この先の10年
ここ数年、ベテラン社員の退職が目立つ。
終身雇用の考えが薄まり転職が当たり前になった現代、若年層社員の退職はさほど驚くこともないけれど、当社では勤続30年以上のベテラン社員が突然退職するケースも増えており、社内に衝撃が走ることも少なくない。
先月も、営業部門にて順当に昇進していた50代後半の統括部長Mさんが、4月からの組織図では二階級降格になっており、それを知った直後くらいに、同僚からMさんが4月末で退職することを聞いた。
Mさんの所属する組織のボス(=執行役員)とMさんはソリが合っていないことは以前から知っていたが、それから何年も経つし、何よりMさんは業績を支えてきた人なのに。
「退職とは残念だ」という気持ちを綴った私のメールに、速攻、Mさんから返信があった。
「『おかしいだろう』と思った時にはモノを申してきたので、上は自分に対してイエスマンでない俺を、好き嫌い人事で決めたと思う。そんなヤツと一緒に仕事はできない。横はイエスマンだらけで上のご機嫌とっているヤツばかり。こんな会社はダメだな。」
そうは言っても、あと数年で定年退職を迎え、退職給付金がもらえるのに——そんなふうに思う反面、あと数年さえも、彼にとっては耐えられない仕打ちと感じるのだろう。
ハラスメントから逃れた私と、少し似ている気がした。私も、もう少しの間だけ耐えれば念願の総合職になれた。「異動希望を取り消せば、総合職に推薦してやる」と言われていたから。
(これはパワーハラスメントの一部だ)
けれど、そんなニンジンを目の前にぶら下げられたって、くわえる力など残っていなかった。そして私は、ニンジンをあきらめた。
こんなことがあったのが10年前(30代)だったら、私はきっと退職していただろう。もし、10年前に退職していたら、私はいま、どうしていただろう。
だからといって、いろいろとひどい目に遭ったことも、結果的に自己成長につながったと捉え、退職を思い留まったことを後悔してはいないけれど。
そう思った時、ふと、「10年は物事が成熟するに十分な時間」であることに気づいた。
定年退職が60歳であれば、私もあと十数年だ。コンスタントに給与がもらえて貯蓄できるのも、あと十数年。逆に、10年後に「あの時○○していれば・・・」と悔やむのを予防できるのは、いまなのだ。
だから、
日々、小さなことでも精進すること。
日々、小さな運動でも継続すること。
日々、小さな出費でもよく考えること。
日々、小さな親切を心掛けること。
日々、小さな幸せに気づくこと。
ささいなことでも、一つ一つやっていれば10年後にはきっと、成熟しているはずだ。
私は、あらためて社畜のように働く生活とは決別し、この先の10年は自分のために準備する10年にしようと思った。
…
今月末で退職するというMさんは、実家の静岡に戻り、いま一度自分を見つめ直す、と言っていた。メール冒頭の昂った感情は、やり取りをするうちに幾分落ち着きを見せながら。
ずっと営業の第一線で活躍してきて、きっと、そういうことが必要な時期なのだと思う。自分を振り返る時間。自分を改める時間。
良くも悪くも、神様から与えられた機会をどう捉えるか。命尽きるときに「こんな人生で良かった」と思えれば良いのだから、その経過は “修行” だと思うようにすればいい。
よし、
だから今日も “修行” に励むのだ。
この先の、10年に向けて。