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恋人は自分の鏡


学生の頃、あの女性教授の言葉。(また出たよ)

「いいか?恋人は自分の鏡やで」


ふーん、と当時はテキトーに聞いていた。

シャンプーしてて、ふとその言葉を思い出し、 (お風呂って色々思い出すよね)       今までを遡ってみた。


親、社会や学校、何に対しても何故かいつもイライラしていて仕方の無かったあの頃は、隣の高校の血の気の多いあの子。

とりあえず自分の存在価値を高めて欲しくて仕方のない時は、モテモテでカッコいい、しかし中身の無いチャラいあの子。(ごめん)

ちょっと背伸びして周りの子よりも進んだ気になりたかった時は、何でも知ってる、うんと年上のあの人。

何でも知ってるようで、実はそうでも無かった。私が無知だから、「大人は皆んなスゴイ!」と思ってたから、素敵に見えただけで。      

空っぽの私には、空っぽのあの人。

それから、

社会の厳しさを痛感し、何もかもから逃げたくて、辛い自分の事を可哀想だと思っていた時は、同じように何だか可哀想に見えるあの人だった。

可哀想、というのは私の勝手な見解であって、 実際に彼自身はそうは感じていなかったはず。

(可哀想というか、疲れてる感じ?がした。)

そんな可哀想な彼を幸せにしてあげたい、と私はこれまた勝手に思ってたんだと思う。

可哀想な彼を救うことで、          同じく可哀想な自分のことも救うことが出来ると思ってたから。

自分のことを、相手を通して見ていた。


「鏡」とはよく言ったもので、        相手の嫌いなところや、           直して欲しいところを考えると、

ぜーんぶ自分にも当てはまるよ    (これマジ)


時々、彼の嫌なところを見つめていたんだけど、やっぱり自分を重ねるから憎めない、可愛いなって許してしまうわけで。

長い間離れられなかったのは、こういうことも原因やったと気付いた。

大した答えは出てないけど、笑

結論

鏡と言われるからこそ、いつでも素敵な自分でありたいとも思うよね。

素敵な人と結ばれたいと思うのならば、    自分を好きになれるくらい、素敵にならないと。