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母の料理をあと何回食べられるのだろう

正月、実家に帰ると色々と持ち帰ることになる。

母:「これも、あれも、それも、持っていって。
お母さん食べきれないから。」

私:「そんな食べきれないって・・・」
などと毎年の恒例のやり取り。


正月料理の残り、ゆでたまご、刺身の残り、
煮物に煮豆、野菜や果物、頂き物の菓子折り・・・
今年の正月は、妹家族がインフルエンザに罹って
帰省キャンセルになり、用意していた料理も
余ってしまった。よっていつも以上に持ち帰りが
増えることに。ちょっとだけため息。

とはいえ、心ではめちゃくちゃ感謝している。
帰ってくる子供たちのために、食事以外のお菓子や
果物など普段買わないようなものまで買っているのを
子供の私は知っている。
私達姉妹が50前後の年齢になっても、母からしたら
いつまでたっても「こども」なんだなぁ。


さて、実家から戻り、持ち帰った品々を整理しようと
する時、ふと「写真、撮っとこうかな」と思った。
鶏肉と根菜の煮物と煮豆の写真。


母の正月定番の料理。質素&地味だが大好き。
肉が苦手な私のことを思って
「肉抜き」でタッパーに詰めてくれている。
さすが母。

このモスグリーンのタッパーもかれこれ40年
くらい経っている。私が小学生の頃からある。
絶妙な色合いのTUPPER WARE
1980年代のものなので、このタイプのものは
今は販売していないのだろう。
かわいいので写真をまたパシャリ。
タッパーがかわいいって、
かなり変?大丈夫か私?

最近、年齢のせいなのかなんなのか
懐かしいものへの想いを留めておきたく
なる衝動あり。
つい、写真に収めてしまっている。

昨日まであった「もの」や「人」が、
あっけなく無くなることの事実を
いやでも受け止めなければならない経験も
人間にとっては必要。
自然の摂理にゆだねて生きる。
ということなんだろうか。


「母の料理をあと何回食べられるのだろう。」


私は結婚もせず、子供を産み育てること
の経験もしなかった。
子供に料理を作るということも、もちろん
できなかった。

私と逆で、いろんな事情で母の料理を
味わうことなく大人になった人もいる
であろう。

母になり家族に料理を作る日常を過ごし
ている人もいるだろう。

街角の行きつけの定食屋さんの味に
母のぬくもりを感じる人もいるで
あろう。


みんな、自分に必要な方法で
愛を食事から受け取っているんだ
きっと。
善悪のジャッジはいらない。
人それぞれでいい。

そういうことにしておこう。
と思った1月9日。






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