【分野別音楽史】#12-3 電子音楽やクラブミュージックなどの歴史(90年代)
『分野別音楽史』のシリーズです。
良ければ是非シリーズ通してお読みください。
今回の内容は、90年代に入り一気に多種多様なサブジャンルが花開いた時代になります。この部分を押さえておくことで、○○ハウス/○○テクノなどと呼ばれている様々な音楽ジャンルの違いが把握でき、解像度を上げて捉えることができると思います。
現在のEDM~クラブミュージックやエレクトロミュージックを理解するためにも重要な内容になってくると思われますので、ボリューミーですが頑張って見ていきましょう。
◉アシッド・ムーブメント後のクラブシーン
80年代末~90年代初頭にかけて非常に大きな影響力をもったアシッドハウスのムーブメントですが、ドラッグ禍の問題や社会の不安定化の観点から危険視した政府・警察によりたびたび圧力を受けるようになります。
さらに、そのブームに目をつけたプロモーターたちによって多額の入場料を取る商業目的のレイヴが行われるようになると、ムーブメントは当初の精神性を失い、下火となっていきました。
ムーブメントの担い手たちは、その後、①商業化されたレイヴやポップミュージックシーンへと向かうか、もしくは②アンダーグランドなクラブ文化へと流れていくかの二極へと分かれていきます。
そうして、ヨーロッパ各地域の文化と結びつくことにより、一気に多種多様なサブジャンルが花開くこととなったのです。さらに、シカゴ、デトロイト、ニューヨークといった、ハウスやテクノを産んだ本家アメリカの地においても独自の発達をしていき、ヨーロッパのクラブシーンと結びついていったのでした。
◉ビッグビート
イギリスにおいて1980年代後半以降、テクノとロックの双方から影響を受け、バンドサウンド重視の音作りとサンプリングによるブレイクビーツのループを多用した特徴のビッグビートというダンスミュージックが発生しました。
ファットボーイ・スリム、ケミカル・ブラザーズ、アンダーワールド、プロディジーなどが代表的なアーティストとして登場しました。「80年代後半から90年代のイギリスにおけるロックとダンスミュージックの融合」という意味では、マッドチェスターと近い位置にあるジャンルとも言えます。
さらに、イギリスのDJ ポール・オーケンフォールドが、同じくイギリスのバンド U2 の楽曲をリミックスし、本家を超える高いチャートにランクインするなど、ロックとダンスミュージックの接近が推し進められたのでした。DJの世界番付・人気投票が始まるなど、ドラッグなどと距離の近かったクラブ文化は次第に健全化し、DJの地位も向上していきました。
◉ハードコアテクノ/ガバ
アシッドハウスとともに混然一体となってヨーロッパへ持ち込まれたテクノも、その後ヨーロッパ全土へと広がり、各地域の地域性と融合していきました。
オランダやベルギー、アメリカのニューヨーク、オーストラリアのニューキャッスルなどにおいて同時発生的に、テクノを高速化させ狂暴化させたハードコアテクノが誕生しました。メスカリナム・ユナイテッドの「We Have Arrived」がその始まりだとされています。
その後、さらに高速化したガバというサブジャンルも誕生し、ハードコアテクノの主要なスタイルとなりました。そもそもギターのエフェクターであったディストーション(歪み)をコンピューター上でドラムマシンのキックにかけるなど、コンピュータの持つ可能性を活用して、従来の常識を壊す前衛的なサウンドメイキングが模索されはじめたのです。特徴的な歪んだキックはガバキックと呼ばれます。
代表的なアーティストは、ネオファイト、ザ・スタンド・ガイズなどです。
◉ミニマルテクノ
テクノの源流であるアメリカのデトロイトやドイツでは、テクノを狂暴化させたハードコアテクノ/ガバとは対照的に、ミニマルミュージックと結びついて展開をシンプルにさせたミニマルテクノが誕生しました。
デトロイトテクノから見た1990年代初頭の状況は、テクノがパーティー向けの「レイビーなサウンド」になりすぎてテンポが速くなり、ガバが出現した、というふうに悲観されました。
その反動から従来のストイックなサウンドへの揺り戻しが望まれ、特にクラシックや『現代音楽』の伝統、そしてクラフトワークなどの電子音楽の文化を持つドイツにおいて、ミニマル・ミュージックとの結合が発生したのです。
"繰り返される短いドラムパターンやメロディの「基本形」が徐々に変化していくテクノ、またはその「基本形」に少ない音で味付けされたテクノ"という説明がなされます。
そもそもの1960年代ごろ以降の『現代音楽』におけるミニマル・ミュージックの巨匠、スティーブ・ライヒ、フィリップ・グラス、テリー・ライリーらから影響を受けつつ、ミニマルテクノはロバート・フッド、ダニエル・ベル、ジェフ・ミルズ、リッチー・ホウティンらがそのサウンドを産み出しました。
◉プログレッシブハウス
同じように、ハードコア・テクノやレイヴ・カルチャーに対するカウンタームーヴとして「ハウス側のアクション」として発生したのが、プログレッシブ・ハウスです。楽曲の長さが長く、大きいスケールでクライマックスへと向かう構成が特徴とされます。
レイヴの発生によってアシッドハウスのようにサウンドが過激になっていったため、「アシッドハウスからの離脱」「反・レイヴ」のハウスがプログレッシブハウスという語で呼ばれるようになったのです。
レイヴ人気が収束した1990年代中盤には、この「プログレッシブハウス」がハウスミュージックの主流となりました。アーティストとしては、レフトフィールド、ドラム・クラブ、スプーキー、フェイスレスらが成功し、DJではガット・デコール、サッシャ、ジョン・ディグウィード、そして、先ほども挙げたポール・オーケンフォールドが挙げられます。
◉ハードハウス
一方そのころニューヨークでは、それまでのハウスよりも激しいスタイルの新しいハウスがプレイされ、ハードハウスと呼ばれて流行していました。1992年にオープンしたクラブ「サウンド・ファクトリー」において、DJであるジュニア・ヴァスケスがプレイした一連の楽曲、及びそれに類似した楽曲群を「ファクトリー・サウンド」と称したことが始まりのようです。この動き以後、ジュニア・ヴァスケスの人気上昇やダニー・テナグリア、ジョナサン・ピーターズなど他の人気DJの誕生と熱狂的な支持を背景に、アメリカ全土にのみならずヨーロッパや日本にまで人気が波及し、ハウスの一ジャンルとして確立されるに至ったようです。
◉ディープハウス
ヨーロッパでのプログレッシブ・ハウスの誕生やその他ジャンルの細分化、そしてアメリカでのハードハウスの誕生によって、80年代から鳴らされていた従来のハウスミュージックのサウンドに対して単に「ハウス」と呼ばれていた名称はいつのまにか「ディープハウス」と呼ばれるようになっていました。
そのディープハウスとしての枠組みで初めて評価されたのが、1996年に始まったパーティー「ボディー&ソウル」です。このパーティーにはハウスを産んだDJであるラリー・レヴァンと共にパラダイスガラージなどでDJをしていたフランソワ・ケヴォーキアン、ダニー・クリビット、それにレコード店の経営者ジョー・クラウゼルの3人によって行われ、世界中から人気を博しました。こうして、多様なサブジャンルが派生したあとでも、従来のサウンドも「ディープハウス」という1ジャンルとして生き残ることができたのでした。
◉テックハウス
このように、テクノとハウスのそれぞれのシーンで様々な潮流が発生していましたが、もともと相互に関連しあっているこの2つのジャンルにおいて、その中間ともいえるサウンドも登場してきており、テクノとハウスの中間を表す概念としてテックハウスというジャンルが誕生しました。
テンポに関してはハウスより早く、テクノより遅い傾向で、音の特徴としてはハウス由来のキックの4つ打ちを保ちながら、テクノの持つ無機質な空気感を演出し、音数はむしろテクノやハウスよりも少なくなったものがこう呼ばれました。
つまりミニマルな方向への融合がこの「テックハウス」であり、イギリス的なアップリフティングな融合ではなく、あくまでもドイツ的なダウナーへ向かう融合であったために、特にドイツで支持されました。
逆に、ハウスとテクノ双方のアグレッシブな部分を継承するという、音数が増える方向へ融合したものは「ハードハウス」と呼ぶのがふさわしいとされます。また、ボーカルが書き下ろしの歌詞などを歌うものは、通常の「ハウス」か「ディープハウス」と呼んだほうがふさわしいとされています。
テックハウスがボーカルを使う場合、サンプリングしたボーカルを切り刻んで配置するなど、テクノ的な効果音として使用するのが通常だそうです。
◉アシッドジャズ/クラブジャズ
さて、このようなクラブシーンにおいて、ジャズやフュージョンのレコードも選曲されてリズムマシンやサンプリングを絡めてプレイされるようにもなっており、クラブシーンから派生した「踊るためのジャズ」という文化が生成されつつありました。
クラブで客を踊らせるのに適したレコードが過去の豊富な音源の中から探されるようになり、従来のジャズリスナーとは全く異なる価値基準で音楽が評価されるようになったのです。発掘されるようになった音源群は「珍しいグルーヴ」「見つけ難い音源」という意味でレアグルーヴと呼ばれるようになっていました。
このような背景から、特にこの時期に登場したジャズ・ファンクやソウル・ジャズ等の影響を受けたクラブミュージックがアシッドジャズというジャンルとなりました。クラブで踊るためのジャズというもう少し広い意味では単にクラブジャズという言い方も登場し、現在まで使用されています。
そして、このムーブメントと一体となったバンドやアーティストも登場しました。インコグニート、ブラン・ニュー・ヘヴィーズ、ジャミロクワイらが代表的なアシッドジャズのアーティストです。
彼らの音楽はあくまでもジャズ・フュージョンシーンではなくクラブシーンに向けたものであったため、ジャズリスナーからは認知されることはありませんでした。「ジャズ」という名前が付いていてもジャズ史に記述されることもなく、クラブミュージックのジャンルの一つとして残ることとなったのです。
◉フレンチハウス
1990年代後半以降、多くのフランス人アーティストによってもハウスが作られ、フレンチハウスと呼ばれました。70年代後半~80年代前半にかけてのディスコ楽曲からのサンプリングや、その影響を強く受けた独自のフックと、フィルターやフェイザーといったエフェクターの独特な使用法が特徴だとされています。
このジャンルは特に、ダフト・パンクが世界的に成功したことをきっかけにしてサウンドが広く知られるようになりました。
◉イタロハウス
1980年代にはイタロディスコやスペース・ディスコが流行していたイタリアにおいて、ハウスやテクノがアメリカからやってきたことにより結合していき、90年代においてイタロハウスとしてメジャーシーンに顕在化しました。元来のシカゴハウスよりも熱狂的で、ピアノが印象的なハッピーでポップなサウンドが特徴だとされます。
ブラック・ボックスが特にヒットしたアーティストであり、「ライドオンタイム」「Everybody Everybody」などが有名です。
◉ハウスサウンドのヒットチャート進出
ハウスミュージックが様々な派生をしていった中で、このようなサウンドを取り入れた楽曲がヒットチャートにランクインするようになっていきました。上述のイタロハウスのブラック・ボックスをはじめ、ベルギーのテクノトロニック、ドイツのスナップ!、そしてアメリカでもニューヨークのC&C ミュージックファクトリーやシンガーのクリスタル・ウォーターズなどのアーティストが挙げられます。
◉トランスミュージック
さて、ディープハウスやテックハウスなどとは反対に、レイヴやアシッドハウスからの潮流、そしてハードコアテクノなどから発達していったのがトランスミュージックです。
疾走感のあるテンポでうねるようなシンセサイザーのフレーズが反復され、ダンスフロアにいる人々の脳内の感覚が幻覚や催眠を催す「トランス状態」に誘うかのようであることから名付けられました。初期のトランスはアシッドハウスの影響がよく感じられます。
このような初期トランスのサウンドは、サイケデリックロックの時代からヒッピームーブメントの聖地とされていたインドのゴア地方に持ち込まれて、独自の発達を成し、ゴアトランスというサブジャンルを生みました。インド音階やイスラム音階などを用いたメロディや、宗教を思わせるパーカッションや音声をサンプリングし、有機的で民俗的な楽曲が多いのが大きな特徴です。
さらに、このゴアトランスが発達していき、サイケデリックトランスが生まれました。サイケデリックトランスにおいては、インドや宗教的な要素は消えていき、催眠的な高揚感・トランス感がより重視されました。インフェクテッド・マッシュルーム、ジュノ・リアクターなどが代表的なアーティストです。
一方、ハードコアテクノなどの要素も取り入れられながらヨーロッパを中心に発達していったトランスミュージックはユーロトランスと言われ、特に90年代後半、オランダにおけるユーロトランスの派生、「ダッチトランス」が大成功しました。
そして、オランダに限らずともトランスの中心的なジャンルがダッチトランスとなっていったのでした。RolandのJP8000というシンセサイザーに搭載されていた、ノコギリ派の波形を重ねた「Super Saw」という音色を利用した壮大でメロディアスな楽曲が特徴的です。
システムF(フェリー・コーステン)の「アウト・オブ・ザ・ブルー」のヒットをきっかけに広まり、2000年代にかけて勢いを拡大していきます。ティエスト、アーミン・バン・ブーレン、フェリー・コーステン、ランク1が代表的なアーティストです。
◉ユーロビートと日本の「パラパラ」
イタロハウスを中心として、ヨーロッパのHi-NRGをルーツとしたハイテンションなダンスポップも、イギリスを筆頭とする欧州のチャートを席巻し、「ユーロビート」と呼ばれました。
しかしユーロビートは、アメリカでは全く知られていない場合が多く、ヨーロッパでもすぐに飽きられてブームが収束していきましたが、日本においては日本特有のディスコのダンス文化「パラパラ」が流行したことによって高い認知度を得ることができ、アイドルソングにおいても非常に大きな影響を受けました。
この時期の多くのトランス的なユーロビート楽曲が日本のアーティストにカヴァーされてヒット曲となっています。「日本のPara Paraの音楽」として逆輸入して認知されている場合もあります。
◉レゲエ~ジャングル~ドラムンベース
ここまですべて、クラブミュージックの中でも大きく「ハウスミュージック」系統の潮流でしたが、ここで別の流れにも触れておきます。ジャマイカで誕生し発達していたレゲエから派生した流れです。
イギリスは、カリブ海からの移民を積極的に受け入れていたため、サウンドシステム文化を含めてレゲエサウンドが黎明期から流入していました。80年代のレゲエのコンピューターライズド時代には、イギリスでも同様の革新が行われ、ニュールーツと呼ばれていました。
こういったサウンドが、ニューウェイヴやテクノ、ハウスなどの音楽にも少なくない影響を与えており、ロックバンドのマッシヴアタックが取り入れたレゲエサウンドはトリップホップというジャンル名で呼ばれたりもしていました。
このようにレゲエの影響力が続いていた中で、1990年代、レゲエのトラックやベースラインでありながら、ドラムのブレイクビーツを高速で鳴らして複雑化した「ジャングル」というジャンルが誕生しました。これは、ターンテーブルの回転数を誤って鳴らしてしまったのを面白がって、音楽に仕立て上げたレゲエDJたちが祖先とされ、はじめはレゲエ音楽の亜流だったものが独立していったのでした。
レベルMCというDJらがこの手法を産んだとされ、1994年に発売されたM-Beatの「Incredible」のヒットが、ブームのきっかけとなりました。
ジャングルにおいては、レコードからサンプリングされたドラムブレイクのみをリズムとして使用する事が大半でしたが、やがてリズムマシンやソフトウェアなどを用いたクリアな音質のリズムも併用されるようになり、レゲエから完全に離れたディープなクラブミュージックの1ジャンルとして発展していき、これが「ドラムンベース」というジャンルの誕生になりました。
1990年代中盤以降、ドラムンベースはイギリスのクラブシーンで隆盛を見せました。初期のドラムンベースのアーティストとしては、LTJブケム、ファビオ、ゴールディー、4ヒーローなどが代表的です。
ジャングルやドラムンベースにおいて非常に重用されたブレイクビーツが、「アーメンブレイク」というものです。これは、ファンクバンドのウィンストンズの楽曲「アーメン・ブラザー」という曲の一部で、ドラムソロの部分が抜き出されたものでした。
テンポを遅くしたものがヒップホップにおいてもよく使用されていましたが、ドラムンベースにおいては、高速化に加えてサンプラーによる加工と再構築によって複雑化し、そのビートの可能性が広がったのでした。
アーメンブレイクは、「世界で最も有名であり、最も多くの曲にサンプリングされた、最も重要なドラムソロである」と言われています。
このようにしてアーメンブレイクは切り刻まれ複雑化していき、90年代後半にはドリルンベースというサブジャンルも登場しました。
ドリルンベースはスクエアプッシャーが創始したとされ、代表的なアーティストとしては他にエイフェックス・ツインやμ-Ziq(ミュージック)なども有名です。
彼らはイングランド南西端のコーンウォールから台頭したため、「コーンウォール一派」と呼ばれています。ただ、彼ら自体はドリルンベース以外の音楽もたくさん生産しており、ドリルンベースだけでなく、後述の「IDM」という実験的な電子音楽のジャンルのアーティストである、とも分類されました。
ドリルンベースと類似の分野として、ブレイクビーツを歪ませるなど、ハードコアテクノやガバの影響が見られるサウンドはブレイクコアとも呼ばれます。ブレイクコアは、ドラムンベースの中でも最もビートの音圧が高く激しいサウンドであるといえます。さらに、ブレイクコアにおいてジャングルの段階に残されていたレゲエの要素を保ったままのサウンドはラガコアと呼ばれました。
このようにしてドラムンベースがクラブシーンに台頭したことにより、ハウスミュージックの系譜とは別の、もう一つの重要な潮流が生まれた形となりました。
◉UKガラージ/2ステップガラージ
1990年代初頭、イギリスではシカゴハウス黎明期の「ガラージュ」のスタイルを発展させようとした動きが生まれました。
まず、同時期にアメリカのDJ、トッド・エドワーズによるソウル寄りで独特のボーカルエディットがなされたハウス/ガラージュがイギリスに渡ったのでした。そして、折しもレゲエ~ジャングル~ドラムンベースの影響力が増していたイギリスのクラブシーンにおいて、これらの影響を受けていき、独自のスピードガラージというスタイルが生まれます。他にアンダーグラウンド・ガラージなどという呼び方もあり、徐々にこれらのシーンが「UKガラージ」という一つのジャンルとなっていったのです。
ハウスの4つ打ちとは違う、ハウスよりもスピードのある、この“変わり種”のダンスミュージックは、「テンポを落としたドラムンベース」「ハウスとドラムンベースの中間」とも言うことができ、海賊ラジオ局やパーティでヘビープレイされて広まっていきました。
90年代末、このUKガラージのサブジャンルとして「2ステップガラージ」(単に2ステップとも)が台頭し、メインストリームでの成功を果たしました。4つ打ちでは無いキックのパターンと、ハネたリズム、そしてポップなR&Bヴォーカルが特徴です。そして、これが2000年代になりダブステップの誕生へと繋がっていくことになります。
◉エレクトロニカ/IDM
必ずしもクラブミュージックに限らないような実験的な電子音楽も発達していきました。そのような音楽はエレクトロニカと呼ばれました。
広義では電子音楽の総称としての意味もあるといえますが、それは単に「エレクトロミュージック」と呼んだほうが適切で、「エレクトロニカ」という語が持つニュアンスとしてはより実験的な傾向が近いといえるでしょう。
90年代初頭の当初は「IDM(インテリジェント・ダンス・ミュージック)」というカテゴライズもありました。特にクリック、グリッチ、カットアップといった電子的なノイズを利用した手法が評価され、狭義のエレクトロニカのイメージとなっています。このような手法はテクノなどのクラブミュージックにも輸入されていきました。
オウテカ、アクフェン、フォー・テット、ジ・オーブ、オヴァルなどが著名です。また、先ほど挙げたドリルンベースのアーティストも、その幅広い音楽性からIDMに分類されることもあります。
◉ラテン音楽のR&B・クラブミュージック化
ここで、以前の記事でも度々触れているラテンミュージックの状況にももう一度触れておきます。
90年代、ボサノヴァやサルサなど、従来の古いラテンミュージックは衰退していきつつありましたが、特にカリブ海諸国を中心に、多くのラテンジャンルがハウスミュージックやヒップホップを取り込み、クラブミュージック化していっていました。
ドミニカ共和国ではロマンティックなラテン歌謡をダンスサウンドでカバーしたようなメレンゲなどが登場し、サルサなどもR&Bバラード風のものやヒップホップのスタイルを取り入れたもの、リズムマシンの4つ打ちを取り入れたものなどに進化しており、こういったサウンドが、スペイン語圏のダンス音楽の新たな主流となったのでした。
また、プエルトリコでは、サルサなどの従来のラテンと、レゲエ、そしてヒップホップなどの要素が加わったレゲトンが誕生しました。プエルトリコ首都のクラブ等で若者がスペイン語でラップしたことから人気が出始め、スペイン語圏の国にまで広まりました。90年代に産まれたこのサウンドは、21世紀になって徐々に影響力を増していくことになります。
このようにこの時期、世界的には一旦影響力を失ったように思えたラテン音楽ですが、スペイン語圏の水面下での発展が、この後21世紀になってから再びメインストリームのクラブミュージックで注目を浴びることに繋がっていきます。