美に絶対的な基準がない理由
挨拶
こんにちは。最近法律の記事ばっかり上げていて疲れました。
今日は、このタイトルについてお話をしたいと思います。
『絶対的な美人はいないし、絶対的なぶすもいない 絶対的な美男はいないし、絶対的なブ男もいない論理的理由』
なんか長いな~と思ったので、
美に絶対的な基準がない理由
に改めました。
はいはい、そんなの人それぞれってことでしょ?相対的に決まるもんなんでしょ?っていうオチが、よくあるパターンですよね。
確かに、それは答えの一側面です。
ですが、自分の顔がそんなに良くないと思ってたんだけど、実は自分の方が美人だった!とか、実は自分の方がイケメンだった!なんていう都合のいい結末にもなりません。一方で、あなたの受け止め方によっては、そうなる可能性もあります。あなたの意識に変化が訪れるかもしれません。
大逆転できる記事のほうが、受けがいいとは思うんですけど、残念ながら、事実(だと私が思っている)に反する記事は書けません。
では、それを論証していきたいと思います。
論証
いきなり過去の哲学者に頼るようなんですが、皆さんはプラトンという哲学者をご存じでしょうか。世界中で有名なので、皆さんも一度は聞いたことがあるはずです。
昔のギリシアで、何が真実か。真実とは何か?についての哲学的な考察が行われたとき。それに答えたプラトンの代表的な思想が、『イデア』という概念です。彼は、イデアこそが真実であると語りました。イデアは、英語でいうideaの語源となった言葉です。思考・考え・理想と言った意味で、頭の中、あるいは、人の思考を越えた、眼に見えない場所に、真実はある。そういった考えを提唱しました。
逆に、プラトンの弟子のアリストテレスは、別の考えを取りました。彼は、ある植物の種を見て、その種の中から芽が出て、そして伸びて、やがて木として成長していくことから、真実は種の中にある、と考えました。
この世界が、天地人で成り立っているとすると、プラトンは、天の真実を。アリストテレスは地の真実へ思考が向かっています。
プラトンは文系的。アリストテレスは理系的に見えますね。
この絵は非常に有名な絵です。左がプラトン。右がアリストテレスです。プラトンは、真実は天上、すなわち、人々の思惟を越えた場所に存在する(理想の先)といい、逆にアリストテレスは地面、すなわち、内実の中にこそ真実が存在する(現実の先)、と考えます。
真実は一つ!とコナン君は言いますが、実際、真実というのは複数存在しているのです。プラトンの言っていることも、アリストテレスの言っていることも、正しいし、真実なのです。
じゃあ、二人がどこを間違えているかというと、真実は一つである、と決めつけちゃっていることです。
さて、今回のタイトルを論証してくれるのは、プラトンの『イデア』論です。
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