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文化祭 運営に携わってみて

 土曜日と日曜日に自分の通っている学校において文化祭が開催され、今年は保護者のみの来場となりましたが多くの方にご来場いただきました。今回は実行委員として文化祭を運営する立場にいました。クラスの展示になかなか関わることができず文化祭らしいエンジョイはあんまりできなかったのですが文化祭を開催するのになかなかの苦労があることがわかり今後様々な企画を行う上で生きてくると思います。文化祭の意義は果たせたと思います。

最初から脱線ですが、、、 
そもそも文化祭の起源とはなにか。コトバンクで調べてみます。

古くは,江戸中期からの寺子屋での席書(せきがき),天神講など寺子の清書をはり出して展覧する行事があり,明治前半期の小学校では,就学の効果を示す目的から定期試験ののちに優等生に学習成果を発表させる行事が成立,普及し,やがて近隣の学校が共同して〈教育品展覧会〉を組織する場合があった。…

コトバンク 世界大百科事典より

 江戸時代から普段の勉強の発表として開催されていたのは驚きです。

 また文化祭に関して学習指導要領第五章第二の欄で学校行事に関して

全校若しくは学年又はそれらに準ずる集団を単位として,学校生活に秩序と変化を与え,学
校生活の充実と発展に資する体験的な活動を行うこと。
(1) 儀式的行事
(2) 文化的行事
(3) 健康安全・体育的行事
(4) 旅行・集団宿泊的行事
(5) 勤労生産・奉仕的行事

をすることが求められます。

https://www.mext.go.jp/component/a_menu/education/micro_detail/__icsFiles/afieldfile/2010/01/29/1282000_20.pdf

この二番の文化的行事の意義は「生徒が各教科・科目等で修得した知識や技能を更に深め,そこでは得られない知識や技能を  修得し,目的に向かい協力してやり遂げることにより,個性を伸ばし,自主性,創造性を高め るとともに,成就感や連帯感を味わい,責任感と協力の態度を養う。 また,学習活動の成果を学校の内外で発表する等の機会を通して,発表する能力を育てたり, 他者の発表等を見たり聞いたりする際の望ましい態度を養うとともに,校風を理解し,家庭や 地域の人々との交流を深め,美しいものや優れたもの,芸術的なもの,地域や我が国の伝統文化に触れることによって,豊かな情操を養い,生涯にわたり,文化や芸術に親しみ,その継承 や創造に寄与する態度や能力を育てる。」であり
例として文化祭(学校祭),音楽会(合唱祭),弁論大会,各種の発表会(展覧会)、音楽鑑賞会,映画や演劇の鑑賞会,伝統芸能等の鑑賞会や講演会が挙げられています。
 この例の類から一つは絶対に選んでやれよってことですね。
 文化祭は外部の人を入れることで学校の宣伝になるし一般的なものだから普通の学校では開催されるのだと思います。

 ちなみに4番の旅行に関して、自分の学校では事前学習は強制ですが修学旅行に行くかは自由です。人によっては行かない人もいますができればみんなで行きたいですよね、、、。

 本題に入ります。

 基本的に文化祭においては器具の発注は生徒会で行ってくれたので前日の設営と当日の受付をしていました。この設営においては・届いたもの(パンフレット、リストバンド、パネル、事務用具、電子機器)の振り分け・受付の設営・企画の準備、設営・モニュメントの制作をしました。
 一つ一つ、一人ひとりが責任を持って丁寧にしつつ効率的にするというのはとても難しかったです。良かれと思ってやったことがいいことにも悪いことにも転び、途中何をしていいかわからなくなることがあったのですが、重要なのは自分のポジションを自覚しそれを他の人と共有すること。わからないときは素直に聞くこと。この基本は常に意識できたのが良かったと思います。
 準備をしていて思ったのですが「客として参加したときはこんなものかつまらんと思っていたのですが、高校生になって運営してみると、たかが文化祭されど文化祭という言葉そのもの、意外と辛い。細かいところまで神経を注ぐのは大変でした。しかしこの小さいところがあとで生きてくる、というのはなかなか新鮮でした。そう楽しいものであると実感できました。やはり辛いものがないと面白いものは生まれないものですね。

 文化祭が終わったあと本気のキューバタンというものをしたのですが、本当に疲れるという体験が初めてできました。ブラック精神でしょうか。病気的なものを感じるのは本当です。これが若いからできるのは本当です。しかし一度だけの若者を謳歌するのは誰にも止められない。進学校にアオハルの風が吹いた瞬間であったと思います。自分から進んでやっていることなので。嫌だったらやめればいい。
でも生徒会の人もくたくたになりながら、ジョークをはさみつつ楽しくやっていました。だから続けていたと思います。仲間って必要だよね

 自分の体に反抗した感触です。いつも部活でくたくたになるのにそれとは違う疲れです。でもなぜか気持ちがいい。

真面目な話に移します。
 今年は人数を制限するためにQRコードのついたリストバンドをしていただき常にどの部屋に何人いるか分かる状態にしました。一般の方がいらっしゃって人数が増えた際にどの教室もいっぱいいっぱいになることから来年度も使えるかというとなんとも言えないですが、、、。
 しかし空いているところがわかるというのは一定の効果があったようです。また出場と入場の時間がわかるので自分の展示の回転率の良さ、来場者人数、何人入れるかの目安、待ち時間の目安がわかるというのはデジタルの強みであると思います。
 これらのデジタルという新しい技術を実践できる文化祭にできました。これを担当した人たちは本当にすごいと思います。

 最後に
 物事に本気で当たるのは辛いですが一方で普段味わえない充実感が得られます。学校では行事として示してくれますが社会に出たらどのように充実感を得るのか。資格?実績?転職?。はっきりとした目標が定めにくい気がします。自分がどうすれば充実になれるのか。どのような人間であるのか。何ができるのか。
 適材適所という言葉は自分でなり遂げるためにあると思うべきでしょう。
 正直本当に疲れたときはそんなことを考える気になりません。意外と理想論を語っているなと思います。考える気力は作りにくいです。
そんなとき
 毎日へとへとになるを何回も書いてきましたがリフレッシュを全力でするのもありなはず。
 ちゃんと休む覚悟、持っていきたいです。

文化祭の次の日 激動の一週間を振り返ってみました。

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