#29 音楽史㉔【2000年代末~2010年代前半】EDMの席巻
クラシック音楽史から並列で繋いでポピュラー音楽史を綴る試みです。このシリーズはこちらにまとめてありますのでよければフォローしていただいたうえ、ぜひ古代やクラシック音楽史の段階から続けてお読みください。
時代が最近に近づくほど、内容に異論も多々出てくるかと思いますが、あくまで個人の一見解としてお読みくだされば幸いです。補足などあれば是非コメントなどでご教授くだされば勉強させていただきます。攻撃や粗探しではなく、集合知で知見を高めていくという考え方でブラッシュアップしていければ嬉しいです。それではまいります。
◉クラブミュージックは「EDM」へ
まずは、クラブミュージック史の流れをざっとおさらいします。70年代末に「ウェアハウス」というディスコから発生した「ハウスミュージック」は、アシッドハウスの発生から、80年代末にヨーロッパで「セカンド・サマー・オブ・ラブ」というレイヴ(=野外パーティー)の人気となり、90年代には一気に多数のサブジャンルが生まれました。その中で、特にオランダのトランスミュージックやフランスのエレクトロハウスといった、ハイファイな電子音やエフェクトを多用したスタイルが00年代に成長していました。一方で、レゲエからの派生であるジャングルから発達していった、ドラムンベース、ダブステップとったイギリスを中心とした系譜も、ハウスミュージック系とは別に存在していました。
このようにヨーロッパで発達していたクラブミュージックですが、アメリカでは全く認知されていませんでした。そこで、ヨーロッパのDJたちはアメリカ進出の足掛かりとして、アメリカのR&BシンガーやHIPHOPのラッパーをフィーチャリングした楽曲を発表しはじめたのです。
なかでも、R&Bシンガーのケリー・ローランドをフィーチャリングした、デヴィッド・ゲッタの「When Love Takes Over」や、ヒップホップグループのブラック・アイド・ピーズをフィーチャリングした「I Gotta Feeling」などが世界的大ヒットとなり、様々なクラブで流されるようになりました。
アシッドハウス以来のレイヴカルチャーに対する規制によってドラッグなどの悪いイメージが続いていたクラブ文化ですが、こうしたエレクトロハウスのヒットをきっかけとして健全かつ大衆向けなものとしてメインストリームに浮上し、危ないイメージは薄れ、若者に流行しはじめたのです。
また、ダッチトランスの代表的DJであったティエストやアーミン・ヴァン・ブーレンもこの流れに乗り、より派手なサウンドを志向するようになっていきました。
こうして、アメリカで一気に火が付き始めたこのようなサウンドは「エレクトリック・ダンス・ミュージック」略して「EDM」と呼ばれるようになります。それまではひたすら細分化が進んでいたクラブミュージックが、このEDMというシンボリックワードに一気に飲み込まれていったのです。
EDMは特に2009年頃から世界を席巻し始め、2010年代前半のサウンドを象徴するものとなりました。マイアミで「ウルトラ・ミュージック・フェスティバル」などといった大型フェスティバルが開かれるようになるなど、一大ムーブメントとなります。
大きくクラブミュージックとしては、90年代に派生した様々なサブジャンルの中でミニマルテクノやディープハウスのようなストイックなサウンドも並存していましたが、EDMは大型フェスティバルや大箱のナイトクラブのダンスフロアを熱狂させるためのダイナミックなものが人気となり、特にそのような意味を込めてEDMの典型的なサウンドは「ビッグルーム」というジャンルで呼ばれました。EDMは、サブジャンルで言うとトランス、エレクトロハウス、プログレッシブハウスなどを中心に発展していきました。
スウェディッシュ・ハウス・マフィア、カルヴィン・ハリス、LMFAO、アフロジャックといった人気DJやプロデューサー、DJユニットが台頭し、時に人気R&Bシンガーを迎えて楽曲をヒットさせていきました。
アヴィーチーはEDMをカントリーやフォークとも接続して絶大な人気を得ました。
オランダ出身のニッキー・ロメロも、デヴィッド・ゲッタやティエスト、カルヴィン・ハリスに認められるほどのトップ人気のDJとなり、アヴィーチーとコラボした楽曲も話題となりました。
大箱向けのEDMサウンドでありながらメロディアスでポップなサウンドで人気を獲得したDJがゼッドです。
他に、KSHMR、ハードウェル、W&W、カスケード、エリック・プライズ、ショーテック、ディサイブルズ、ディミトリー・ヴェガス&ライク・マイク、ケーズ、アレッソ、アラン・ウォーカー、マーティン・ギャリックス、スティーヴ・アオキ、アバヴ&ビヨンド、ポール・ヴァン・ダイク、キャメルファット、ギャランティス、ポーター・ロビンソンといったDJやプロデューサーらがビッグルーム系のEDMの重要アーティストになります。
さてクラブミュージックには、ハウスミュージックの流れとは別に、ドラムンベースやUKガラージ、ダブステップといった"非4つ打ち"のクラブミュージックの系譜も存在しています。こちらもEDM人気の波に乗ってサウンドが強烈化していきました。その筆頭が、ダブステップのサブジャンルとして登場した「ブロステップ」です。
イギリスのプロデューサー「ラスコ」によって生み出され、2010年にデビューしたアメリカのプロデューサー「スクリレックス」のヒットによって一大人気ジャンルとなったといわれています。
ブロステップは「ワブルベース」という唸るようなベースが特徴で、従来の内省的なダブステップに比べて中音域を強調する電子音も多用されました。このような攻撃的なサウンドが一般的に「ダブステップ」として認知されてしまったため、真逆の性質を持つ従来のディープなダブステップを好んでいた層ほど、このブロステップを嫌う傾向にあるようです。
ラスコ、スクリレックスのほかに、ナイフパーティー、キル・ザ・ノイズ、シックドープ、ゾンボーイ、クルーウェラ、ジャックUなどがダブステップ(ブロステップ)の代表的なアーティストです。
◉EDM~R&B~ロックが包括された「ポップミュージック」シーン
クラブミュージックはもともとDJが重要であったことからEDMにおいても多くのプロデューサー・DJが注目され、上記でもDJを中心に紹介することとなりましたが、今度はR&Bからの流れを持った視点で、シンガーを中心に見てみます。
R&Bシーンはそれまで、ヒップホップに影響を受けたビートのループを用いて、ソウルと同じような構成でゆったりとポップに歌い上げる形が主流だったといえます。ところが、上述した通り、EDMのDJやプロデューサーとR&Bシンガーとのコラボの流れが起きたことから、ポップミュージックシーンは一気にフロア志向のダンスサウンドが強まっていきました。しばらくの間バラード路線やヒップホップ路線といったディープな空気感が漂っていた時期を過ぎ、80年代のマイケル・ジャクソン以来の華やかなポップ・スターが続々と誕生する時代を再び迎えたのです。
レディー・ガガ、リアーナ、ケイティ・ペリー、アウル・シティ、ニッキー・ミナージュ、カーリー・レイジェプセン、アイコナ・ポップ、ピットブル、クリス・ブラウンといった人々が、歌唱力を武器に、EDMサウンドに則った数々のヒット曲を放出していきました。
このような中で、EDMサウンドに限らないヒットソングも放出してポップ・スターの仲間入りをした人々もたくさんいます。まずは、ロック・ポップ寄りのテイラー・スウィフトや、従来のR&B的なバラード路線のアデルらを挙げられるでしょう。
バンドのマルーン5やワンダイレクション、シンガーのブルーノ・マーズも、このようなEDMポップシーンの中で、ロックやR&Bサイドからのアプローチでヒット曲を残し、存在感を残しました。
さて、EDMは2009~2014年ごろが全盛期だとされますが、大箱向けのハイファイなサウンドに一辺倒であったこの時期を経て、2010年代後半にはビッグルームとはまた違ったトレンドへと移行していき、クラブミュージックは再び細分化しはじめるのでした・・・。
◉ロック/エレクトロニカ
このようなEDMの活況に対して、ロックシーンには90年代までのようなモンスターバンドに替わる存在がなかなか認められない空気となっていました。前述したマルーン5やワン・ダイレクションなどのポップなバンドはメジャーシーンで活躍をしましたが、従来のロックファンの期待に必ずしも副うものではありませんでした。
ロックというジャンルの定義は、他のジャンルの定義などとも同じく、日々その意味の変遷を続けているのは当然なのですが、00年代以降は特にメインストリームでもEDMやネオソウルとの融合、そしてインディーズやアンダーグラウンドでもエレクトロニカなどとの融合が顕著で、もはや旧来のロックファンが求める狭義のサウンドでロックというジャンルが捉えられなくなっている、と説明することもできるでしょうか。
一方で、00年代以降のロックも若手バンドは次々に登場していました。特に「UKロック」という分野は、いわゆる日本の"ロキノン系"のバンドにも影響を与えるなど、まだまだ我々が無視できない存在感を維持していたとも言えます。
◆UKロックの流れ
まず、00年代後半以降のUKロックシーンを見てみると、前回の記事で紹介したアークティック・モンキーズらがまだまだ存在感を放つ中で、さらにマキシモパーク、マッカビーズ、ザ・ビュー、ハードファイ、コーティナーズ、ブロック・パーティーなどといったバンドが台頭し、シーンを盛り上げました。
さらに、クラクソンズはニューウェイブとレイブを引っかけた造語「ニューレイヴ」というキーワードで人気となります。実際のサウンドは、ニューウェイヴやレイヴほどのエレクトロサウンドではなく、単に「キーボードや電子音が見え隠れするアレンジによる、踊れるロック」という意味合いでこのニューレイヴが受容されたということだといえます。
ニューレイヴのムーブメントは、クラクソンズとともにレイト・オブ・ザ・ピア、サンシャイン・アンダーグラウンドなどが牽引し、続いてフレンドリー・ファイアーズもその影響下にあるバンドとして台頭しました。
2010年代に入るとさらに、ツードア・シネマクラブ、ザ・ヴァクシーンズ、フローレンス・アンド・ザ・マシーン、ザ・ストライプス、チャーチズ、ボンベイ・バイシクル・クラブ、アルト・ジェイ、ジェイク・バグ、パーマ・ヴァイオレッツといったアーティストやバンドが登場しました。
このように若手による次なるムーブメントが画策される中でも、90年代のオルタナティブロック全盛期からオアシスなどを筆頭としたベテラン勢も活躍を続け、うまく世代交代が行われなかったことが指摘されています。往年のロックファンにしてみれば、ロックとしてのヒット曲が出ず、新人スターも登場しない、ラジオでロックサウンドが流れなくなってしまった、などの感触が高まっていき、2010年代はロック冬の時代と言われるそうです。
もはや若者たちはヒップホップやR&B、ダンスポップやアイドルを聴き、ロックは「中高年が聴く時代遅れの懐メロだ」というふうな立ち位置になってしまいました。パソコンで音楽制作を行うDTMが普及し、個人での音楽制作が容易になったため、バンドという形態が流行らなくなったことも原因だとされています。
◆USなどのロックやエレクトロニカ
アメリカのバンドは、特にインディーズシーンでサイケデリックで実験的なエレクトロニカ風味のサウンドが中心となっていました。「ロック」という分野で統一的に見るならば、UKのニューレイヴとも呼応する流れと捉えることもできるでしょうか。ロック以外の視線も考えるのであれば、EDMやヒップホップなど、シンセサイザーサウンドの定着や、パソコンでの音楽制作が主流になった流れもあると言えるでしょう。
MGMTやザ・キラーズ、パッション・ピットなどのバンドがこの説明に当てはまるバンド群だといえます。さらにカナダのインディー・ロックバンド、アーケイドファイアもそのようなサウンドの例として挙げられるでしょう。
このような中で、逆に異質なサウンドとして注目されたのは、軽やかでさわやかなポップロックを鳴らしたヴァンパイア・ウィークエンドです。
さらに、ノイズを特徴とした90年代のロックジャンル「シューゲイザー」からの系譜を引いたバンド群では、00年代以降に登場したバンドが「ニューゲイザー」と呼ばれていました。エレクトロニカの要素も混ぜ合わされ、マイ・ヴィトリオール、ウルリッヒ・シュナウス、アソビセクス、M83、アミューズメント・パークス・オン・ファイアなどがニューゲイザーのバンドとして挙げられます。
そのような潮流をルーツとして、エレクトロニカ・IDMのシーンには、EDMとは相反する、Lo-fiでチープな、アンビエントの要素もブレンドされたレトロなシンセポップである「チルウェイヴ」が登場しました。チルとは「落ち着く、のんびりする」などを意味する英語のスラングであり、「グローファイ」とも称されました。ウォッシュト・アウト、トロ・イ・モア、ネオン・インディアン、スモール・ブラック、クレイロなどが挙げられます。
このような音楽の出現が、80年代への憧憬と批評・風刺を含んだ解釈で捉えられ、2010年代に入り、Web上の音楽コミュニティで人気となっていきました。それらはいつしかヴェイパーウェイヴと呼ばれる新たな音楽ジャンルに成長します。ヒップホップのサンプリングのように、レトロな素材を加工と切り貼りして制作され、ある種のミュージック・コンクレートやアンビエント音楽とも捉えられました。ヴェクトロイドの2011年の作品「フローラル・ショップ (フローラルの専門店)」が発端とされ、拡散していくにつれすぐに多義的なムーブメントとなっていきました。ヴェクトロイドのほかにはラグジュアリー・エリート、ワンオートリックス・ポイント・ネヴァー、猫シCorp、ブランク・バンシーなどが挙げられます。
同じく、インターネット上のニッチなコミュニティから発生し、2010年以降同時現象的に発展したジャンルとして、シンセウェイヴ(レトロウェイヴ)も挙げられます。こちらも80年代カルチャーへのノスタルジー的引用が特徴の電子音楽で、発生初期はフレンチハウスとの結びつきが深かったのが、2011年公開の映画『ドライヴ』のサウンドトラックで多くのアーティストが参加し、シンセウェイヴ的なサウンドを鳴らしたため、この映画の公開がきっかけとなって新たなファン層やミュージシャンがうまれたようです。そこから特に人気となったのが、カヴィンスキーやエレクトリック・ユースです。
◉ヒップホップ
90年代のギャングスタ・ラップが収束していった2000年代のヒップホップは、サウスからのサウンドが台頭したことと、エミネムやカニエ・ウエストといったアーティストによってメインストリームへの進出が進んだことがトピックとして挙げられました。
2000年代後半、特にカニエ・ウエストやT-ペインは、ピッチ補正ソフトであるオートチューンを積極的に使用していくことで、新しいサウンドを提示しました。カニエ・ウエストはさらに、当初のジャズやソウルのサンプリングからは徐々に距離を置き、ダフト・パンクなどのエレクトロサウンドを取り入れるなど、クリエイティブの面で新風を起こしていきます。
カニエ・ウエストは、2008年のアルバム「808s & Heartbreak」の成功によって音楽界にインパクトを与え、現在では「このアルバムが今のアメリカのヒップホップおよびポピュラー音楽を支えている」という風説まであります。ヒップホップサウンドとしては賛否両論渦巻く問題作とされましたが、これをきっかけにラップと歌の境界線が揺らぎ始めたのでした。
カニエに続く流れとして、キッド・カディやビッグ・ショーンが登場し、後のオルタナティブR&Bのサウンドにも影響を与えていきました。
この時期になると、YouTubeやDatPiffといったサービスが登場し普及したことから、ヒップホップの伝わる場がストリートからネットへと移行していきました。それを決定づけた事件が2つあります。
T.I. やグッチメインらのブレイクを後押ししたとされるプロモーター、DJ ドラマのミックステープが著作権法違反で逮捕されてしまったことで、それまでグレーゾーンだったミックステープの規制が厳しくなり、露店のミックステープが押収されていき、ネット上のミックステープサービスのDatPiffなどへ場が移行していった。
アトランタのラッパー、ソウルジャボーイが当時高校生ながらネットでバズを起こして注目された。タイトル詐欺で釣ってクリックさせ、冒頭からキャッチーなサウンドと自分の名前のアピールで覚えてもらい、さらに事前に振り付け動画も公開しておくといった作戦が成功し、社会現象にまでなった。無名からバズを起こして成功するパターンは、レーベル側としても売り上げの保障がある安心感によって、ネットから新人を発掘する発想が生まれた。
こういった流れを受け、ヒップホップは10年代にかけてさらに多くのラッパーが台頭して勢いを増していきました。
ニューオーリンズのリル・ウェインは先に曲を大量にネットに上げまくって期待値を上げることで、2008年のメジャーデビューアルバム「ザ・カーター3」はカニエ・ウエストを超す売り上げとなりました。続いて登場したのがドレイクで、2009年にミックステープ「So Far Gone」をインターネット上に無料公開したことも話題となり、2010年にメジャーデビューとなります。ドレイクとともに、次世代のヒップホップを牽引するリーダーが続々と登場します。エイザップ・ロッキー、ケンドリック・ラマー、Jコール、らが挙げられます。
フロリダなどサウスのアンダーグラウンドシーンでは、ヒップホップグループのレイダークランが登場し、スリー・シックス・マフィアのクランクのサウンドがドロドロとLo-fi化したような「フォンク」というスタイルが出現しました。
芸能人のTwitterにリプを飛ばしまくるなど、炎上・バズを狙うことで成功したのがリルBです。音楽はサウンドクラウドにアップされて流行し、このような出自のラップは「クラウド・ラップ」と呼ばれました。ヒューストンに由来するドロドロした雰囲気に、アトランタのトラップが掛け合わされたサウンドはプロデューサーのクラムズ・カジノによるもので、こちらもオルタナティブR&Bに影響していきました。
一方、アトランタではトラップの開発がますます進み、プロデューサーのレックス・ラガーが、ワカ・フロッカ・フレームのデビューアルバムを手掛け、重厚感のあるシンセと高速のハイハットのサウンドが人気になりました。
レックス・ラガーは、同じくプロデューサーのサウス・サイドと一緒にプロダクションチーム「808マフィア」を結成します。これが、ゼイトーベンと並ぶアトランタのトラップ生産の核となる組織になります。さらに、マイク・ウィル・メード・イットがヒップホップだけでなくメインストリームのアーティストもトラップビートを使って手掛けたことで一気に広まり、「アトランタのトラップ」というブランドが成立していきました。
トラップが広まると同時に、ヒップホップ史上最悪の影響を与えたと言われるフューチャーが登場しました。T.I.やグッチメイン、ジーズィーといった初期のトラップと違い、より“普段聴き”しやすいサウンドと、もごもごして聞き取りにくい「マンブルラップ」というスタイルで、一気にラップの新しいスタイルを提示しました。「ドラッグのせいで呂律が回っていない」ということに加え、「そもそも南部のなまりで聴きとりづらい」という背景もあり、マンブルラップが誕生したとされます。フューチャーの影響によってダウナー系ドラッグの使用が急増してしまいました。
サウスのラップの重要要素として、合いの手(=アドリブ)があります。もともとヒップホップに存在していた要素ですが、特にメンフィスのクランクでリル・ジョンやスリー・シックス・マフィアが重要視し、サウスに根付いていました。そして、2010年前後に、アドリブが特徴的な曲がヒットしていったのです。先に挙げたグッチメイン、ジーズィー、ワカ・フロッカ・フレーム、フューチャーに加え、ヤング・サグ、ミーゴス、そしてシカゴのチーフ・キーフが挙げられます。
アトランタのトラップの広がりは特にシカゴに大きく影響しています。ワカ・フロッカ・フレームの2010年の「Grove St. Party」という曲は各地のクラブでかかりまくり、シカゴのクラブでも流行した結果、シカゴ・ドリルというサブジャンルが誕生しました。ドリルはギャングの間で生まれた、抗争に関する過激なリリックと、ダークなトラップビートが特徴だとされます。ヤング・チョップらによってトラップがアレンジされてドリルのビートが誕生し、フレド・サンタナ、リル・リース、リル・ダークといったドリルラッパーが活躍しました。
ドリルは海外に届いてUKドリルやオーストラリアドリルへとなり、それがアメリカに戻ってきてブルックリンドリルにも発展しました。リル・ダークはドリルにオートチューンを持ち込み、最終的にメロディックなシカゴドリルの形を提示しました。
シカゴからはさらにチャンス・ザ・ラッパーが登場しました。グッズ制作、ライブ運営などをすべて自分たちでこなし、レーベル契約をしないインディペンデントで成功し、サウンドクラウドでファンを獲得しました。このケースよってレーベルの必要性が低下していきました。さらに、「ネット上では聴かれまくっているのにグラミー賞にノミネートされないのは何故だ!」という広告を打ち、ここからグラミーはネット上の無料公開作品も考慮対象に入れられ、再生回数なども判断材料にするように変化しました。こうして、ネット発のアーティストにさらにチャンスが広がっていったのです。
◉オルタナティブR&B
R&B史をおさらいすると、ポップスとしての本流のR&Bとは別に、90年代末~00年代にはネオソウルという潮流が発生していました。本流のR&Bは多くのアーティストが上述のとおりフロア向けのポップスへとシフトして、EDMサウンドが主流となりましたが、よりディープな性格を持っていたネオソウル勢力はその流れにはならず、本来のR&Bとしての渋さを保ち続けました。とはいえ、EDMとは違ったかたちでエレクトロニカ的な電子音やトリップホップ的な要素が取り入れられ、特に00年代後半以降はネオソウルからの流れとして「オルタナティブR&B」と呼ばれるジャンルに発展しました。
ネオソウルから台頭したミゲルやフランク・オーシャンと、2010年から活動を開始したザ・ウィークエンドらの音楽を従来のR&Bと区別するために、この「オルタナティブR&B」という語が評論家の間で使われるようになったとされ、それ以来このようなスタイルがR&Bの主流のスタイルの1つとなっていきました。こちらもビッグルーム的EDMが落ち着いた2010年代後半の音楽界のサウンドへの布石となっていきます。
◉コンテンポラリージャズ
90年代~00年代のジャズの流れは、非フュージョンとしての「ジャズ」が発展したようすを前回までの記事で紹介しましたが、従来のオーソドックスなジャズ史としては「70年代のフュージョン登場」から「80年代のビバップへの揺り戻し」で記述が終了していることがほとんどでした。若手のジャズは無視され、「ジャズ評論」としては長いあいだ空白期間が発生してしまっていたのです。しかし、00年代末~10年代に入り、ジャズ界は再び大きなムーブメントが発生し、評論家も無視できない新たな局面を迎えることとなります。その中心人物は、「ロバート・グラスパー」です。
フュージョンが衰退し、再びアコースティックジャズが主流となっていたジャズ界ですが、その中でもロイ・ハーグローヴのユニット「RHファクター」などに見られるように、一部ではネオソウルへの接近の兆候がみられていました。その次の世代であるロバート・グラスパーとその周囲のミュージシャン達はさらに積極的に、ネオソウルやヒップホップとの融合の動きを推し進めたのでした。
ロバート・グラスパーは初めはオーソドックスなジャズピアニストとして登場し、ハービー・ハンコックと比較されたり、「黒いブラッド・メルドー」などと囁かれたりしていました。しかし、すでにジャズと並行してネオソウルやヒップホップの音楽を当たり前のものとして親しんできた世代である彼らは、ごく自然に、一般の若者リスナーたちが聴くヒップホップと同じようにジャズを親しんでもらえるような工夫を次第に模索し始めます。
そして、2009年に発表された「Double Booked」というアルバムが大きな転換点となります。このアルバムは、タイトルの通り2つのバンドをダブルブッキングをしてしまったという設定で、前半が「ロバート・グラスパー・トリオ」によるオーソドックスなピアノトリオ、後半がヒップホップ色を強めた「ロバート・グラスパー・エクスペリメント」による演奏となっています。
わかりやすく二面性を提示したこの作品によって新たなジャズの進む方向性が示され、このあとグラスパーは「エクスペリメント」のほうの名義でさらに2つのアルバムを発表します。それが「Black Radio」「Black Radio2」です。多くのネオソウル・シンガーやヒップホップのラッパーを迎えて作られたこのアルバムは、なんとジャズ部門ではなくR&B部門でのグラミー賞を受賞し、大きな話題となりました。
特にエクスペリメントに参加したプレイヤーを核として、多くのプレイヤーが各個にこの動きを追随し、実験的なジャズの実践が盛り上がりました。デリック・ホッジ、クリス・デイヴ、ケイシー・ベンジャミン、マーク・コレンバーグ、フライング・ロータス、テイラー・マクファーリン、ネイト・スミス、クリスチャン・スコット、サンダーキャット、ケンドリック・スコット、ヴィージェイ・アイヤーなどがその代表的存在です。
この世代のドラマーのトレンドとしては、R&Bやヒップホップ、エレクトロニカなどでおなじみのマシンビートを、機械的なズレなども含めて正確に人力で表現するというものがありました。グラスパーのユニットでドラムを叩いた上述のクリス・デイヴやマーク・コレンバーグらもその動きを牽引しましたが、中でも異彩を放ったのがマーク・ジュリアナです。エレクトロニカ的なサウンドの中に馴染む非人間的なドラムプレイはインパクトを与えました。ブラッド・メルドーとのユニット「メリアナ」も注目されました。
アルメニア出身のティグラン・ハマシアン、ブラジル出身のアントニオ・ロウレイロ、イスラエル出身のシャイ・マエストロらも、複雑で予測不能なサウンドでコンテンポラリージャズシーンにインパクトを与えました。
エレクトリックだけでなく、アコースティックジャズとしても、コンテンポラリージャズの流れは発展的に引き継がれ、新世代が目覚ましく躍進しました。アントニオ・サンチェス、マイク・モレノ、アーロン・パークス、リオーネルルエケ、ジュリアン・ラージ、カマシ・ワシントン、ニール・フェルダー、ベン・ウェンデル、ジェラルド・クレイトンらが代表的です。
この世代からは、ジャズボーカリストも多数登場しました。そのスタイルの特徴として、同世代のプレイヤーたちによる複雑なコンテンポラリージャズスタイルに対応した、難易度の高いボーカルパフォーマンスで頭角を現していきました。
グレッチェン・パーラト、ベッカ・スティーヴンズ、レベッカ・マーティン、ホセ・ジェームス、グレゴリー・ポーター、ペトラ・ヘイデン、ローレン・デスバーグなどが挙げられます。
さらに、エスペランサ・スポルディングは、ベーシストとしてベースを演奏しながら歌う独特なスタイルで注目を集めています。
◉映画
最後に、映画の話をします。2010年代に音楽的に注目すべき映画のトピックとしては、ディズニーでの『塔の上のラプンツェル(2011)』や『アナと雪の女王(2013)』が挙げられるでしょう。