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How terribly strange to be seventy
昭和20年代後半に生まれた私達の世代は、映画「三丁目の夕陽」で描かれたように年を追うごとに新たに開発された家電製品が家庭に入って来て、戦後の貧しさを引き摺りながらも、どこか希望に満ちた時代だった。
我が家で音楽にまつわる家電製品としてまず思い浮かぶのは、テープレコーダーだ。父がソニーの小さなテープレコーダーを買って来た日のことは、今でもよく覚えている。二歳年上の姉が音楽好きで父にせがんで買ってもらった。ガチャッとスイッチをひねるとテープを巻いたリールが厳かに回り出し、試聴用の原信夫とシャープ&フラッツの軽音楽が流れ出した。3歳年下の妹はまだ幼稚園だった。子供3人が目を輝かせ、息をひそめて美しい音色に聞き入っている。子煩悩な父にとっては幸福なひと時だったことだろう。おませな姉は森山良子に憧れ、PPMのファンになって彼らの楽曲をテープに録音しては一緒に口ずさんでいた。
ステレオを買ってもらったのは姉が中学校に入った頃だったと思う。その頃のステレオは両側に大きな箱のようなスピーカーが付いていて、やたら大きな代物だった。やがて姉はどこで知ったのかサイモンとガーファンクルのアルバムを買って来て、連日大きな音で聴くようになった。音楽にさほど関心がなかった私も、サイモンとガーファンクルの同じ曲を狭い家で繰り返し聴かされている内に、いつのまにかその美しい調べや詩的な歌詞に心惹かれるようになった。
サイモンとガーファンクルとして二人が活動したのは1964年のデビューからわずか6年、私の小学5年から高校2年にかけてのことだ。1966年に「サウンド・オブ・サイレンス」が全米1位の大ヒットとなり、一躍人気フォーク・デュオとなった。「サウンド・オブ・サイレンス」は私が高校受験の勉強をしていた頃、朝日放送のヤングリクエストなど深夜放送で毎日のように放送されていた。難解な歌詞の意味するところなど理解できないでいたが、その斬新な導入部分から私も一気に引き込まれた。映画「卒業」の劇中歌としても「ミセス・ロビンソン」「スカボローフェア」などと共に人気を博したのはご存知のとおりである。
その後もヒット作を連発したが、1970年にグラミー賞を受賞した「明日に架ける橋」を最後に音楽に対する意見の違いからか、ポール・サイモンとアート・ガーファンクルは袂を分かち、それぞれのソロ活動に入った。
「ポール・サイモン 音楽と人生を語る」(ロバート・ヒルバーン著)を紐解くと、ポールとアートはニューヨークの小学校で11歳の頃から幼友達だったが、フォーク・デュオ結成後は、アートの気まぐれや奇行に振り回されて、ポールには我慢ならぬことがしばしばあったようである。
私は幸いなことに2009年7月、一時的に再結成した二人の最後の日本公演となった「Old Friends Tour 2009」を東京ドームで観ている。アートがやや苦し気にしゃがれた声を振り絞って「明日に架ける橋」を熱唱したシーンは今も脳裏に焼き付いている。
サイモンとガーファンクルは今でもよく聴くが、年齢を重ねるにつれ曲の好みは変わって来たように思う。今年秋に古稀を迎える今、表題に掲げたフレーズがどうも気に懸かって「オールド・フレンズ」を聴く機会が増えた。
ポールが「オールド・フレンズ」を作詞作曲したのは1968年、まだ20代後半で青年と呼んでいい年頃のことだ。
「公園のベンチの両端に座っている二人の老人。その姿はまるでブックエンドみたいに見える。僕らもいつかああやってベンチで静かに最後の季節を迎えることになるのか? 70歳になった自分なんて想像できるもんか。」
青年のポールがどうしてこんなに老成した物悲しい曲を作ったのだろう。一緒にフォーク・デュオを立ち上げた幼友達のアートとは確執が絶えなかった。ポールは旧友でデュオを組むアートとの行く末を悲観して、このような冬枯れに似たすさんだ歌詞を書いたのだろうか。
ある同人誌でおそらく音楽に精通された方だと思うが、「オールド・フレンズ」について次のように述べている。「何重奏だかわからないヴァイオリンにフレンチホルンが重なる器楽曲は、繰り返される主旋律の間に不協和音を挟み込んで進む。ガーファンクルの澄んだ歌声、爪弾かれたギターの旋律。それが次第に耳障りな弦楽の不協和音に浸食されて行く。これがブックエンドの本当の姿だと主張するように。」
一緒にいながらも心が通い合わない人と一緒にいることーそれはなんともテリブルな人生なのだろう。ブックエンドのように並んだ旧友のポールとアートの二人の間に通奏低音のように響く不協和音。まるで二人の関係を暗示するかのよう。
ポールが「How terribly strange to be seventy」と歌った当時の心境を知る由もないが、長く一緒にいることで「旧友」と呼べるほどに、一筋縄では括れないのが人生のひとつの断面なのだろう。古稀を迎える今こそ、私はオールド・フレンズとの心の交流を深めて、これからも心豊かな人生をオールド・フレンズと共に歩んで行きたいと願っている。
Old Friends
(P.Simon,1968)
Old friends
Old friends
Sat on their park bench
Like bookends
A newspaper blown through the grass
Falls on the round toes
Of the high shoes
Of the old friends
Old friends
Winter companions
The old men
Lost in their overcoats
Waiting for the sunset
The sounds of the city
Sifting through the trees
Settle like dust
On the shoulders
Of the old friends
Can you imagine us years from today
Sharing a park bench quietly?
How terribly strange to be seventy
Old friends
Memory brushes the same years
Silently sharing the same fear…
参考文献「Simon & Garfunkel 私の歌詞の解釈」THE SIDE OF A HILL
「趣味的偏屈アート雑誌風同人誌」筆者(き)の記事
( 写真は日高市内を流れる高麗川のほとり、曼殊沙華が美しい巾着田 )