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行け!稲中卓球部 前野天才論⑦

こんばんは。稲中卓球部のコーナーです。

今回はこのお話です。『トンガからソロバンを習いに来ました』

稲中卓球部の部員たちが夏合宿を楽しみにしていたところ、顧問の柴崎から、合宿先を告げられます。その合宿先は、なんと学校でした。

部員たちは驚きますが、よくよく考えると、様々な設備が充実していることから、盲点であったことを知ります。

しかし、合宿と言っても竹田、木下、田辺の3人のみ。(マネージャーの岩下、神谷もいます。)前野、井沢、田中の3名は、夏合宿の間ずっと8時間の補習を受けさせられるはめになるのでした。

馬鹿3人がいないことで、練習に身を入れることができるという、岩下京子の一言もありましたが、真面目組3名で運動場のトラックを実際に走ってみると、なんだかものすごく疲れるのです。

木下「な…何か 3人だと変だな・・・。」
竹田「いよーーーに疲れるな。」

よくよく考えると、学校全部が開いているのに、単なる基礎練習だけで終わると言う竹田の実直真面目なスケジュールに疑問が挟まり、部員たちはテニスやプールで遊び始めたのでした。

物語はまだまだ続きますが、皆さんには漫画で今後の内容を確認していただきます。

私の記事がフォーカスを当てたいところは、竹田、木下、田辺の3人だけで練習に励むと、なぜかとてつもなく疲れるという事実です。

例えば、会社は2割の人間で動いている、という話を聞いたことはありませんか?10人が10人全てやる気になっていることはなく、そのうちの何人かは、やる気を完全になくしている無能社員。とりあえず、今はそこまでやることがないという停滞社員。待ち時間社員。そういう社員が実はいるのです。全員が全員、100%フル稼働で働いているということはないようです。私が例えば近くのオフィスなんかに行っても、暇そうにしている人は何人かいたり、談笑している人もいたりします。こういう人たちは、スタンバイ状態だとしましょう。

では、本気でやる気がなくなってしまっている人は、一体何がおきてしまったのでしょうか?

どうしてこんなことが起きるのかおわかりですか?

稲中卓球部には、6人のうち、なぜか半数の人間が無能部員になってしまっています。5割ですね(笑)完全にやる気ナッシングです。

それはなぜなのか。結論から申し上げますと、見えないエネルギーが、吸い取られているのだ、ということです。

この言葉を聞いて、え?そんなことってあるの?って感じですよね。

とりあえず、これが正しいと思ってください。正しいとすれば、前野、井沢、田中からは、卓球や練習を頑張るというエネルギーがどんどん、竹田、木下、田辺の3人に吸い取られて行っていることになります。おそらく、勉強についてもそうでしょう。

真面目3人は、馬鹿3人から、何気なく心のエネルギーを頂戴していたのでした。

私が所属していた部活も、全くやる気のない部員はワラワラといました。学校の勉強だってそうです。

そして、一部の成績優秀な人たちは、上級の高校へ進学していきました。私の学校から、頭のいい人たちばかり集めたのだから、きっと高校へ行ったら、もっとすごい人たちになるんだろうな・・・。そう思っていました。

ところが、一部の生徒たちは、完全に勉強に対してのやる気を失うのです。そして、元々彼らよりも成績が悪かった、下の学校の生徒たちの方が、彼らよりもよい成績を出し始めることがあります。これは私の実際の経験でもあったことです。

 不思議なことに、頭のいい人たちだけを集めても、なぜかスクールカーストが存在し、下に行ってしまった者達は、さらにその下にいる者達よりも、低いポジションへ回って行ってしまうのです。

 鶏頭牛後という諺どおりで、1つ下の高校の、トップにいた方が、上の高校の最後尾にいるよりも、よっぽどかいい目に合う、そんな状況が生まれるんですよね。

 そこで私は考えました。下の立場に回る生徒たちは、自分達でも自覚が出来ない間に、やる気とか、そうしたエネルギーを奪われているのではないかと。目に見えない心の流れなので、証拠はありません。目に見えるものだけを追いかけている人からすれば、私のいうことは根拠のないでたらめな話に映るでしょう。

 ですが、実生活で、こうしたことはよく起きています。人が上に立ちたがったり、マウントを取りたがることがあります。ヤフコメなんていうのは、マウントを取りたがる人達が集まっている印象がありますよね。

 ヤフコメ民に対してマウントを行い、ヤフコメ民を馬鹿にしているコメントが多いです。しかし、こうしたマウントを行って、馬鹿にする人こそが、ヤフコメ民だな、と私は思っています。私は詳しくないのですが、ツイッターとかでもこういうことはよくあるのではないでしょうか。

 とりあえず、こういう立場に人が回りたがるのは、心の栄養を確保する立場に、自分を置きたいからだと考えています。一種の性欲です。

 他人よりも自分の方が優れているんだって思えたら、気分がいいですよね?すると、自分が今やっていることも、うきうきと、楽しく作業できるようになるのです。よくあるでしょ?こういうこと。

 これと同じように、真面目組3人が、日頃から卓球や基礎訓練を楽しくできていたのは、馬鹿3人組から心の栄養を頂いていたからなのだということが推論できるのです。

 少なくとも、著者はさりげなく、そのことを漫画に示しています。この著者は、そうしたエネルギーの流れが、集団の中にあるということを見抜いている人です。

 漫画全巻を通してみると、前野vs木下は、格闘技で前野の方が強かったりしますし、私が前野天才論を今まで6つ書いて証明していますように、頭の良さは前野のほうが竹田や木下、田辺よりも上だったりします。

 前野は、馬鹿に見えて、能力がとても高いのです。学校の勉強に身が入らないのも、彼が馬鹿だからではなく、むしろ、実は、頭がいいからこそ、身が入らないのではないか。彼は、自分が夢中になるものを見つけていれば、とてつもない業績を上げ始めるのではないか。そう思うのです。

 確かに非常識な所が多く、足りない部分がありますが、そこがうまくかみ合えば、ずっと優れた人間になれるはず。学校が彼を納めるほどの器ではないのです。

 ギャグマンガだから強引なのかもしれませんが、彼は若林という、美人で、学校一の秀才から好意を抱かれています。話としてはそちらの方が面白い、ということからそのような設定になっているのかもしれませんが、私はそうは思えません。(著者は、恋とは足りないところを求めるものだということを、木下を通して語っていますから、馬鹿と秀才をくっつけようとしたのかもしれませんが)若林は、前野をただの馬鹿だとは思っていないと、私は信じたいです。本能的に、彼の天才性をしっかりと認識している。だからこそ、前野を好きになったのだと。私はそう信じたいです。

確かに、若林の秀才さと、前野の天才さを掛け合わせると、すごい人間になるのではないでしょうか。作者は、どこが足りない部分なのかを明言してはいません。

私は、前野も若林も、どちらも頭がいいのだけれども、若林の常識的で、実直な頭の良さと、前野の型破りで天才的な頭の良さは、鍵と鍵穴の関係、パズルのピースとピースの関係として、非常に噛み合うものだ、ということをいいたいのではないか。私はそう信じたいです。

ちなみに、竹田も木下も田辺も、真面目なのに性欲が旺盛です。一方、田中は別として、前野や井沢なんかは、ここぞというときに性欲を満たそうとはしません。

例えば、女子高生がキスくらいなら、と考えているのに、前野は自分との交際を断りますし、井沢もあの学校一モテる神谷から口づけを求められているのに、サンタ狩りを選択するほどです。

表面的には性欲の強そうに見える3名、下品な3名(田中は違う気もしますが)ですが、ここぞというときは、普通の人たちが陥ってしまう甘い誘惑にはかからない。そういう印象があります。


 

 





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