見出し画像

デスノート キラとエルはどちらが正しかったのか 正義と悪の考察編

デスノート。ご存じの方は大勢いらっしゃるのではないでしょうか。

キラ(夜神月(ライト))エル(エル・ローライト)

以下がざっと見た二人の方向性です。

キラ(Killer:殺人者) 全ての(凶悪)犯罪者を殺し、世の中をよくする。
エル                                  キラを止め、キラ自体に裁きを下す。(つまり、キラのいない状態=元々の状態に返す)

パッと見て、どちらが正しいと思いましたか?

 キラを応援したいと思う人って多いと思います。キラは殺人者と名付けられているとはいえ、殺す対象は主に凶悪犯罪者です。エルが余計なことしなければ、善良な人も巻き込まれることなく、淡々と犯罪者が死んでいったのではないでしょうか。

 そう。最初から全員がキラに協力するべきだったのではないか・・・。

 しかし、社会の仕組みがそれを許しません。法律の手続きによらない死刑執行は、ただの殺人だからです。どうしてみんながキラの思想にすぐに賛同しなかったか。それは、この社会が法治主義を取っていたからだ、ということが読み取れます。こうした問題は、公務員系の人たちが扱いますから、上下下達。法律に縛られた上で行動しなければいけないわけです。

 それでも、キラの主張が正しいとどこかで認めていたことは確かでしょう。ですから、彼が正しいと考える者を、警察が捜査して捕まえるという、とんちんかんな展開になってしまいました。

 しかし、エルは最初からキラを捕まえるという考えで動いていましたね。それがエルにとっての正義でした。さて、①エルはどうしてキラを捕まえなければならないと考えたのでしょうか。それは、物語の中でははっきりと語られていません。(物語の最後に、ニアの意見が述べられるにとどまります。)

 エルにとっての正義は、果たして正義だったのでしょうか?

 正義を貫こうとすると、紛争が生まれます。その過程で善人も悪人も死んでしまいます。被害を受ける人が出てきます。巻き込まれ、不幸になります。だから、正義を貫こうとすることが悪いことであるかのように言われることがあります。

 でも、これには反論ができます。正義を貫こうとするきっかけを与えたのが悪なんだ、という見方もできるからです。悪を貫こうとすると、それは正義を呼び寄せてしまうからです。悪いことは、欲望と表裏一体であり、人がそれを目的に動いてしまうのは仕方がないと、どこかで考えてしまうものです。しかし、正義を貫く側も、なぜか正義を貫いてしまうのです。貫いている本人も、どうしてかよくわからないと思います。

 正義が全く機能せず、悪が完全に蔓延してしまえば、「病膏肓に入る」というわけで、正義がどれだけ太刀打ちしようとしても、どうにもできなくなってしまう、という事態にもなりえます。そうなる前に手を打たなければ・・・。悪を癌細胞だとすると、身体全体に癌が回る。その前に対処しなければいけない。悪は善に住み着き、自分達を育てます。健康な臓器も癌の成長と保存のために栄養を提供することになってしまうのです。そして、やがて善の部分が崩れて、全てが駄目になってしまいます。つまり死です。

 でも、キラは犯罪者を殺そうとしているだけです。しかし、エルはそれを止めようとしている。こうなると、まるでエルの方が悪であるかのように思えてきます。そして、エルの捜査と抵抗のために、様々な人が死んでしまいました。

 このように、どちらが正義だったのか・・・それはなかなか答えの出る問題ではありません。

 さて、キラも、エルも、どちらも正義と言えば正義。悪と言えば悪。卵と鶏一体どっちが先に生まれた?という話と同じように、正義と悪は一体どっちが先に生まれたのだろう?とそうなってしまいそうですね。

 世の中には、絶対に自分の非を認めない人間がいます。その人の頭がどうできているかというと、自分の行動の利点、いい点を考え付く頭の回転はすさまじく速いのです。殺人でさえ、捉え方によっては善行になります。キラがいい例です。そして、自分はそのために悪を行ったのだと言えば、自分には非がないと考えることができます。実は、これはどんな場合にでも言えることなので、彼らは頭の中だけで正しさの夢想に常に浸っていられるのです。

 彼らの考えていることは、実は間違っていないのです。正義と悪はあらゆる場所に存在し、捉え方次第で、正義にも悪にもなってしまうのです。戦争でさえ、あれは正義の戦争だった・・・。ああせざるを得なかった、と言えば、それが正義になるのです。

 しばしば鶏と卵で対比されますが、私たち人間だって同じこと。受精卵と人間どっちが先に生まれた?という話にしてもよいわけです。だって、受精卵がないと人間は産まれてこない。でも、そもそもその受精卵はどうやってできたの?という話ですよね。

 この疑問に答えをつけるならば、こういうことになります。最初は1つであったものが、進化の過程で生殖能力を持つに至った、ということです。私たちの起源は、宇宙にあったアミノ酸でした。それが何かのはずみで地球に落ちました。そして地球の海に抱かれて、かき混ぜられて原始スープとなり、長い時間をかけてそれが変化し、生物となり、それが進化していき、やがて私たちのようになっていったということです。

 どちらも最初は一つだった。その後、進化の過程で生殖能力を持つに至り、自分の分身をこの世界に残せるようになりました。生殖能力を獲得したのです。

 それと同様に、正義も悪も、どちらも元は一つだった。もとい、正義も悪も、そんなものは存在しなかったのだ、ということが言えます。私たちは、自分達に都合の悪いものを悪いといい、自分達に都合のいいものをいいものと言います。私たちが勝手に、良いものと悪いものを分けているのです。ただそれだけだったのです。正義も悪も、私たちが基準となっているものであり、私たちの主観が作り出しているものにしか過ぎないのです。

 キラを正義という人もいれば、悪という人もいるし、エルの行動も正義という人がいれば、悪という人もいるでしょう。そりゃそうだ。そりゃそうですよ!

 これが一つの答えです。正義でもあり、悪でもある。とすれば、それぞれの人たちが、どの部分に価値を置くのかで異なってくる、ということになります。

 そして恐ろしいことに、正義も悪も私たちと同じ生き物なのです。正義は悪を産み落とし、悪は正義を産み落とす。正義も悪も進化している。そして、彼らも生殖能力を持っているのです。私たちが、そうとは考えていないだけで・・・。

 正義も悪も、元々一つだったのです。

 ですから、キラもエルも、人類の生存の中から生まれてきた善と悪の、混沌とした世界の中で、自分が正義だと思うものを正義だとし、悪だと思うものを悪だととらえてきた。そして、お互いにぶつかりあったのです。

 正義が悪を産み、悪は正義を産む。正義が悪を殺し、悪が正義を殺す。正義は悪であり、悪は正義である。正義は悪を呼び寄せ、悪は正義を呼び寄せる。悪が悪であり、正義が正義であるために。正義と正義はぶつかり合い、悪と悪はぶつかり合う。しかし悲しいかな。その後に残るのは正義であり、そしてまた、悪なのであった。

 




 

いいなと思ったら応援しよう!