【ブログを書くにあたり】 #01前世の話し

ブログを書こうと思い立って、6年と10ヶ月(多分)
インドに来て、3年と6ヶ月
ロックダウンが始まり、3ヶ月と15日

文章を書くことが、
嫌いなのか、好きなのか、全くわからない

いや、
作文は昔からめちゃくちゃ嫌いだった
小学生の頃から、、、
なんでだろう
遠足に行くと必ず書かせられる感想文
「ぞうさんの鼻が長くて、鼻を手のように使ってご飯も食べれて、すごいなぁと思いました」
工場見学に行けば
「いつも使っているものが出来ていくのを見るのが楽しかったです。いろいろな人が一生懸命作ってくれているので、大切に使わないとなと思いました」
戦争記念館などに行けば
「わたしたちと同じ年のこどもが、お腹を空かせて死んでいったのを知り、明日からはご飯は好き嫌いせずに全部食べようと思いました」

とか、
そんな答えを求めて「感想文を書きましょうね」とニコニコしている先生を見るのが本当にげんなりした。

「先生、こどもって皆んなそんなにピュアじゃないと行けませんか?」

正直、私はバスに乗り酔ってしまうので遠足はそこまで好きじゃなかったし、汚くて狭くて薄暗い檻の中にいる動物たちを見るとすごく暗い気持ちになったし。

社会科見学も、大きな窓もない建物の中で、作業着をきて、流れ作業させられる大人を見て、まるで、刑務所みたい、、、大人になって絶対こんな仕事はしたくない、、、と思ったし。

戦争の記念館的なところに行って、写真や蝋人形を見ても、怖い、、、その一言だった。想像力のない、こどもだったのだと思う。

(ちなみに、今は、工場めぐりはかなり萌えるし、戦争の跡地などでその記録や記憶に触れると、深く心打たれ、様々な想いも沸き起こり、少しでも後世に伝え残したいと感じる)

想像力のないこどもだったけど、
先生が期待する私の作文内容については想像がつくし、私の感想が彼女を激怒、もしくは落胆させるのも想像がついた。(私は成績はよかったと思う、それは勉強が出来たというか、大人がこういうことをしたりやったりすると喜ぶということを末っ子気質でわかっていたからかと)

私は、もう作文が嫌いで、原稿用紙が嫌いで、
最後は遠足までが嫌いになりそうだった。
作文の宿題は、大抵、短い適当な文章で終わったり。やっていかなかったり。

なぜならば、、、
私はもっと思っていることを書きたかったのだ!
そう大人の期待を気にせず、好きなことをかける原稿用紙だったら、成績は
悪くても、書けばよかったんだ。

そのトラウマなのか、
私はいつも紙とペンを持つと憂鬱な気分になる。
心の中には、吐き出したい何かがあっても、どうしても、最初の一言が出てこない。そして、逃げ出したくなる。

書き始めようとすると
いつもつまずくのだ、、、

ふと
思ったのだけど

私の前世は作家になりたいのに
いい文章がかけずに
いろんな人から批判されて
それに悩み苦しみ死んだオトコだったに違いない

期待に沿った文章を書かないといけない
自分の本当に思ったことを文章に出来ない
その間の中で、彼は死んで行ったのだ、、、

今、小学生の時の私と、前世の私と一緒にブログを始めようと思う。

noteのはじめ方
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名文や超大作を仕上げようとして手が止まってしまうくらいなら、駄文でも短文でも悪ふざけでも、とにかく気軽に投稿しましょう。

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創作活動は、筋トレやランニングと同じです。一時期に集中して取り組んだら、それで終わりではありません。ちょっとずつで良いので日常生活の一部にすること、クセをつけることがポイントです。



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