一年越しの感受性
私は去年、2月から適応障害と診断を受け
この一年間、感受性が止まっていたのだと、この間気付いたのです。
それは会社で吐き気がしてトイレで吐いてしまい
また適応障害かな、もう今日はダメかも…と思った昼休憩のことでした。
私はみんなといつも食事を共にして談笑しながら食べているのですが
その日はとてもそんな気分になれず、カップラーメンの5分待つうどんを10分待ってデロデロに柔らかくして食べました。それくらい優しくないと体が受け付けなさそうだったのです。
そしてその後、天気が良かったのと外の空気が吸いたくて、散歩しに外に出るとキラキラ光る葉っぱが風に揺れていて、まるでプラスチックの様な光沢を放つ光を見た時、何年ぶりに見たんだろうと懐かしく、その懐かしさに何かが込み上げてきました。
それは、感受性でした。
美しい、気持ちがいい、心地がいい。
全く日頃感じていないわけじゃないけど、格別な気がしました。
髪の毛の隙間を通ってく風、日陰はまだ寒いのに暖かい日差し。
緑が嘘みたいに濃い色の葉っぱ。それだけで、幸せを感じました。
涙が自然と湧き上がって、すれ違う人に気付かれない様に顔を逸らしぐっと堪えました。
そして今、昔の音楽を聞いた途端涙が溢れてきました。
No Regret Lifeという解散してしまったバンドの曲でした。
aikoさんの三国駅という曲や、大塚愛さんのフレンズなんかも聞きました。
当時小〜中学生くらいだった私は、絶賛感受性怪獣と言ったところでしょうか笑
そんな自分がタイムスリップして帰ってきて、まざまざと今の自分が失くしたものを手に取る様に感じてしまったのでしょう。
私がYouTubeを続ける意味、歌を歌いたい気持ち、絵を描く事に挑戦したい気持ち、更にこうして文章を書くのは、感受性を手放したくないからなのかも知れません。何かを感じていたい。辛さや苦しさのように偏ったものではなくて、幸せも心地よさもしっかり感じられる人間で在りたい。そう思うからかも知れません。
人は忙しいと、感受性を失ってしまうと思います。
私はずっとずっと、インプットする余裕もなく、吐き出す時間もなく
何かに追われて、自分を追い詰めて、病気を発症しました。
一年掛けて考え方をすこしづつ工夫して、幾分マシになれたと思います。
その甲斐があってか最近、こうして感受性が戻ってきたこと、YouTubeや文章を書くことなどの制作意欲が戻って来たことが本当に嬉しいです。
去年から一年間はほとんど制作意欲や制作のための体力がなく
実際、去年YouTubeに上げた動画は10個しかありません。
月一ペース以下なのに私は肩書きにYouTuberと書いています。
諦めたくなかったんでしょうね。
それは今まで出会った人たちとの繋がりや、自分の努力にまで背は向けられなかったからだと思います。
本当に、辞めてしまおうかと思った日もあったんですけどね、ほぼ放置だったけど、辞めなくて良かったです。
もしもここまで読んでくれた方が、最近忙しく、感受性が減ってきたなら
懐かしいものに触れてみてください。
昔元気だった時、好きだったもの、感動したものに、触れてみてください。
調子が悪い時は変わらなくちゃ乗り越えなくちゃと考えがちですが、もしかしたら助けてくれるのは、昔の自分かも知れませんよ。
変わらなくて良いのかも知れませんよ。