A.O.Wというバンドについて⑤
今回と次回で終わらす予定でしたが全然終わらないかもしれません。
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さて、紆余曲折ありA.O.Wに加入した私。
最高のスタートを切ってこれからバリバリやって名を上げていくぜ!
と意気込むも、、、
最初から、そう上手くはいかなかった(私自身が)
お前がA.O.Wをダメにした
メンバーチェンジしたバンドあるあるだと思うが、今まで
・作曲
・ライブ制作
などなど、バンドに置いて重要な役割を担っていたメンバーが脱退した際に続けることを選んだメンバー達は
「何か新しいことをやらなければ」
「今まで◯◯が出来なかったから◯◯やりたい」
「新メンバーのバックボーンが◯◯だから◯◯を取り入れよう」
とバンドを前に進める為にも、変化することを選択し、新たなことにトライしていくことが多いと思う。
A.O.Wに限らず
Qomolangma Tomato
NUBO
に私が加入した際も、この現象は確かにあった。
当時のA.O.Wは
「もっとキャッチーな楽曲」
「ノイズの排除」
「幅広いバンドとの共演」
など新たなフェーズ(初めて使った)にメンバー自ら向かおうとしていた。
これが大バッシングを食らった。
「メロコア畑の奴がハードコアやってんじゃねぇ」
「クビにして大地を戻せ」
「お前がA.O.Wをダメにした」
などなど私はメチャクチャにバッシングされた。
(改めて見ると酷いなぁ笑)
しかも直接では無く人伝に聞いたのがほとんどだ。
そもそも私のことを「メロコア畑」と言ってる時点で
何もご存知無い方々なのは明白なので、ぶっちゃけあまり気にはしなかった。
なによりA.O.Wがダメになったという自覚は無かったし、
未来のビジョンが4人には確かにあった。
MEANINGやFIGHT IT OUT、Ratchild、大澤くん(個人名すいません)などごく近しい皆は優しかったし応援してくれていたしね。
実際、私自身も「舐められてはいけない」という思いが強く、相当メチャクチャな振る舞いをしていた。
A.O.Wという自分が最もリスペクトするバンドに加入したからには、と。
結果、多大なる迷惑を沢山の人にかけていく。
もちろんメンバーにも。
BxBxS
そんなバンド周りに嵐が吹き荒れるなか新曲
「BxBxS」
が爆誕(初めて使った)
宗さんが粋にB.B.STREETをもじってタイトルを付けた。
初めて収録されたのは2012年発売のTHE NINTH APOLLOのコンピレーションアルバム
「IN THE STAGE COG」
この曲で、ある程度周りを納得させた感はあったし、
新たなA.O.Wの扉を、ようやく開けた実感はあった。
ギターソロやコーラスワーク、ドラムのビートなど
A.O.Wでやったことない事を詰め込んだ。
この頃から周りの評価も変わり出す。
ENSLAVE菅沼さんに
「あの曲はハードコアだね」
とタモリさんのジャズだねみたいに言われたの嬉しかったな。
キャリア初のレコードリリース
2013年2月NO EXCUSEとのスプリット
「AGAINST YOUR EXCUSE」
発売。
レコードは良いよなぁ。
このリリースは本当に嬉しかった。
しかも名門Diwphalanx Recordsから(知らない人は今すぐググってください)
レコーディングエンジニアにはMEANINGから世界の吉崎
ジャケデザインはSTART FROM ENDのENDさん。
鉄壁である。
この時に「Start Today」初音源化かな、、、?
A.O.W(ってかアゲワン)の最初期曲「朝焼け」を
再録したり
NO EXCUSEのHAYATOさんが以前やっていた
F-Uの「Lying Warehouse」をカバー出来たのも良かった。
福岡〜北海道まで本数は少ないが濃いレコ発スプリットツアーも敢行した。
ツアーはどこも大盛況。
音源もソールドアウトし私達は完全にアブラが乗っていた。
(TKDと俺はこの頃から肉体的にも脂が乗りブクブク太り出す)
2nd "Everything's Gonna Be Alright"発売
「これはハードコアなのか?」
何人に聞かれたのだろう。
直接聞いてくるのも、なんやねんという感じではあるが。
レコーディングは引き続きMEANINGの世界の吉崎にお願いした。
レコーディング後、ミックスが終わり
上がってきた音源を高崎でクニタケと2人で聞いたのが忘れられない。
当時、私も彼も精神的な波が激しい時期で(今もか)
彼がマイナスな時は私がプラス
私がマイナスな時は彼がプラスと、
良いバランスを取りながら、
時に2人でブツクサ言いながら、よく遊んでた。
高崎で共演した後、終演後に
「ドライブしようぜ」
と打ち上げまでの間ら高崎の街をアルバムを聴きながら
グルグル回ってた。
今思えば、あれが青春というのだろうね。
いつだって会いたいぜクニタケ。
さて、「これはハードコアなのか?」やらなんやらの件含めて、私が困惑してるいる時いつも背中を押してくれたのはENSLAVE/初台WALLの故 陸JEEP王だった。
この頃週5で一緒にいた我々。
初台WALLの社員旅行にも参加させてくれたりと、
ずっと一緒に遊んでた。
アルバムタイトルを命名してくれのもJEEP。
タイトル曲でゲストvo.を入れくれたのもENSLAVEの2人。
思い出は尽きないが別項で記したいと思う。
そして、この頃からゆっくりとA.O.Wは終焉に向かっていく。
次回遂にこの画像の由来が明らかに!
間違えた、こっち。