政治責任とは何か 問題提起
政治家の政治責任が問われている。しかし、その責任の取り方はたいていこういうところだ。
「責任を取って辞職します。」
辞職というのは紛れもなく「職を辞す」ということで、つまりは今の自分の地位から退くということである。
でも、この人がしてきたことはれっきとした事実として残っているわけだし、全く何も解決していないのである。
人は平気で、「責任を取れ。」とか、「責任を取ります。」というけれども、責任というのは絶対に取れないのである。
責任を取るには、タイムマシンでその問題が発生する原点まで時間を巻き戻すしかない。そうすると、みんなの記憶までもが元通りになっている。
責任を取るとか、取れとかいう人は、まずタイムマシンを開発してから言ってください。しかも全ての人間の記憶が消え、本当に完全に逆戻りするタイムマシンです。でも、全てが元通りになるなら、結局また同じことが起きるでしょうね。
つまり、あらゆる責任問題は起こるべくして起きたと考えることもできる。
ところで、政治責任という言葉が色々使われているけども、実際、「政治」とは何か、そして、「責任」とは何か、ということがわかっている人が一体どれほどいるのだろうか。
私はわかっているけど、メディアも政治家本人でさえも、全くといっていほどわかっているようには思えない。それが、どぶさらい劇場の根幹を作っているように思えている。
だからなおさら、この人たちはとにかく「ネタ」をもてあそんでいたいんだな。とさえ考えてしまうのである。はっきりしてしまえばそれまでだ。でも、曖昧なままでいれば、ずっと濁った世界の中で、安心していける。
白河の 清きに魚も住みかねて 元の濁りの 田沼恋しき
本当はみんな、世の中がこのまま濁っていてほしいっていう気持ちを、どこかに持っているんじゃないかなぁ。
仮に責任が取れるものであるとすれば、政治とは何かがわかっていなければ、政治責任なんて取れるはずがないではないか。
まず言葉の意味を明らかにしてください。そこを放っておいて議論を進めるなんて、ただの時間の浪費ですよ。
ま~でも、予想できます。自分にとって都合のいい意味にしていくんですよね。今は、職を辞することが責任を取るという意味になっちゃっていますからね。それとも、派閥解散ですか。