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小谷班で学んだこと

 昭和49年、大学二回生の20歳の夏に北海道浜中町の佐藤牧場での援農アルバイトを終えた後、かけがえのない青春の時をどう過ごすか、真剣に考えるようになった。五木寛之の「青春の門」などが広く読まれた時代で、横浜からナホトカまで船で渡り、シベリア鉄道で欧州を目指す旅に憧れる若者が増え始めた時期だ。「何でも見てやろう!」援農アルバイトの次は日本脱出が目標になった。しかし海外に行くにしても先立つものがない。家庭教師やステーキハウスのウェイター、郵便配達など掛け持ちでやってみたが、どうもしっくり来ない。そうした時に剣道部の同期がビルの窓拭きのアルバイトを紹介してくれた。高いビルの窓を拭くのは怖かったが、これも人生経験になると思って申し込んだ。

 ビル清掃を請け負っているグループは親方の名字を取って小谷班と名乗っていた。大阪の淀屋橋界隈の住友系ビルの清掃を引き受けていた。窓拭きのメンバーは石原、吉田、大本のベテラン3名に加えて、私の少し前に入った木村、和泉の新人2名、総勢5名だった。親方の小谷さんはほとんど現場には姿を見せず、代貸クラスの石原さんと吉田さんが現場を仕切っていた。大本さんはスキーが趣味のフリーターで、毎年5月まで滑れる月山でスキーをすることを楽しみにしているという。木村さんと和泉さんは失業中に中之島の中央公会堂での面接に受かって入って来たもので、家族のため目の前の生活費を稼ぐのに汲々としている印象だった。

 作業現場ではビルの地下にあるボイラー室で集合することが多かった。ポリッシャーなどを使って床掃除をするのは専らおばちゃん達で、狭い所で一緒に作業着に着替えるのにはまいった。
 執務中はオフィスの中に入れてもらえないので、作業日は専ら土曜日の午後や休日だった。何度か執務中のオフィスに入って窓を拭く機会があったが、厄介者を見るような蔑むような視線を投げかけられることもしばしばで、仮に自分がオフィスで働くことになったら、清掃の方にも有難うと言える人間になろうと心の中で誓ったものだ。

 窓拭きには雑巾にバケツ、そしてスクイーズという窓拭き専用の器具を使った。スクイーズはアメリカ製の高価な器具と聞いたが本当のところはわからない。T字型の金具にへらのようにゴムが付けてあり、水拭きした窓の汚れをスクイーズをSの字を描くように操って拭って行く。素人がやるとどうしても窓枠のへりに汚れが残ってしまう。慣れるまでにはしばらく時間がかかった。 
 窓拭きで最も大変なのはもちろん窓の外側を拭くことだ。片手で窓の手すりを握って窓の外に半身を乗り出して窓を拭く。3階以上にもなるとかなり怖くて、私も慎重に作業した。ベテランの3人は「ブランコ」と称する、ビル屋上の固定物にロープを括り付けて、ブランコに乗ってロープをずらしながらビルの最上階から地上まで一階ずつ器用に窓の外側を拭いて行く。まるでロッククライミングだ。
 高層ビルでは屋上に窓拭き専用のゴンドラが設置されている場合が多い。ブランコ乗りは勘弁してもらったが、ゴンドラなら大丈夫と思って一度トライしたことがある。屋上でゴンドラに乗り、ロープで平衡を保ちつつ徐々に下ろしてもらう。ところがビルに向かって吹くビル風が下からゴンドラを吹き上げ、窓を拭こうにもビル壁面からゴンドラが離れてなかなかビルに手が届かない。真下を見ると足がすくんでしまってゴンドラ乗りも降参した。ベテランの目の窪んだ吉田さんは心根の優しい人だった。「将来ある学生さんが危ないことをすることはねぇ」と危険な箇所での作業になるといつも代わってくれた。

 アルバイトの日給は3000円だったと記憶している。ベテランでも3500~4000円、それに多少の手当てが付く程度だったと思う。お昼は現場近くの定食屋に連れ立って行った。一品100~200円の煮物や焼魚を取ってご飯と味噌汁を付けてもらう。作業をした後は何でも美味しかった。食後は喫茶店に行きベテランのおごりでコーヒーをご馳走になるのが習わしだった。日給を考えると一杯250円のコーヒーをご馳走になるのも気が引けたが、一杯のコーヒーでベテランとアルバイトの格の違いを示されている気がして、いつも有難くご馳走になった。
 一度、土曜日の午後、現場作業が思いのほか早く終わり、吉田さんに誘われて堺の自宅に呼んでもらったことがある。建売住宅に奥さんと幼い女の子と住んでいた。炬燵に入りみかんを食べながら、若い頃、暴力団にいて堺刑務所にも入所したことがあること、神戸の暴力団が地元大阪の暴力団に殴り込みをかけた抗争事件での武勇伝など、懐かしそうに話してくれた。やっとつかんだ小さな平和な家庭がずっとこのまま守られるように祈りたい気持ちになった。 

 ある日、四条烏丸の高層ビル内のホールに窓拭きの仕事で行ったところ入り口付近に立て看板が出ていて、そのホールでその日の夜前年ノーベル物理学賞を受賞した江崎玲於奈博士の講演会が開催されることを知った。
「これも何かの巡り合わせだ。自分が昼間に窓を拭いたホールでノーベル
 賞を受賞した江崎博士の講演を聞くのも学生の特権だな」
夕方、窓拭きのアルバイトを終えて一旦下宿に帰って着替えた後、小ざっぱりした格好で講演会に参加した。講演内容は難しくて覚えていないが、何だかとても晴れやかな気持ちになった。文字通り「ボロは着てても心の錦」の心境だった。

 自分は海外に行くという自分の夢を実現するために働いている。大勢の大人は家族のために毎日、毎月の生活費を稼ぐために働いている。月山でスキーを楽しむために働いている人もいる。夢のために働いている自分の幸せを感じると共にこれを赦してくれている周囲にも感謝したい気持ちになった。青春の時とは何だろう!何のしがらみにも捉われず自らの夢の実現に真っ直ぐに努力すること。今はそう信じて歩み続けようと思った。


                    



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