からだは自分のパートナー
欲しかったお帽子ふたつ、見つかった。
お店でお帽子探していても、
なにが欲しいのか分からなくて
ふらふら、ふらふら。
からだがぐすぐす言っていることに気がついてお話聞いてみる。
「どうしたの?」
「疲れた、帰りたい。暑い。」
「うぅ、そうだね。付き合ってくれてありがとうね。
なんかしてほしいことある?」
「お風呂入ってすっきりしたい。
布団のカバー洗ってほしい。昨日嫌な感じがした。」
「じゃあ家帰ったらまずシャワーしよう。
その間に洗濯だな。」
そのやり取りのあと、すぐに欲しいお帽子見つかった。
しかもふたつ。
よかったー。
これで買い物に行くときも頭熱くならないね🌱✨
からだは自分のパートナー。
大切にお付き合いすることで、強い強い味方になってくれることを実感したのでした。
そう。
体を引きずるという表現があるけれど、
ここ何年かのからだの扱い方はまさにそれだったなあとおもう。
からだの中が「嫌だ」という気持ちでいっぱいだった。
自分が自分を無視している状態。
自分の感覚を殺している状態。
これって自分のからだを虐待している。
そのとき気づいている部分もあったのに、
「間違っている!」となかなか認められなかった。
やり方が分からないと言えばそれまでなんだけど、
面倒くさい。
なんでわたしが。
っていう意識が強くあった。
自分が自分の上に立つ。みたいな。
今まで人のために自分を犠牲にしてきたのに、
なんで今度は(自分の)犠牲にならないといけないのよ!!
って。おかしいんだけど、そういう意識が確かにあった。
親のために自分の時間や労力を犠牲にした、
自分を犠牲にして仕事も頑張ってきた。
強い、強い犠牲者意識。
誰かを責めずにはいられない。
被害者という立場を利用して、奢り高ぶる。
これくらいのことしてもらってもいいんだ。
助けてもらう権利がある。
そうやって被害者から加害者にひっくり返る。
一方で、自分のこと、人のことが信用できない。
相手から分捕ろうという意識があると、
自分のことも、人のことも信用できない。
自分のことを特別可愛がってくる上司には、
「気持ち悪い」「迷惑」と思いつつ、
相手の気持ちが「好意」から「恨み」にひっくり返るのが怖くて、
本音を言うことができなかった。
最終的には、自分の本音を表すことができたけれど、
こういう意識を持っていたことを忘れないように、
忘れても思い出せるように書いている。
問題を人のせいにして生きるって悲しいこと。
自分を騙し、裏切っている。
そんな人は、他者を大切にすることもできないしね…。
本当によくなかったな。
でもそのことに気づけたら、(すごく苦しかったけれど)
経験を糧にする勇気が出た。
今はからだの声を聞き、しっかり休ませる修行中。
主に寝ています。笑
失ったんじゃなくて手放した。
もう大丈夫よ。って自分にハグ。✨
お帽子ふたつから、
潜りすぎたかしら。笑
自分と見つめ合ういい時間。
こういう時間が好きなんだな。