「ほほう、はるばる白川村から?」
「そ。家出してきた。道すがら噂を聞いて来てみたの」
「なるほど。ま、つまらん詮索はしねえから、のんびりし
てきな。閉店したって、しばらくは大丈夫」
「うん、ありがと」
「俺は世田谷平蔵、こいつは高岡シンディ」
ルナはちょっと笑って浅いため息。そして言う。
「詮索も何も家出に理由なんてないんだよ。プチ家出なん
だもん。ふらっと出て二日や三日は帰らない。しょっちゅ
うだから飼い主だって気にしてない。白川村は山ん中での
んびりしてるし」
店の中を掃除しながらシンディが言った。
「まさに山猫だもんね」
「言える、ほんとそうだわ。ダチなんて猫族よりも鹿や猪
のほうが多いぐらいよ。このあいだなんて熊の小僧に言い
寄られたし」
と、冗談混じりに笑うルナ。
「でもね、街は合わない。憧れではあるけれど、来てみて
いつも思うんだ、合わないなって。あたしはルナで月の女
神。月はひっそり浮いて輝くもの。山の月は、それは綺麗
よ」
詩的なことを言ってのける美女猫ちゃん。
平蔵は背を向けたまま言った。
「星もそうだぜ。俺もこっちに来て思う、夜空がキラキラ。
世田谷の空とは何かが違う」
ルナは、寂しげにちょっと笑い、そして言った。
「だけど月は可哀想。自分では輝けない。あたしみたいだ
なって思うんだ」
平蔵はあえて振り向かず、さて・・と考える。
ルナとはネガティブ女子なのか。それとも自己陶酔型のダ
ークヒロイン指向なのか。ただ単に『考えすぎだよ』とで
も言ってほしいだけ・・ではないような気もするしと、一
瞬の思考。
そのへん察したシンディ。平蔵がどう言うか。シンディも
興味津々。
そして平蔵。
「そんなルナでも、また来てほしいし、来たいと思うカフ
ェでありたい。言えるのはそれだけかな」
ルナはスリット目を丸くする。
「こんなあたしでも、また来てほしい?」
「二日、三日の家出なら明日また。またたび残しておいて
やる」
するとルナ、しばらく無言で平蔵と目を合わせ、首を傾げ
てちょっと微笑み、出て行った。
シンディが言った。
「来るかしらね明日?」
「どう思う?」
「あたしなら・・ふふふ、あの子、嬉しいよ、きっと」
棚の下に猫の手をのばした平蔵。
「ほれ、またたび」
「あら? 売り切れたんじゃないの?」
「おまえの分さ。そろそろ閉めよ、お疲れさん」
「・・あたし泣きそう」
作者注)またたびには麻薬効果があって猫は幸せな気分に
なるらしい。猫じゃないから、わからんニャ。