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自分と仕事と生活と

終業後、気力がある時はできるだけ寄り道をすることにしている。

自宅に帰りたくないわけではなくて、いまの自分には、世の中の広さを街中でもっと視覚的に味わったほうがよいと思うからだ。

東京・大手町が乗換駅である私は、平日18:00、地下鉄大手町駅の雑踏に紛れながら、前方から左右からあらゆる方向に行き来する人々を交わしながら、歩く。

そうすると、世の中にはいろいろな人がいるんだと感じることができる。定時であがってもものすごい人の量なのだから、退勤時間が早いのは私だけではない。むしろ皆、残業など、本音を言えば仕事などしたくないだろう。

けれど、入社以来残業が当たり前の生活だった私は、いまの業務が少なく定時で帰れてしまう環境に、まだ慣れない。仕事が少ない=会社に貢献できていないのではないかと、罪悪感に苛まれたりもする。

昨年まではお手洗いに行くことも忘れ、昼休みを取れない日もあるほど忙しなかった日々の中で、給湯室や更衣室、お手洗いなどで、長くおしゃべりしていた女性の同僚らを恨めしく思っていた。

「あなたたちはいいわよね、仕事が少なくて。」

心の中でつぶやき、雑談を続ける彼女たちを横目にさっと用を済ませ、「自分は彼女たちとは違う!」と息巻いていた。ただ、なぜそのように攻撃的な見方をするかと言えば、「そうなりたい」の裏返しであることも、うっすらと気づいていた。

でも、いざ自分が「仕事が少ない人」になると、「なりたい人になれた」のに、不満なのである。
まったくもって矛盾している。

そう客観的に捉えるようになるまで、長い時間を要した。自分がどれほど会社や仕事に依存していたかもわかってきた。

そんな時、この本に出会った。

『何者かにならなきゃ価値がない』
『努力は人を裏切らないはずだから』

主人公の女性を自分にリンクさせ、泣きに泣いた。いや、まだ何度読んでも、泣ける。

「仕事が忙しい」のはカッコイイと思っていた。
自営業なら自分の頑張りが収入に直結するから忙しいほうがカッコイイのかもしれないけれど。

企業の組織下にあっては、自分の力ではどうにもならないことがある。「頑張って成果を出して昇格したい、給与を増やしたい」と思っていても、その機会がこれまで以上に見込めないのであれば、他に意識を向けるしかないのだ。

「やりがいのある仕事」を求めて転職も考えたけれど、いまより収入が減っては元も子もない。何を優先にするかで人生が変わってくるとは言うものの、生活の安定も、正直、大事だ。

だから、いまの会社に所属しながらも、会社に依存しない生活を目指そうと思った。それが、上司のハラスメントにより部署異動し「やりがいを失った私」の、行き着いた答えだ。

押してダメなら、引く(あきらめる)勇気も必要。

いまの時代、「FIRE」を目指す若者が増えているという。私の場合「Retire Early」まで理想とはしないけれど、「Financial Independence」はやってみてもいい。

それが浮かんでから、仕事は淡々とこなしつつ、定時あがりが待ち遠しくなった。

会社なんてハコモノ。社会とつながっている場所だと割り切ればいい。やりがいがあって、人間関係も給与も100%満足のいく仕事なんて、ありえない。そう、皆どこかで折り合いを付けて働いている。まるでポーカーフェイスのように。

だから私も、自分の感性を信じてやりたいことを少しずつやっていく。そして、自分らしく生きるための価値を見出していこう。

こうして、企業組織の中で同じように悶々としている人がいたら、共に励まし合えたらよいなと、思う。